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第3話
「ヤバ過ぎる……」
「ここの数値が特にな……内臓、ちょっとだけいっちゃったな……」
「安静にしてれば回復する臓器で良かった……」
達彦と暁と東雲院長は呆然と検査結果を眺めていた。輝基は外来を担当している。
「一応脳波も途中から測ってたんだけどさ、詳しい検査はしたほうがいいな」
「ところで、殆ど何も覚えてないんですが、何で東雲病院なんです? 大学の病院でも良かったと思うんですけど……」
「東雲の方が君のカルテは揃っているし、融通効くし、なんせ、近かった」
「確かにそうですね。早速ですけど身を持って体験したヤバい副作用の調査しましょう」
「待て待て、まだ絶対安静だ」
カルテの端末を眼の前に突きつけられた。
「その、僕はともかく。東雲……輝基先生の方は大丈夫だったのでしょうか……」
「大丈夫だよ。全くピンピンしてる。投薬10分後から30分おきに律儀にも血液とってくれてた。綺麗さっぱり効果が消えた分までな」
「ひゃー! 流石です! 東雲病院の跡取り様!」
「本当に能天気だな、輝基くんは自分のα性と処置の判断ミスだと思ってるみたいだぞ……」
「そんな事ないですよ、実際急性のヒートを頭痛薬程度の時間耐えれば一時的に抑えられる、この薬はやはり画期的ではあるのです。一応、どうなってるのか知りませんけど審査は通ったという事にもなっています。特に、デリケートな病院という場では必要な判断だと思いますし、彼も使用してますから、副作用のリスクは平等です。それに、誘発もお互い様ですし、いつもは一人で対処する所を、シャツを貸してくださって安心しましたし。内診上手いし、感謝していますよ」
「凄い、輝基が仕事とシャツ以外でΩから全く意識されてない……程々にルックスでもモテるのに……」
「この年までパートナーの居ないΩだよ?」
「それ言ったらこの子より歳上の輝基とか、輝基が出来るまで番が居なかった俺は狂ってるかもな!」
「未婚の私には負けるよ〜」
ダハハハハとおっさん達が笑った。
大概のαとΩはパートナーを早めに見つける。αにとって番は一対一というわけでも無い。番では無くても性行為の相手が居ない成人のΩは非常に珍しい。αの庇護が無ければ生活が困難だからだ。
達彦の場合、Ωの全寮制学校から出逢いの場を拒否し続けて外部に進学したため、αの庇護は持たない。それでも抑制剤と制度を上手く使えばやりたい事を出来る自分を幸福に思っている。使っても出来ない人は居るだろうと、Ωのコミュニティで育った達彦は知っている。
コンコンとノックの音が鳴る。
「黒岩です」
「はーい!」
「お、来たな」
「黒岩先生、出産おめでとうございます!」
「ありがとう、ごめんね大変な事になって、辛い時に診てあげられなくて……」
「とんでもない、元気に赤ちゃんを産んだって伺いましたし、凄く幸せで嬉しいですよ」
「本当にありがとう、年齢的にぎりぎりの出産だったし、久しぶりだったしで心配してたんだけどね、案の定早く産まれちゃったし。後で赤ちゃん見に来てね、まだしばらくは一緒に入院してるから」
「楽しみです!」
黒岩はこの病院唯一のΩ医師であり、事件の日に出産していた。元々の達彦の主治医であり、憧れのΩだ。
「さっきカルテと薬の資料見せてもらったんだけど、色々と気になって来たんだ」
「何でしょうか」
「まず一つ、暁先生しかいらっしゃらないですけど、誰かちゃんと緊急連絡先に連絡したの?」
「それは大丈夫ですよ、僕の緊急連絡先は暁教授ですから」
「それなら良かった。この人達適当だから信用ならないんだよ。もう一つは、先生方は出てもらえますか? プライバシーに関わるお話をしますから」
おっさん二人はいそいそと出ていく。
「小川さん、ヒートの時にαやβ男性セックスしてますか?」
「全くしていないです」
「そうか……やっぱり……重篤な副作用の報告件数が少ないから半分以上憶測なんだけれど、番を解消されたり、αと死別しているΩを中心に、強い性的興奮の副作用が顕著だと思うんだ」
「では、αとの関係が希薄な人にこの症状が出やすい可能性があるということですか?」
「信頼性の低い共通点だけどね。この副作用報告はホームのΩに多いと思うんだ」
ホームというのは、番を失ったΩが暮らす施設だ。
「なる程……もし、それが原因なら、結局Ωはαからまだ自立出来ないという事ですね……αと離れてしまったΩは、苦しむばかりだ……」
「もう一度言うけど、憶測だからね。それに、このデータ見て」
端末をスライドさせて指し示す。
「あ……僕と同じですね……」
「そうなんだ、強い副作用が出ていた人を中心に、一時的にだけど完全にα性を感知しなくなっている、この人は番と死別していて、かなり精神錯乱が進んでいたんだけど、この作用を呈している間は情緒が穏やかだったという記載があった」
「ということは、過度な性的興奮の問題が解消されれば、ホームで穏やかに過せる様になる可能性が全くのゼロじゃない」
黒岩は頷く。
「αとの性行為との関係は検証した方がいいと思う。もしかしたら、αとの性行為とこの薬の組み合わせについて検証する価値があるかもしれないよ」
「そっか……そうですね、うん、もっと研究してみよう」
「そのために、しっかり休養だよ」
「はい! 先生も大変なのに来てくださって、なんと言ったら良いか……」
「僕達には、とても深刻な話だよね。僕の番はかなり歳上だから……ずっと、いつか、まだ先だって言い聞かせてもね、一人になってしまう事がとても怖かったんだ。幸い、妊娠適齢期は一緒に乗り越えられそうだけど」
「そう……ですよね……僕は……」
達彦は一度頭を振る。
「先生、赤ちゃん一緒に見に行っても良いですか?」
「勿論、もう歩けるの?」
「点滴は外せないですけどね」
スタンドに捕まってカラカラやりながら、新生児室を通り越しNICUまで歩いて行く。達彦は筋肉痛が酷い事に気が付いた。いったい、意識が無かった間にどうなっていたのだろうかと不審に思わないでも無い。暁はとんでもなかったとしか言わない。
「かっかわぁいい……ちっっちゃいかわいい……」
「早かったしほんの少し小さかった割には元気なんだ、単に小さいだけって感じだし、すぐ出られると思う」
「知的なお顔してる気がしますね、先生の髪と同じ色だ優しい色……かわいいよぉ……」
しわくちゃで、まだ誰に似てるというわけでもないのに、どことなく遺伝を感じられるから赤ん坊は不思議だ。
「あ、あれ、あれ? 東雲……?」
「あ、黒岩は旧姓を使っているんだ、医者になったときはまだ結婚まではしてなかったから、僕の現在の姓は東雲だよ」
「へぇ! あ、輝基先生の番ですか?」
「い、いや、輝基は僕と院長の息子だよ……」
「おぉう……大変失礼致しました、そういえばほんの、ほんのさっき、歳上のだって仰っていましたね……」
「16歳で輝基を産んだからね。ハハハ。院長に似て、何時までも番を作らないんだ。親としては心配だよ」
色々な人生があるものだと、達彦は思う。
「番を作らないのは僕も同じですけどね」
「どうしてなのか聴いても良い?」
「うーん、僕は大学の外部入試を受けるまではΩの全寮制に預けられてて、馴染めなかったんですよ。αの学校との交流会も逃げ回って避けてきたし。Ωの学校ってヒートが来たら抑制剤と避妊薬を飲んで首輪はめられて、相手を勝手にあてがわれるんですよ。幸いにも僕の相手はとっても優しいαの女性でしたけど、その方は近い日にヒートが来た同級生のΩの女性と結ばれました」
「その子に恋してた?」
「いいえ、ただヒートが来て、そこに居たαの方というだけです。でも、そんな同じ状況から本当の番になる人達も居るのに、僕にはわからなかったです。何をもってして番になるのかが」
「運命の番を探しているの?」
「流石に運命の番は致命的な思い込みや夢物語だと思っています。先生はどうだったんですか?」
「僕達は事故だったよ、当に事故。僕はヒートが来るのがとっても遅くてね、この病院に検査入院で来てた。でも深夜に初めてのヒートが来てしまって、看護師さんも忙しくて、たまたまただ通りかかった彼を止める状況がそこに無かったの。いきなり番に妊娠、怖くて辛かった。でも、中絶や発狂も恐ろしくて、とても落ち込んでいるあの人と、離れるのも地獄で、せめて一日デートしてみる事にした。それが、本当に、物凄く楽しかった。いい年した彼が必死に笑わせよう、楽しませようってしてくれた。夢を諦めないで欲しいとも言ってくれた。だから輝基が産まれてから医者になったの。それから僕の両親を説得して結婚して、順番はめちゃくちゃだけど、後から関係を作り上げる事だって出来るんだなあって思うんだ」
αとΩのレイプは、コントロール不能な事として刑事罰としては不問に付される事が多い。番になってしまうとαを投獄して引き離す事にリスクもあるからだ。そして示談になるが、Ωの辛さはお金では解決されることがなく、今後もヒートの時に相手をする契約を取り付ける事が殆どだ。
輝基が迷わず自らに新しい抑制剤を選んだのは、両親のそういう事情からだったのかもしれない。お互いが自ら選択する人生を守れる可能性が、あの薬でぐっと増えるだろう。
輝基はゾクリとした。αとΩはなんという大きな尊厳を手に入れようとしているのだろうと思う。
「息子としては、父が若くて美人ってのは結構自慢でしたよ。妹も世界一かわいい」
背後から、南国の花の香りがふわりと香る。
達彦はその香りに、ほんわりとした心地になる、興奮にはならないが、兎に角心地良い。お酒で楽しく酩酊した様な、世界がぐにゃぐにゃでカラフル、そんな気持ちになる。
ぼんやりとした達彦は輝基の襟元に手を伸ばしていた。捕まえた襟を引き寄せて、その匂いを吸い込む。
「父さん……小川くんお願いします、俺はこれ多分、直接触ったらまずい事になる気がする」
「わかった」
黒岩は努めて優しく、大して力の入っていない達彦の手を輝基から下ろす。酩酊した達彦に殆ど意識が無い。
「身体しんどいと思うけど、病室まで送ってくれる? 暁先生と院長呼びだすから」
「大丈夫だよ、あ、歩かせる為の人参代わりに何かちょうだい」
「わかった……昨日もシャツを取られてるんだけど……」
「まあまあ、αの甲斐性と思ってさ」
ハンカチを黒岩に渡し、輝基はその場を離れる。離れていく方向に、達彦は付いていこうとするが、足が上手く動かせなくなってへたり込む。
虚ろな目で、輝基を見つめていた。
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