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第2話 あやしい金平糖
そのあとから、二人の距離は急接近——……ってほどではないけれど、これまでよりは格段に、諒太郎は俺に懐くようになった。
学校は違えど(諒太郎は名門私立中に通っている)、登校時間はどこも似たようなものだから、俺たちは毎朝家の前でばったり出くわす。
すると諒太郎ははにかんだような笑みを浮かべて、「千夏くん、おはよう」と挨拶をしてくれる。
それはもう、美しい笑顔だ。
サラサラの黒髪が揺れるたび、朝日を受けて天使の輪がキラキラと輝くし、綺麗に粒の揃った歯は白くきらめく。早朝の太陽の清々しさなんて、なんなく凌駕してしまうほどの爽やかさだ。
こうして笑顔を見せてくれるあたり、どうやら俺は諒太郎の中で、”不良から助けてくれたカッコイイ幼馴染み”という美味しいポジションに昇格したらしい。
あの日以降、『僕ももっと男らしくならないとと思って、女子の誘いは全部きっぱり断るようにした』とか、『塾が忙しいから部活に入ってなかったんだけど、空手部に入ったんだ』といろんなことを逐一報告してくるようになったから、ひょっとすると、血のつながらない兄貴くらいには思ってくれるようになったのかもしれない。
懐かれるのは嬉しいが、キュンキュンドキドキ暴れる胸が、うるさくて落ち着かなかった。
俺はあの時諒太郎の笑顔にキュンときた瞬間から自分のことがよくわからなくなり、混乱する日々を送っていた。
”生意気なお向かいさんちのガキ”から一転、”笑顔の可愛い気になる存在”になってしまったのだから……。
それまでずっと可愛いなと思っていたクラスメイトの女子も、諒太郎に比べたら大したことがないと思ってしまう。
そんなはずはない、俺だって人並みに可愛い女子が大好きなはずだ! と思ってグラビアアイドルや女優のミンスタを片っ端から眺めてみるも、やっぱり「諒太郎のほうが……」という考えが脳裡をちらつく。自分の性癖がわからなくて、掻きむしって悶絶する日々を過ごしていた。
そして、悶々しているときに限って、諒太郎は家に訪ねてくる。
といっても、別に俺に会いに来たわけではない。料理上手の母親の手料理のお裾分けを運搬してくるだけだ。
そういうときはなるべく部屋に引っ込んでいたいものだが、多忙な両親はあまり家にいない。なので俺が受け取らざるを得ないのだ。
「こんばんは。これ、お裾分けだよ」
「お、おう……いつもありがと。おばさんの料理美味しいから、嬉しい」
「うん、伝えとくね」
と、二言三言会話を交わすだけ。
だが、タッパー入りの袋を受け取る時に指先が軽く諒太郎の手に触れようものなら、顔は真っ赤に茹で上がり、バックバックと心臓は大暴れだ。ろくに顔を見ることもできないまま諒太郎を見送って、それで終了。
コミュ力には自信があったのに、諒太郎のことが気になりすぎるあまり口下手になってしまう。そんな自分が情けないし、歯痒くてたまらない。
本当は、普通にたくさん喋ってみたいし、諒太郎が何を考えているのかもっと知りたいのに。
だけど、どうしても距離を詰めることができない。
もだもだぐずぐずしているうちに数年が経ち、俺は高二の夏を迎えていた。諒太郎も名門私立の高等部に進学を果たしている。
公立高校の学ランとは違い、諒太郎の高校は紺ブレチェックズボンに洒落た革靴。順調に背が伸びてスタイル抜群な上に、清潔感と清純さを兼ね備えつつ凛々しく育った諒太郎は、近所でも評判のイケメンだ。
——諒太郎、今日は何してんだろ。ひそかに可愛い彼女なんかができてて、浴衣で祭りデートなんかしてんのかなあ……。
いじけてぼーっとしていると、バレー部仲間の田沼に肩を小突かれてしまった。その隣で、林田も怪訝な顔だ。
「千夏、どしたよ。熱中症?」
「……いや、ちょっとぼーっとしてただけ。なに?」
「どうする花火。海の方から見る?」
「そーだなぁ……海だな! なんか涼しそうだし」
花火だって、本当は諒太郎と見たい。
あいつは花火を見たらどんな顔をするんだろう。目を輝かせて「綺麗だね」と口にするのか、それとも、たいして興味など抱かないのか。
名門校でもトップクラスに成績がいいことと、空手部に所属していることは親づてに聞いて知っている。
だけど、それだけだ。
彼女がいるのかとか、好きな人がいるのかとか……俺のような男に想いを寄せられた経験があるのかとか、知りたいことは山のようにある。
——まともに会話もできないんだ。脈がないのはわかってんだけどさ……。
そもそも、男にこうも惚れ込んでしまうなんて自分でもびっくりで、俺はまだこの気持ちを受け入れきれていない。
付き合いたいとか、どうしたいとか、まだわからない。この気持ちが本物なのか、ちょっとした寄り道程度の浅いものなのか、自分でも掴みきれていない。
だからこそ、もっと諒太郎のことを知りたいし、話をしてみたいと思っているだけなのだが……それが全然うまくいかない。
——ままならないってのは、こういうことを言うんだろうなぁ……。
「……もし。お兄さん、お兄さん」
「ん?」
田沼と林田とともに海へ降りる道を下っていたその時、耳のすぐそばで女の囁く声がした。
ぎょっとして振り返るも、あたりは頼りない街灯に照らされた細い階段が伸びているだけ。ここは海へ続く道は地元民しか知らない抜け道で、人通りはまったくない。
「どうだいお兄さん、あんたにうってつけのいいものがあるよ」
今度ははっきりと声が聞こえた。
弾かれたように前方を見ると、先を歩いていたはずの林田たちの姿はなく、目の覚めるような赤い着物に身を包んだ、派手なおばさんが佇んでいる。
赤いのは着物だけではない。頭には薄絹のヴェールのようなものをかぶり、赤いサテン地のマスクをつけている。隙間から覗く目は狐のように釣り上がり、口元が見えなくとも笑っているような表情だ。
仰天しすぎて声を失っている俺に、謎のおばさんは、すっと青い小瓶を差し出した。そして瓶の中から一粒、薄桃色の金平糖を取り、指先でピンと弾く。
「へっ、……ぅぐ」
現実世界であり得ない速度でふわふわと目の前まで飛んできた金平糖は突如スピードを上げ、吸い込まれるように俺の口に飛び込んできて……。
俺はそれを、思わず飲み下してしまった。
「へ……へっ、なに?」
「これはね、淫魔の胤で作った金平糖だよ。これを食べれば、想い人の淫らな妄想を覗き見ることができるんだ」
「はい……?」
「人間ってのは、自らの欲を虚空に描いて盛るもの。それがあればきっと、想い人の淫らな癖へきがわかりましょうや」
「欲望……へき? なにいってんだよおばさん……」
「……つ? おい、千夏ってば!」
パチン、と風船が割れるような音がした。
ハッと我に返って辺りを見回すと、心配そうな顔をした田沼と林田が、俺の顔を覗き込んでいる。
そしてふと気づく。
手のひらの中に、さっき見た青い小瓶が握られていることに。
「……え? な、なんで……」
ひんやりとした感触は確かにそこにある。だが、きょろきょろあたりを見回しても、赤い着物のおばさんの姿はどこにもなかった。
「なぁ、やっぱなんか変だよお前。今日は帰ったほうがいいんじゃね?」
と、夏休みに短髪をど金髪にした田沼が、心底心配そうな顔をして俺の顔を覗き込んできた。
パワーが売りのスパイカーである田沼は見た目こそゴリラっぽくていかついが、心優しいいいやつだ。
「あ、ああ……うん、そうかも……」
「そういうことなら戻ろーぜ。歩けるか?」
「いや、でも花火……」
「無理して見ることないって。どーせ男三人だし」
部活ではクレバーなセッターをやっている眼鏡の林田が、さっそくのように俺の腕を取って、元来た道を歩き始めた。ちなみに林田のあだ名は『経理の人』。
ふたりとも俺とは違って高一にしては完成した体躯をしているため、俺を支えて歩くことなどたやすいのだ。
両サイドを支えられながら、俺は周囲を見回した。……だが、誰もいない。
微かな目眩をこらえて後ろを振り返ってみても、やはり誰もいない。あんな派手はおばさん、どこにいたってすぐにわかるはずなのに。
「……なぁ、二人とも見なかった? さっきさ、赤い着物着たおばさんがいたよな?」
「は、はぁ? なんだよそれ、俺、ホラーとか無理だって知ってんだろ」
田沼が震えている。見た目はゴリラだがビビリなのだ。
「え、マジで何も見なかった? そんなわけ……」
「あはっ、ないないそんなの。ここくる前にやってたホラゲー引きずってんの? あ、それとも田沼のことからかってる?」
林田は特に動じるそぶりも見せずにケラケラ笑っている。
そう、昼過ぎに俺の家に集合してから日が暮れるまで、俺たち三人はホラーゲームに昂じていたのだ。大きな図体で怯え切っている田沼が可哀想になり途中でやめたが、林田はもっと続きをやりたがっていた。
「そーだ。まだ時間早いし、ゲームの続きやりてーなぁ」
「ふっざけんなよ。あんな怖いもん見て平気なお前らの神経疑うわ。俺は帰る」
「いや、俺寝るから二人とも帰れって」
やいのやいのと言いつつ、田沼たちに腕を支えられて細い階段を登りきり、屋台の並ぶ通りまで戻ってきた。その時。
「あ……」
「ん?」
顔を上げると、祭のはっぴを着て軍手をはめ、段ボールを抱えた諒太郎が、そこにいた。
そういえば、諒太郎の父親は自治会長をやっている。きっと、手伝いに駆り出されていたのだろう。
不意打ちで顔を見ることができた喜びで顔が熱くなり、思わず駆け寄りたくなってしまう。
けれど、林田のデフォルトで低い声が、俺をはたと我に返した。
「なぁ千夏、早く帰って続きやろうぜ。こいつのせいで全っ然やれなかったし、めちゃくちゃ消化不良だわ」
「図々しいんだよお前はっ。千夏はもう寝たいっつってんだろ? しつこいんだよ出禁になれ」
「……」
頬を火照らせて諒太郎を見上げる俺の両サイドにいる大柄な男子高校生二人を、訝しげに諒太郎が見比べている。
そうするうち、諒太郎の表情がみるみる険しくなってきたかと思うと……。
ボンっと諒太郎の頭からピンク色のモヤが噴出したように見え、俺は目を疑った。かと思えば、もわもわふわふわしたモヤの中で、何かが動いた。
『あ、ぅあっ……んぐ、んン……』
『はぁ……千夏のクチんなか最高。もっと口窄めてエロい顔して?』
『ん、ぅん……ッ、ぁんっ……』
『おい、もっとケツ上げろよ、ヤりにくいだろーが』
『はぁ、っ……や……もうできない……、ん、ンッ……』
目の前に佇むひとつ年下の幼馴染みの頭上にもわもわと浮かぶピンク色のモヤの中で、どういうわけか俺と田沼と林田が3Pを繰り広げている。
俺はあんぐりと空いた口を塞ぐこともできないまま、着衣のまま口とケツにちんぽを突っ込まれている自分を呆然と見上げることしかできなかった。
——…………は? な、なにこれ?
しかもなかなかの解像度。弾けて飛び散る汗まで見て取れるほどだ。
突然目の前に浮かんだエロ動画(しかも主演俺)に、俺の視線は釘付けになる。
『っ……あぁ〜気持ちいい……。もーナカで出していいよな?』
『ら、らめらって……っ、なかだしなんて……むりぃ……ッ!』
『おい、フェラやめんなよ。俺まだイってないだろ?』
『んぐっ……ンぅ……ん』
足首にハーフパンツが絡まった状態で腰をぐいと突き出させられ、パン、パン、パン! と高らかな音を立てて腰をぶつけられている俺のちんぽも、ピンクのモヤの中じゃしっかりと勃ち上がっている。
しかも、突かれるたびにそれは撓って揺れ、先端から透明な糸を引かせているという有様だ。
その上、頭を掴まれて強引にイマラチオをさせられているっていうのに、俺の表情はどことなくうっとりしているように見える……。
——な、な、なんだこれ。俺は何を見せられてるんだ? ん……っていうか、まさかこれ……。
赤い着物のおばさんの声が、耳の奥でこだまする。
——『人間ってのは、自らの欲を虚空に描いて盛るもの。それがあればきっと、想い人の淫らな癖がわかりましょうや』
俺はごしごしと目を擦り、今度は諒太郎の顔を見た。そして、また頭上を見て、目を瞬く。
——欲……想い人の癖 ……癖ってつまり、性癖のこと……? 諒太郎が、俺であんなどエロい妄想してるってこと……!?
ポカーンとした顔をしている俺に向かって、諒太郎はキッと鋭い目線を突き刺してきた。
祭提灯をバックにしていたから表情はよくわからなかったけど、ものすごく怒っているような顔をしていて……。
「りょ、諒太郎……」
「……見損なったよ、千夏くん」
「は、はい?」
初めて聞くような低音ボイスでそう吐き捨てると、諒太郎はくるりと踵を返して、なかば駆け足で祭の雑踏へと消えていってしまった。
勝手に妄想されて勝手に見損なわれた俺は、この気持ちをどう消化すればいいのだろうか。
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