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第5話
達彦は目覚めると、ケロリと普通に戻っていたし、昨日の事はNICU以降は何も覚えていなかった。
「ご迷惑をおかけ致しました……そしてまたすっごく輝基さんを辱めたようで……申し訳ありません。くれぐれも謝罪とお礼を……」
「ははは、仕方がないよ。ちゃんと伝えておくね」
転院の見送りには東雲院長と黒岩がやってきて、輝基は現れなかった。当然の事だと達彦は思う。
「暁先生、病院に寝泊まりはしますけど、研究室には行っていいですか?」
「あら方の検査をして、痛めた内蔵の数値が戻ったらな」
「ですよね。博士取得が遠のきますねぇ」
「別に良いだろ、のんびり単位取りながら研究続ければ」
「それもそうですね〜」
達彦は実家から金銭的援助のみで無干渉に暮らしている。一度も会っていないが、勝手に振込まれるお金は、大学院でのんびりしても余る程で、このまま研究し続けてやろうと思っている。振り込まれ続けているということは親も生きているのだろう。
「そのうち、僕は独り身Ωとして精神崩壊したりするのかな……まあ、もしもの時は、それもまた人生ですかね」
「呑気だな……輝基くんは……? その、とても気に入ってるだろ?」
「とても、良い匂いがしますよね」
「ヒートが乱れるし」
「そうですね、とてもお世話になってしまいましたね」
「良いのか?」
「良いも何も……彼にとってはテロリストですし。僕からしてもよく知らないですし。実は顔すらあまり記憶にないんですよ」
「自分の事をテロリストなんていうな。悪い事なんて一つもしてない」
「はーい……」
こうして、達彦はもうしばらく検査入院の日々となった。
思いつく限りの検査を受けてみて、身体的な健康にはあまり問題が無かった。しかし、精神科の医師だけが懸念を示した。それは達彦ではなく、大学病院内での主治医としての暁にだけ伝えられた。
「小川くん、唐突な変わった様子の巣作りがあったと言っていましたよね?」
「あった。何か知ってるのか?」
「実際にその現場を目にしていないので何とも言えないですが、番から引き離されたΩがストレスに耐えきれずに感覚を遮断した時に見られる行動に似ているかもしれません。でも彼は番が居ないですよね?」
「居ないな。強過ぎるヒートを無理矢理薬で抑えた事と関係あるかもしれないな」
「ええ、ヒートの時に一人で居るのは強いストレスがかかりますから、それが強いヒートとなると、かなりのストレスがかかった可能性もあります。一時的であれば良いのですが、繰り返すと戻ってこなくなる可能性もあります、Ωのホームはそういう状態です。適齢期を過ぎても番を見付けられなかった場合でも同じですね」
「もし患者ならどう指導する?」
「そうですね……とてもプライベートな事なのですが、番が居ないのならせめてヒートの時に頼れるαかせめてβ男性が居たほうが今後の為には良いのではないかと……指導するのですが、懸念があります」
「懸念?」
「彼、少々性行為が苦手みたいですね。Ωの全寮制学校に居たみたいですけど。あそこは、Ωを安全に養育する学校と言ってますが、最大限無傷でαに引き渡す為の隔離施設の様な学校です、ヒートが来ると裏で保護者の選んだ相手とお見合いやエリートαとの交流会があって、そんな環境で番や庇護者を作らずに卒業するΩはかなり稀だと思います。まあ、見つけたとして愛人とか子供を産ませる目的とか、そんな感じが多いみたいですが……」
「それ、東雲病院の黒岩くんにも指摘されてるな。薬の副作用にαとの性行為が関係してるかもしれない事と、小川くんが全く性行為をしていない事を」
「こちらからしろとも言えないので、この件は往々にして難しいんですよ」
「そりゃそうだ。うん、かなり参考ななった。ありがとう」
「もし、この事で何かあれば遠慮なく相談してください。私、個人的に嫌いなんですよ、あの学校。卒業生が若くしてホームに入る事が多いので、個人的に、ですけど」
「テコ入れする事になったら真っ先に連絡するよ」
「楽しみにお待ちしてます」
暁は、Ωとαのマッチングサイトを眺めながら、ため息をつく。大概が達彦よりも年下、そして胡散臭い。
どうにか、良いαと出逢えないものかと願わずには居られない。いっそ自分の姉に相談するか。それが良いかもしれない。暁家の当主であり、顔が効く。弟がぼんやり研究していても何にも言わない。
暁は電話の受話器を手に取る。
「姉さん、久しぶり」
「久しぶり、連絡よこすなんて珍しい、何事? 研究費の無心?」
「いや、そんな事したことないじゃないですか。 そこそこ実績あるので、それは大丈夫なんだけど、Ωの学生の事で内密に相談したいんだ、時間つくれる?」
「今晩なら自宅に居る。帰ってらっしゃい」
「急だなあおい」
「車飛ばせば三時間程度じゃない」
自分から相談した手前、これ以上の文句は言えないのが暁という家だ。電話を切ってすぐに駐車場に向かった。
「巽様、おかえりなさいませ」
暁の名は巽である。女中さんに頭を下げられる様な立場だった事を思い出して、落ち着かない気持ちが加速する。
「お久しぶりです、姉さんは居ますか?」
「ええ、千穂様は広間でお待ちですよ」
暁の家は、地方の名士だ。分家も携える名門家庭であり、田舎らしく牧歌的にαが当主に選ばれてΩと結婚し、βは外に出て、Ωは親の選びぬいた家庭に嫁ぐ。α同士の結婚に拘るのは都会的でなものだ。
「巽、おかえり。老けたな……」
「姉さんは、お変わりなく……夏海さんもお元気ですか?」
「ああ、今夜はお産があって帰らない」
夏海というのは、千穂の番であり妻である。
「で?」
「αの青年を探しています。二十代中頃の」
「なんだ、ついに人体実験にでも手を染めるのか?」
「いや……まあ、最早染めてると言えるかもしれませんね。今私の研究室に出入りしているΩの学生についてです」
かくかくしかじかと、ここ最近のあらましを話す。
「それで、彼にもそろそろパートナーが居ないと、ほら、今後の研究にも指し触るし、本人も辛かろうと……」
「素直に、実の子の様に可愛がってる学生が心配だからと言いなさい、みっともない」
「すみません……おっしゃる通りです……」
「まあ、無理だろな」
「どうしてです……千鳥とか、分家の子とか、ダメですかね?」
千鳥は千穂の息子だ。
「東雲の息子がお気に入りなんだろ? 他のをあてがっても上手く行かないよ。逃げるだろうし、苦しむだけじゃないか。これだから独り身は恋愛の視野が狭いんだ……」
「しかし、二人ともが頑なで……」
「何があるか、なんてわからないだろう? 私だって、こんな田舎に来てくれるΩなんて居ないと思ってたのに、居たんだから。それでも今後はもっと難しくなるだろうね。暁の考えも変えて行かないと……」
「今はその話では……」
「わかっているさ、まあ、ただ、私が主催している一般家庭出身の子達に向けたお見合いパーティーにねじ込む事は可能だぞ。それにしても、小川の子か……」
暁家にとって小川は少々だけ複雑な心境になる存在だ。小川家に産まれ、不幸な身の上のΩを暁の分家の当主が娶っている。暁には冷遇されたΩが不憫になる血が流れているらしい。小川に限らず嫁いできたΩは皆とても大切にされている。
「まあ、そうだなぁ……東雲の息子も独り身だし、来るといいなぁ……」
「悪い顔だね姉さん……」
「私の名で黒岩宛に招待状を送ってみよう。黒岩なら察するだろう」
千穂の番である夏海は東雲病院初のΩ医師であり、 現在は小さな産院をやっている。黒岩が妊娠したときに慰め、同じ頃に励まし合いながら子供を産んで育てた親友だ。この時も、巽は落ち込む東雲と、悲しむ黒岩の為に何か出来ないかと、千穂に相談したのである。何時までもαの姉に頼ってしまうのもまた暁家の性と言える。
「まあ、なんだ、うちの千鳥もいるし安心してくれ……」
「息子の為にお見合いパーティーか、やるね姉さん」
「最近の子って先進的で真面目なのは良いけども、なんでこう堅物ばかりなんだろうな… …」
「それは、まあ、理性を保てる医薬品の発達も一因でしょうねぇ……」
千穂は巽をキッと睨んだ。
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