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第2話

 先程男性医師が触れた服の部分を引っ張り、鼻先に押し当てながら、下半身、特に後ろに指を這わせる。病院で何をやっているんだと思いながらも、どうしようも無い。  ハァハァと息を漏らしながら、夢中で指を動かした。頭の中は内診台で男性医師に神経質に中を触られる事ばかり考えている。見知らぬ初対面のαをおかずにしているのだ。この背徳的な状況に、無性に興奮している自分が居た。 「はぁ……落ち着いてきたかも……」  ティッシュで下半身を拭いつつ、備えてある洗面台で手や顔を洗う。そこには土気色の顔があった。 「ヤバいヤバい、これはヤバい」  頭の中で副作用の報告と照らし合わせて、なる程と思いつつも、自ら体験すると衝撃的だ。一通り気になる所を観察して、写真を撮ってから、コールして人を呼んだ。 「落ち着きましたか?」  対応してくれた看護師がやってきた。 「はい。大変ご迷惑をおかけ致しました。ところで、血をとらせていただけません……よね……自分でやれるのですが、無理ですよね……この薬、思った以上に効くけど本当に引くくらい強いので気になって……」 「そうですね……顔色は悪いですね……一応先生に確認してきますね……」 「お願い致します」  今身体の中で起きている事を想像しながら、研究室の教授に連絡を入れておいた。 「何者なのかちゃんと確認出来ないから勝手に採血は無理ですよ。注射器を渡せない」  男性医師が現れる。 「ですよね……おっしゃる通りです……」  名札には、東雲輝基と書いてある。凄く眩しく光っていそうな名前だと思った。 「あれ、そうか、この薬使うとαのフェロモンに反応しなくなるばかりか、もう充分という気になる……これは凄いな……」  気になって鼻をひくつかせながら、輝基に近寄って行こうとする。良い香りがする事は確かだが、性的に何も感じない。もっと近付いたらどうなるだろうか。ついに触れそうな程の距離まで来た。 「小川さん、小川さん! 一応、一応離れてください、もし何か起きてしまっては大変ですから」 「あっ、申し訳ありません……先生も抑制剤打ってらっしゃいましたよね?」 「ええ、同じヤツのα用を使用しました。若干ですがこちらにはΩのフェロモンを感じていますよ。理性を失う程ではありませんけど。」 「そうですか……」 「ですから、不用意にαに近寄らないで、カラーはつけたまま、信頼出来る方かβのタクシーに迎えに来て貰ってください。想定される副作用の範囲ですが、顔色は確かに悪いので一日経っても戻らないとか、何かあったらすぐに来てください」 「はい」 「それから、一応また受診してくださいね。急性のヒートが続くといけないですし。抑制剤と避妊薬は今まで通りの物を飲んで頂くのが私としては良いと思っていますけど、どう思われますか?」 「私も新薬との相性は悪くないと思っています」 「ではそういうことで、迎えが来るまでこの部屋を使って大丈夫です。お大事にしてください」  そこまで話して、はたと、そういえば盛大に妄想の中で慰み者にしてしまったという事を思い出した。申し訳無さはあるものの、思い返してカッと熱くなるという事が無く、自分の性が凪いでいる感じがする。かえって、普段のちょっとした性欲の揺らぎの煩わしさを自覚してしまう程に、何も、無くなっていた。この薬の効果を早く記録したいが、副作用の中に薬が切れた後の強い性的興奮という報告がある以上、今から大学に向かうわけにも行かない。  仕方がないと諦めていると、教授から迎えに来てくれるというタイムリーなメッセージが届き、お願いした。 「大変だったねー」  車で迎えに来たのは、年中徳利シャツを着た中年の暁教授である。彼はβであり、その中でも、αとΩのフェロモンに極めて鈍感なタイプのβだ。しかし、家族にはαもΩも居る。だからこそ、彼はヒートコントロールの必要性を理解しているし、どちらに寄る事もなく、どちらも大切にしている。Ωである達彦にとって最も信頼出来る研究者だ。 「わざわざありがとございます。採血キット持ってきてくれましたか?」 「当然。唾液も精液も分泌液も汗も何でも好きなだけ採れる」 「ありがとございます!! スーパー鈍い教授には、僕のフェロモン感じませんよね?」 「まっったくわからん。とりあえず自宅で良いね」 「はい。どんな状態になるかわかりませんし」 「そうだね。この薬、オメガ用の方だけはα系の政治団体が圧力かけて緊急承認した、全く信用出来ないやつだからね」 「そうなんですよね、東雲先生も使ったので、大丈夫でしょうか……」 「そうだったの? α用の方は問題無いと思う。一応院長には、この薬のヤバいから要観察って連絡しておいたよ、友達なんだ。そしたら、今日はβの先生が風邪でダウンして、緊急で出てた産休中のΩの先生が予定より早く産気づいて大騒ぎ、それで仕方なくαの息子に丸投げしたらしい」 「ああ、なる程、彼は院長のご子息だったのか……」 「ということはまさか、彼のフェロモンで卒倒したとか? 今は医療事故に厳しいし、東雲病院は一度事故を起こしてるから……無事で本当に良かったけど」  暁が達彦を見る目は、真剣そのものだ。達彦は自分の手足のを見ながら、自分を興味深いラットのように見ていた。  達彦は一時的なヒート抑制の効果が薄れてからのデータを取るため、呑気に暁と共に待っていると、凄まじいヒートに襲われた。一応医師免許を持つ薬学研究者の暁は最悪を想定した重篤な副作用の対応マニュアルにある物を持参していたが全く量が足りなかった。  性欲に支配された達彦は次第に勝手に絶頂して叫びながら痙攣し続けている、客観的にかなり恐ろしい光景だった。  すぐに東雲病院に電話をかけようとしている暁の元に、当の東雲の院長から電話が鳴った。 「先程は、君の所の学生に迷惑をかけたな、様子はどう?」 「今、たいっへんな事になってて、往診というか薬頼もうと思ってたんだ」 「副作用か? 詳しく聴かせてくれ」  暁は現状の報告をし、今日取り立てのデータを読み上げる。 「とんでもない副作用じゃないか……」 「そうなんだよ、非常に稀なタイプのやつが出てる。持参してた薬じゃ足りない。文字にすると強い性的興奮、たったそれだけだが実際は酷い。元々強い性的興奮のΩに、更に強い性的興奮の副作用だ、早めになんとかしないと心臓にも負担がかかるし、下手をすると脳や生殖期にも……」 「兎に角一刻も早く抑えよう。大丈夫だ、すぐに行く。絶対目を離さないでくれ、近いから救急呼ぶより早い」  通話したまま、思い付く限りの処置を二人で上げ連ねながら、東雲は大急ぎで支度をする。診療時間を終えている東雲親子は車で達彦の自宅へ向かった。 「なんだか、独特だな……」 「とんでもないですね……」  フェロモンが溢れ出ている扉の前に、あらゆる道具を置いて車に戻り、暁に声をかける。 「あとは頑張れ、本来ならΩの医者が対応するべき状況だが残念ながら貴重なΩの医者は出産直後だ。暁、お前なら行ける」 「何が何でもキチンと対応するから」 「大丈夫だ。近くに待機してる」  通話を繋げたまま、3人で相談をしながら対応していく。どんな薬であれ、マニュアルを辿りながらも、ほとんどの場合は現場で相手を見て処置していかなければならない。幸いにも鎮静剤が効いた。並のヒート程度に落ち着いてきた。 「ここまでで病院連れてくぞ、暁の車で運んでくれ」  こうして、達彦は意識のないまま本日3度目の東雲病院へ戻った。 「そういや、輝基はパートナー居なかったよな……」 「馬鹿な事言ったら出ていきますよ」 「いやだって、落ち着かせるのには一番……なんせ医者だし……医療行為だと思って……」 「意識の無いΩにそんな事をしたら性犯罪です病院潰したいんですか? まずは体力の消耗と脱水の対応です」 「はい……すみません……」  東雲父は息子に叱られた。 「しかし、せめてシャツ位かしてやってくれないかな……薄っすらならかえって安定するものだから……」 「……」  暁からのお願いには、少し不服そうにもシャツを差し出した。  

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