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第44話 海斗
「もう…疲れた…あの人たちスパルタ…」
「大丈夫か?よし、今日は俺が作る。どっちのカップ麺がいい?選べよ」
右手にも、左手にもカップ麺を持った蓉は、キッチンで仁王立ちをしている。
海斗は、会社の後継者になると父に宣言した日から少しして経営企画部へ異動となった。
更には組織再編もあり、営業第一部と第二部は合併した。風通しの良い職場環境にしようということらしい。
「カップ麺?えーっと…じゃあ、こっち」
カップ焼きそばの方を選ぶと、蓉はこっくりと大きく頷いた。二人分のお湯を沸かしてくれている。
「とりあえず、風呂入ってこいよ」
蓉に声をかけられ、ノロノロと着替えてシャワーを浴びる。
経営企画部に配属された日に、社長である父が部内全体に伝えたことがあった。
「海斗を後継者として育てて欲しい。途中でダメだなと思ったら容赦なく言ってくれ。その時は次の後継者を見つける」
父はそう言っていた。
それからスパルタの日々が始まっている。今までは経営企画部なんて、父の顔色をうかがっているだけの部署だと思っていたのに、全く違うことがわかった。
経営方針や戦略を具体的な予算や目標値、実現の方策を叩きこまれている。
予算達成は?担当部署に実行させるには?と、経営企画部の部長や父の側近たちから問われる日々である。適当な返事や生返事は許されず、後継者としてやる気はあるのかと、叱咤激励されている。
それでも何とか食いついていくうちに、少しずつ経営企画部の人たちと、打ち解けていっているようにも思える。
「海斗?もうすぐ出来るぞ?大丈夫か」
「うん…大丈夫。今週は特に忙しかったから。でも来週からは少し落ち着くって」
シャワーを浴びてさっぱりしたから、キッチンにいる蓉を後ろから抱きしめてキスをした。
「営業部、大変らしいぞ。関西のデリが思った以上に盛り上がってるから、時間が足りないってみんな言ってた」
「原田さんのとこだよね、それ」
陸翔が開拓した関西の大手スーパーと新たな業務提携を結んだ。こっちで盛り上がっているデリの展開を関西のスーパーにも持っていった。営業部として海斗が最後に手がけた仕事だった。
「デリの王が頑張って助けてくれてるから、何とかやれてるけど。マジで営業部は人手不足かもな」
デリの王と軽く下野をいじっている蓉は、楽しそうに笑っている。
「陸翔もいないし?」
「陸翔は関係ないだろ。いてもいなくても、大して変わりはないだろうから。アイツも今はしごかれて大変みたい。この前会った時は涙目だったよ」
蓉はまた笑いながら答えている。
陸翔も異動となった。異動先は春がいるマーケティング部だ。陸翔は春の下につき、今は物凄くしごかれていると聞く。春に怒られている陸翔の姿が目に浮かぶ。
陸翔が事業拡大で提案した企業の新規開拓と、海斗のデリカテッセンの企画を合わせて取り入れることにした。その第一弾として、原田がいる関西大手のスーパーと業務提携に繋がった。
あの時は兄弟対決など言われていた企画だったが、どちらかひとつに絞ることになるのは、海斗としては何となく後味が悪い気がしていた。だから、両方のいいところを取り入れようと、改めて海斗が提案し、他社への業務提携として落ち着いていた。
「下野さんも忙しそうだよね。うちの仕事だけじゃなくて、他にも色々やってるから。ますます会社は大きくなってるみたいだし…今度会社も引っ越しするんだって。今のところじゃ狭いみたいだから。あっ、今度また飲もうって言ってたよ?」
「おお、久しぶりだなバーシャミか!イタリアンバルだろ?あそこは何食べても美味しいからなぁ。楽しみにしとくよ。いつにする?」
下野が連れて行ってくれたイタリアンバルは、蓉と二人でもよく行っている。店の名前はバーシャミというが、それは最近知ったことだ。いつも『あそこのイタリアンバル』と呼んでいた。
じゃあ、飲み会はいつにしようかと、スマホのスケジュールを開く。海斗のスケジュールはいっぱいに埋まっていた。
「あっ蓉さん!引っ越しは再来週だよ!やっば…荷物まとめないと」
スケジュールの中には引っ越しの文字も入っている。
土地を探して、一軒家を建てて…と考えていたが、そんなことは難しい。金銭的にも時間的にも余裕が今は無い。
なので、二人で住める広さの賃貸マンションへ引っ越しとなった。今は仕方ない、次は絶対家を建てると、海斗は心に決めている。
「俺は荷物少ないし…大丈夫だよ。それより、お前の方が時間ないだろ?今は目一杯忙しいし、大丈夫か?あっ、そうだ!あれどうしよう。不動産屋に言わないと…結局、最後まで壊れたままだったな。まぁ、使わなかったし、不便じゃなかったけど」
「インターホンでしょ?壊れてたって事前に不動産屋さんに言っとかないとね。ああ…時間が足りない。まとめて色んなことがありすぎ。えーっと、岸谷さんとはその次の週だから。再来週に引っ越しして、その次の週に岸谷さんのところに行って…」
蓉が黒目ヒルズ店のスーパー勤務時に、仲良くなった岸谷と玖月との付き合いは続いていた。
ゴルフの打ちっぱなしに蓉と二人で行った時、偶然にも岸谷に会った。
「ゴルフ始めるのか?」と岸谷に聞かれたので、二人でコクコクと頷き「何が何だかわからない」「どうやって打っていいかわからない」とゴルフの難しさを岸谷に切実に訴えた。
岸谷は笑いながらも、親切にスィングや、使うクラブなど細かく教えてくれた。
それから何度か打ちっぱなしで岸谷にレッスンを受けている。おかげでゴルフの楽しさがわかってきて、コースに誘われていた原田にも、そろそろデビュー出来そうですと、伝えることが出来ていた。
ゴルフをするには車が必要なので、蓉と二人でレンタカーを貸りるかと話をしていたら、岸谷から車を安く譲ってくれると提案があった。
岸谷は既に車を数台持っているが、更に新しい車を購入するそうだ。だからその中でも、比較的コンパクトな車を譲ると言ってくれている。
「岸谷さん、すげぇよな…あんな車をさ、すごく安く譲ってくれるなんてさ」
「うん、なんか…蓉さんと俺がゴルフ始めるのも嬉しいって言ってたよ。周りで若い人はやらないからって。玖月さんもやらないみたいだし。だから、今度一緒に行こうって。そんで…車は持ってた方がいいから、まぁこの車なら二人で持てば、維持費も大丈夫だろうって言われた」
岸谷に、今度別のマンションに二人で引っ越しをすると伝えると、引っ越しした後に車を譲るから駐車場も貸りておけと言われ、言う通りにしている。
しかし、岸谷の車は高級車だから少し緊張してしまう。そう岸谷に言うと、笑いながら「だったら、分相応になればいい」と言われた。
「ああ、美味しかった。ジャンクな物は美味しいよね。蓉さん、ありがとう作ってくれて」
「ええっ…作ってないじゃん、俺はお湯入れただけだよ。次の家では絶対、料理が出来るように頑張るな。お前はこれからもっと忙しくなるだろうから、俺が作れるように。玖月さんにも料理を教えてくれって、色々聞いててさ、教えてくれるんだけど…めっちゃハードル高いんだよ。簡単な料理ってリクエスト出してるのに、教えてくれるのはパエリアとか…」
「ウケる!玖月さん、正気か!パエリアなんて上級者じゃん。あの人、面白いよね。ちょっと天然っていうかさ」
「そう…岸谷さんが甘やかしてるんだと思うんだよなぁ。最近は、ますます天然になってきてる気がするし…それで、パエリアじゃなくて、もっと簡単なの教えてよって言うと『ええーっ…じゃあ、ホットケーキ』って言っててさ。それ聞いて、マジかよ!って言っちゃった。ホットケーキなんてご飯じゃないじゃん」
玖月の真似をして言う蓉が、面白くて可愛かった。何かを作ってくれようとして頑張ってくれているのは嬉しく思う。
知らないところで玖月とそんな会話をしているとは知らなかった。それも何だか、可笑しくて嬉しい。
「いいよ、蓉さん。料理なんて作らないで。俺が一生、蓉さんに作るんだから。パエリア作れるよ?今度、食べる?」
テーブルの上は食べ散らかしてるけど、片付けは明日にして、ベッドに蓉を連れて行く。
「パエリアか…食べたいな」
ベッドの中では、蓉が海斗の腕の中に入り込み、足の甲で海斗の足をスリっと撫でた。
知ってる。
この癖。
海斗にだけわかる蓉の甘え方だ。
「ホットケーキも作れるよ?」
「ホットケーキは…甘いからなぁ」
蓉の三大欲求は収まっている。今は海斗の方が欲求は強くなっていると感じる。
独占欲、愛情欲?そんなのあるかな、でもそんな感じだな。
あとは何だろうなと考えながら、グリグリと頭を蓉の肩に擦り付けてると、上から蓉の笑い声が聞こえた。
「お腹いっぱいになったか?俺はまだかなぁ…別のが欲しいかもなぁ」
「俺も…まだお腹いっぱいになってない。別のが食べたいかもなぁ、ね、蓉さん」
また蓉が足の甲で海斗の足をスリっと撫でたから、海斗は笑いながら覆い被さった。
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