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第4話

「輝基はまた後で来るから、これで巣作りしようよ」  達彦はハンカチを見つめている。 「巣作りしたことある?」  ふるふると首を振る。 「僕が手伝うから、行こうか」  頷いて、黒岩に手を引かれて歩く。  黒岩はこの状態になった事が無い。理性を飛ばすのはヒート中のベッドの上でだけだ。ヒート前に巣作り行為をしてしまうときの雰囲気に確かに似てはいるが、ここまで意識を飛ばすだろうか。過度なヒートコントロールの影響なのか。と、混乱する。  Ωであり、医者であるとは言え、他のΩが行う極めてプライベートな巣作りの状態を目にする事は多くは無い。自分自身の経験と医学的知識としてあるのみだ。  達彦はどう考えても輝基を気に入っている、恋や愛では無いにしろ、遺伝子上相性が良いのだろう。だとするならば、親子である院長にも反応するのでは無いかという事を思いつく。自分の番である夫を使おうと心に決める。何としてでも状況を理解する材料が欲しい。  暁と東雲はバタバタとやって来た。輝基は居ない。人手不足甚だしい今、外来の対応があるのだ。 「どうした」 「わからない、意識が飛んでるみたいなんだけど、輝基の物を集めたいみたい。さっきナースステーションで輝基が使ったと思われるボールペン拾ってきたんだ」 「ヒートは収まったばかりだぞ」 「あれだけの副作用の後だから、不安定になったのかもしれない。あ、ちょっとこれかして」  黒岩は東雲の白衣を剥ぎ取って、達彦に渡すと、達彦はベッドから3歩後ろの床、黒岩の足元に丁寧に置いた。 「なんで……」 「親子って若干違うのがわかるんだよね……なんとなくちょっと優先度が低いんだろうね。それにね面白いんだよ。ほら……」  黒岩が、場所を移動すると、今まで並べていた物の位置を少しずつずらしていく。東雲院長白衣が、ほんの半歩程、黒岩より後ろにある。 「彼にとっては僕も輝基グッズの一つみたいなんだよね」  東雲は何となく少し白衣を黒岩より手前に勝手に移動するが、すぐに戻されてしまう。 「面白い……こういうの書いてある本とか、巣作りの専門家っていなかったか?」 「居ないね。居るけど、居ない。α至上主義でΩの巣作りの研究とか言ってるけど、本質は部屋を散らかすΩの悪習の治療と躾の研究だから。クソの役にもたたねえよ」  黒岩が吐き捨てる。 「まあ、これで少し納得、極めて運命の相手と言われている何かに近しいと思われる」 「曖昧だなー!」 「仕方ないだろ、ただの伝説なんだから。遺伝子検査とかしてみる? 運命の番の医学的観察」 「それよりも、君もそろそろ休まないといけない時間だよ」 「そうだけど……」 「今すぐにどうと言える話では無い、このあと再びヒートが来るか、戻るか、戻らないか、わからないんだ、我々はある程度の予測を頭に置いてその時々に適切な対処をする、それだけだろ」  黒岩はしぶしぶと頷く。暁は意を決して口を開く。 「うん、小川くんは大学病院の方に移そう」 「その方が良いだろう。もう少し全体的な検査をしたほうがいい。あそこにはまだΩの医者が居ないのがちと、心配だが……」 「そんな……それじゃあ輝基と引き離すの……?」  黒岩は何とも辛そうな顔をする。 「俺もその方がいいと思いますよ」 「輝基……だよね……?」  頭から足まで、すっぽりと防疫用の防護服を着た輝基が居た。 「仕方ないでしょう、俺が生身で近づくと様子がおかしくなるんだから……そんなの小川くんだって本意じゃないでしょう……」 「そんな、そういう事じゃないと思うんだよ、本意とか本意じゃないとか以上に求めてしまう、Ωにはαが必要なんだよ……」 「人間は理性的に意思や人権を尊重されるべきだ。勿論俺にだって意思ってものがある……だいたい殆ど喋ったことも無いんだ、顔を合わせると話せる様な状況じゃなくなるんだから、見知らぬ人といっても過言ではない」 「ヒート中に理性や意思が失われてしまうのが、Ωだよ。無くなる事そのものを尊重しなければいけないと思う、輝基はβの考え方を理想にしていないか? どんなに自制したって、αはα、ΩはΩだろ?」 「父さんは、俺に、殆ど知らないこの子の性欲処理をしろと……?」 「……ごめん……そういうつもりで言いたかったんじゃ無いんだ……そう聴こえてしまう事だった。Ωにとって、セックスをしなくてもαの存在に意味があるんだって言いたくて……」  黒岩は言いたいことに根拠が無く説明しづらい、αの息子には感覚として明瞭にはわからない。噛み合わない空間の中で、達彦は我かんせずと、点滴を引き抜いて、入口に立っている防護服姿輝基を頂点にして、輝基グッズを並べ直している。輝基の香りが強い順番だ。  そして、達彦は輝基の脚の近く、少し離れた所に座って、輝基の足を眺めて満足そうにゆらゆらしている。情欲の濁流では無い分、達彦は幸福そうなのが全員のせめてもの救いだ。 「まあ、輝基くんの仕事にも支障がある、酷な事はさせちゃ絶対にいかんよ。やはり大学病院に移す事は決定だ。ただ、そうだな、αの姉さんとΩの弟を見ていて思うよ、Ωはαが居て初めてこの社会に居られるんだ。αは今の社会そのものだから。先進的なαの若者はβやΩに対して、αと同様に振る舞えば良いと思っている所があるね。しかし、投薬しなければ、パートナーが居なければ、辿り着けない、いつ事故がおきて崩れるとも知れない社会に果たして全員が本当に属したいだろうか? αが頂点に立つ社会で生きるのは幸福なのだろうか? と、たまに考える。ただ、属したいと思うΩ自身や、そのパートナー達の力にはなりたいと思うから、それが私のモティベーションでもあるがね」  東雲ファミリーは、黙って暁の言葉を聴いていた。 「さあ、院長は転院の手続きを手伝ってくれ。黒岩くんは本当にもう休んでくれ。輝基くんも時間とらせて済まなかったね」  各々が動き出した。  しかし、外来を終えた輝基は特に急ぎでやることは無く、少し離れた所で座って居る達彦を、ベッドに連れて行こうと思った。 「小川くん、寝るまで側に居るから、布団に行こう。」  達彦は大切なハンカチを拾って、椅子をベッドの好ましい距離に置いて、自分は布団に入った。それは、お互いが手を伸ばせば触れられるけど、片方だけが手を伸ばしても触れられない、そん距離だ。これは、お互いの適切な距離という事だろうと輝基は考えた。喋らないし、意識はあまり感じられないのに、意志だけは感じられる様な気がした。  輝基はこの状態について、触れられたくないけどαのフェロモンに反応してしまう状態と受け取っている。  しかし達彦の本当の気持ちは、現在誰にも、達彦自身にさえもわかっていなかった。  達彦が眠るのを見届けてから、看護師に点滴を入れ直して貰った。  

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