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第6話

 達彦は無事に退院が叶い、研究に復帰した。  ハイテンションであれやこれやとやり始めるので、研究室がにぎやかになる。 「この薬、開発者と話せないかな……なんか、違和感があるな、やっぱり」 「何の違和感なんですか?」  達彦の独り言に、学部生から質問が飛んでくる。 「薬って、元々開発する目的と違う効果が出たり、目的は達成してないけど使い道があったりして実用化される事があってね、なんのためにこの組み合わせなのか謎な事があるんだよね」 「この薬もそうなんじゃないかって事ですか?」 「そう。多分抑制剤として作ってなかったんじゃないかな。開発者の名前は当然でてるんだけど、これ最終的にこの薬を買い取って仕上げた企業の研究者の名前だと思う、なんか、この人の製薬の癖的な意味で違う気が……」 「癖……まあ、だとしたら、飛行機で12時間ですね。行っちゃいます?」 「いや……こういうときにΩって悲しいよね、この国、Ωの一人旅はレッドなんだよ……危険なの、特に独り身は……」 「僕が番になりましょうか?」 「遠慮するよ。本当は誰が開発し始めたのか、製薬会社に問い合わせてみよう」 「チェー……先輩なら大切にするのに……」  この学生は、暁研究室に入る為にαでありながらβが多いこの学校を選んだ相当な変り者だ。ふと、この学生がいくら近付いても今までも体調は何とも無い事に気が付く。やはり、輝基のフェロモンに余程影響を受けるという事が考えられた。学生の唾液を貰って、輝基の唾液と比較でもしてみれば、副作用の強さにも関わりがあるかもしれない。  問い合わせに対しては、開発者は公表の通りである。というあっさりとしたにべもない返信が来た。暁からは、そらそうだろうよというコメントを貰った。  達彦の想像では、この薬はΩの番に関わる薬の失敗作だ。重篤な副作用の報告は初期段階に行われたΩのホームでの治験であり、すぐに切り上げたとは言え、そんな場所で治験をしたという事にまず違和感がある。最初から抑制剤ならフリーのαとΩでやるはずで、当然そちらの方がデータとしては量もあり信頼出来るが、記載しないわけには行かなかったのだろう。理由付はホームでの事故防止という、如何にも適当な物である。  達彦はうんうんと唸る。 「小川くん、ちょっといいかな……」 「はいはい、何でしょうか。血ですか? 唾液ですか?」 「違うよ……」  気まずそうな、暁に呼ばれた。 「実は、私の実家からどうしても、どうしてもと頼まれごとをしてしまって……」 「なんです? 忙しいので、さっさとお願いします」 「その、嫌だとは思うんだが……暁が主催しているお見合いパーティーに参加してはくれないだろうか……そういうのが好きではないのは、重々承知しているんだが……どうにかと頼みこまれてしまって……全員入口で抑制剤のチェックをする、充分、安全に配慮しているパーティーなんだが……」  大嘘である。 「いいですよ」 「えぇ!?」 「いや、だから、良いですよ」 「……何が目的だ……」 「ふふふ、ちょっと例の薬の製薬会社とか開発者が参加している学会に出向いてって、出来れば名目上の開発者に接触して、本当の開発者を炙り出してきてくださいよ」 「要求がでっかいなあ!! えーちょっとそこαばっかりの会社だよ……? 無理じゃあねえかなあ……なんかほら色々既にやらかしてるし、怖いし……」 「そこはほら、暁先生ご自慢の鈍感さとさ、お姉さんからのお願いなんですよね? お姉さん、聴く限り強めのイケイケαじゃないですか。頼るとか、なんなら東雲院長を引き摺って行くとか、なんとか」 「うーーーん、そうだなぁ……東雲なら頼めるかなあ……でもなあ……子供が退院したばっかりで腑抜けだからなあ……うーん……わかった、試してはみる、だが結果は期待しないでくれ」 「それは、こちらも同じです、結果は期待しないでください」  二人は硬い握手を交わした。達彦は能天気なものだが、暁の方はかなり頭の痛い条件を出された。個人的に興味が無いとは言えないが、承認反対の筆頭だった暁は立場的にかなり厳しい。  お見合い当日、久しぶりにスーツを着て会場に向かった。当日飲む抑制剤にはグレードの指定があり、そこそこ強めのものだ。入口で試験紙を咥える徹底した安全管理は悪くないと思う。唾液だけでは気休めだけどと思いつつ、会場に入った。  学会の懇親会で来たことのあるホテルの宴会場だが、当然ながら空気が華やかに色めき立っているのがわかる。義理だけで来ている達彦は、隅の方で時間が過ぎるのを待つ作戦だ。立食形式の食事だけは確保してそそくさと隅による。  玉の輿を狙うキラキラと期待に満ちたΩ達は、Ωの学校で見た暗く、せめて親の満足する少しでも上位のαに抱かれようと歪み合うドナドナを待つΩ達とは別物だ。純粋に明るくて美しいなと思う。αの方も一般家庭に産まれた人が多そうで、家柄はそんなに高くないが誠実そうで普通の人が多い。αとしては下位と言える。そんな事を感じてしまう達彦はΩの自身が少し嫌になる。無意識に値踏みし、勝手に判断してしまう。最悪だ。  少しのざわつきで、上位のαが登場した事がわかる。賑やかなものだと思う。そのざわつく一群が近付いてくる雰囲気がして、場所を変えようと歩きだすが、一群の中心から声が出る。 「見つけた! 巽叔父さんの生徒の小川達彦くんだよね? 写真見ただけなんだけど、あってる?」 「巽……? ああ、暁先生のことですか? 確か巽だった。叔父という事は、暁千鳥さんでしょうか」 「そうそう。叔父さんから、どうせ壁際に居るって聴いてたんだけど、本当に壁の花やってるんだね」 「義理で来ただけですからね」 「うん、聴いてたより面白そう。ちょっと話そうよ」 「時間の無駄ですよ、このパーティー殆どあなたのための物でしょう」 「それだけじゃないさ、結構、成婚率高いからね」  千鳥は、少し赤みがかった長い黒髪で、吊り目、αらしく背が高くてがっしりとしていて健康的に日に焼けている。家系の良さから、かなり上位であり、Ωに囲まれている。  そして、それをも凌駕する、一層花やかな雰囲気が会場を満たした時に、達彦はザワリと首筋が痺れた。 「え、なんで……」 「おぉ、目敏いね。幼馴染が来たんだよ。おいで」  千鳥に腕を捕まれて、引っ張られる。達彦は流石にこのランクのαには殆ど逆らう事が出来ないのだ。久しぶりにαの強引さを体感して、悲しい気分になる。俯いて引っ張られる。既にその先に誰が居るのかはわかってしまっている。向こうもわかっているだろう。  甘い南国の花の香りがするのだ。 「輝基! 久しぶり!」 「おぉ……久しぶり……」  輝基は、ずんずんと近寄る千鳥を制して距離を取った。正確には、達彦から距離をとった。 「すまん、母さん達が謀った、俺はこうしないと絶対にブチノメされる。達彦くんもごめん、逆らえないとわかっていて、引っ張ってしまった」 「いえ……大丈夫ですよ……」 「お前も大変だな……うちも父さんに謀られたわけだ……小川くんは暁先生に謀られたかな。久しぶりだね、元気そうで良かった、体調は良いの?」 「大丈夫です、その節は大変お世話になりました、ありがとうございました」  輝基は困ったようにはにかみ、達彦は俯いたままだ。自分の研究の事に頭がいっぱいで、あっさりと騙された事が恥ずかしい。絶対に成果を出してきてもらわなければ、割に合わない。 「研究はどう? 進んでる?」 「はい……」 「なら良かった」 「ちょっと、二人とも、頼むからもう少し和やかに話して、本当に、お願いだから、俺を助けると思って……」  千鳥が懇願する。 「話せと言われましても……」 「研究の事でもいいんだよ? もう少し具体的にさ」 「はぁ……そうですねぇ……今度、暁先生と東雲院長が、片道12時間かけて僕の望む調査結果を持って帰って来てくれる事が、今ほど決定致しました。院長先生に健闘を祈るとお伝えください」 「承った。どんな調査なの?」 「あの薬の元の研究者です。誰かの研究の途中で企業が買い取ったと思われるので、元の研究者が何を目的に始めたのかがわかると、理解が進むと思いまして、僕の予想では、αを失ったΩに対する治療が目的だったのでは無いかと想像しています」 「どういう仕組みだったんだい?」 「ざっくり言うと、α用の方はΩのフェロモンの受容体を阻害して再取り込みさせます。だから打つタイミング次代ではΩに関わる仕事のαにはベストですね。Ωの方は、逆にインターセプターを阻害してαのフェロモンをより強く受容してしまいます。薬内に擬似的なαホルモンも入っていますが、本物の方が勝ちます。なので、手っ取り早く強く満たされるんです。知らずに常用すると近場のαフェロモンを取り込んでしまい、尊厳に関わりますし、性行為を伴うと強く反応しすぎて番化を促進させる可能性があります」 「ということは、Ω用は抑制剤じゃないって事か」 「そうです、α用は単純に今までより強い抑制剤です。しかし、Ω用を誤ってαに使うと、逆効果になる可能性があります。しかも、その点に関してのデータが規定より足りていない可能性も出て来ています、もっと強い注意喚起が必要だと思います。そのあたりは暁先生が検証しています。元々検証が足りていない薬なので、何故急に承認されたか、使用実態を考えるとゾッとします」 「思ったより重い話だったね……俺の専攻農学だからさっぱりだ……」  千鳥が堪らず口を挟む。 「農業……? αとしては珍しいですね……官僚とかでしょうか?」 「いや、現場ですよ」 「千鳥は、地元で農家をやってるんだよ」 「今度、達彦くんにもお野菜たんまり送るね! この前、αが育てた苺、味がすげえ普通に苺で美味いってSNSでクソバズってた。だからやってるんだけどね。αも人間ですよ苺だって作りたきゃ作りますよって話ですよ」 「面白い……凄く素敵ですね」 「あらぁ、珍しい子だね。巽叔父さんが気に入るわけだね。うちにお嫁に来て農薬とか肥料とか作ってくれてもいいのよ」  農業の話が始まってから、いつの間にか取り巻いていたΩが一人も居なくなっていた。 「ふふ、農薬も薬学ですもんね……」 「ねぇ、本当に口説いても良い?」 「えっ……」  急に真剣な顔で見おろされていた。 「ギャッ!!」 「ヒィ!!」 「キャァ!!」  周囲から悲鳴やうめき声が上がった。  これは輝基の威嚇だ。 「おやおやあ、てるくん。どうちたんでちゅかー?」  千鳥のおちょくった言い方に、威嚇はすぐに消えた。 「すまん……今のは生理現象……」 「生理現象ねぇ、まあ、本気でやられたら俺は喋れてないけどね。生理的に達彦くんを口説かれるのが嫌なの? 殆ど目も合わせられないのに?」  達彦は気持ちが沈んでいく。目も合わせられないのに、生理現象で威嚇させてしまうのは、最悪だった。本当に自分はテロリストだと、胸に鉛を流し込まれた様な感覚を味わう。 「僕、帰りますね……騙されただけで、目的もないし……」  二人の顔を見ずに、早足で歩き出す。会場を出たら、走り出していた。  ああ、嫌だ、恥ずかしい。何故輝基の前だといつもおかしな事が起きるのか。輝基の調子を崩させてしまうのか。理性的で、冷静でありたいと願えば願う程、αが恐ろしい。輝基が恐ろしい。 「待て! 止まれ! こっち見ろ!」  その意図的に出された響く輝基の命令に、達彦は抗えない。生理的に。 「なんですか? ずるいですよ。フリーのΩは、その声を振り切れないのですよ」 「ごめん……卑怯な事をした。だけど、あんまり近付き過ぎたらまた意識飛ぶかもしれない。父さん達に聴いたよ。副作用のヒートはストレスが強かった可能性があるって。それで意識を飛ばして巣作りして、それが癖づいたら、戻ってこれなくなるかもしれないって……」 「良いんです。元々、いつかは理性や意思を失うとわかっていて、この生き方を選んでいます。先生方は、とても心配して輝基さんとくっつけようとしているみたいですけどね。僕は意識が朦朧としてばかりで、輝基さんの顔も、今初めてちゃんと見た位なんです」  輝基の姿は、見なければよかったと思う程、的確なαの雄型だ。医療従事者として染めずにきちんと切り揃えた少しクラシックとも言える髪型、顎の鋭利なライン、首の太さ、肩の広さ、胸板の厚さ……もし、α用の薬の治験があるなら是非お願いしたい。Ωにとってだけではない、誰にだって抗えない魅力だろう。相当、モテるだろう。 「さっきの説明で少し理解出来た、あの薬を打った後、強く俺のフェロモンを取り込んで、その後強いヒートを薬だけで抑えたから、精神的なストレスが強くかかった……」 「恐らくは、普段からαとの性行為に慣れていて、αのフェロモンを取り込んでいる人ならあそこまで反応しない可能性があります。あの時、僕の中では輝基さんと性行為をして、その後引き離された様な状態だったと思われます。そこから、薄っすらとだけαを感じると、精神に変調を来す」  暁は結局、ただの医学的見解として精神科医からの指摘を伝えていた。 「納得できて、少しスッキリしたよ」 「ですから、もしかしたら先程の生理的な威嚇も、僕の中にまだ輝基さんのフェロモンが残留している可能性があります、生理的な反応ですから、本当に、暫く近づかない方がいいです」 「こんな経ってて残留は流石にないでしょ……実際、ちょっと千鳥にイラッとしたのは事実だし……」 「……」 「だってさ、ポケットに入れてるでしょ……? ただのα避けかな……でも、わざわざ自分の匂いを纏ってる子がいると、かわいいと思っちゃうんだよ。残留説よりもその匂いの方がリアルだと思う」  達彦はギクリとして、カッと頬が熱くなる。このところ人混みに行くときにはα避けに輝基のハンカチを持っている。上位のαの物を持ち歩くのは、些末なαを避けるのに丁度いい。しかし、本人の匂いを眼の前にしてより濃い匂いに飲み込まれてすっかり忘れていた。 「千鳥はそれに気付いてたと思うけど、あいつ本当に気にしない奴なの。フェロモンなんかどうでも良くて、気に入ったら突っ走る。でも間違いなく良いやつで、幼馴染で、親友で。そしたら、人間的には勝てるきがしない。君を取られる気がして焦って、αの機能で威嚇してた。情けないね」 「すみません、お返しします……無断で持ってきてしまった……」 「良いから持っててよ、でも、持ち歩く程嫌じゃなかったらもう少し話そう、別の日の方がいい?」 「出来れば別の日に、もう、限界です……帰りたい……」 「わかった。タクシー呼ぶから、抑制剤飲んで、カラーはしてるよね?」 「はい……」 「調子悪くなったらすぐに暁先生に連絡するんだよ」 「はい……」  連絡先を交換して、その日は別れた。  

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