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第8話

 Ωの腹の中は、αの精液を総て飲み込む。それが体中を駆け巡り、自然に排出されるまで、マーキングされた様な状態になる。番はそれのもっと強烈な状態だ。 「こわっ……」  学部生のαにとって、今の達彦は背後に死神でもいそうな雰囲気らしい。 「凄い事になってますね。完全な敗北感……」 「学生科にセクハラで訴えるよ?」 「ごめんなさい……」  荒方のαなら排除してくれる、輝基はとても助かるなあと思う。  通常なら、数日間続くヒートだが、今回も不定のヒートであり、一回の性行為でそのまま終了したらしい。  輝基は念の為まる一日居てくれた。興味深そうに様子を観察していた。  抑制剤を多用した割には体調が良い。そして、強い幸福感は、セクハラ後輩以外の周囲への態度も柔らかくなる。やはり、Ωにとっての正常は、αに抱かれる事なのかと思うと、少し落胆してしまう。  長年抗って来たことがバカバカしい事の様に感じられる。 「なんにせよ、その強さのパートナーが出来たなら、行けるんじゃないですか? 片道12時間」 「あ……そうか……確かに……」 「まあ、恐ろしいなりに手は出せると思うので、一緒に行くならですけど」 「うーん……そうだね……来てくれるかな……」 「頼んでみたら良いじゃないですか」 「とりあえず、暁先生の成果を待ってだね」  ちらりと暁のデスクを見ると、急遽行く羽目になった外国の学会発表が嫌だ嫌だと項垂れている。彼自身は聴きに行くだけなのに。だ。 『どう? 食事は行けそう?』 「お……お陰様で……」  達彦は頬が熱くなるのを感じた。 『休日でも研究室に居るんだろ? 迎えに行くよ。18時に正門に行く』 「はい、楽しみにしています」  あの日から毎日電話がかかってくる。意外とマメな人だと思った。達彦の方が研究に没頭してしまうため、自分から電話をかけた事がない。輝基からの電話は、息抜きの時間として活用している。子供の頃はαというのは好きなときに現れてΩを好きなようにしてあとは放っておく生き物だと思っていたが、進学して外の世界を見ていると実に様々な人間が居るものだと思った。  東雲一家は、両親も仲が良いし、輝基の恋愛観の基準はそこにあるのだろうと思う。達彦には少しくすぐったい。 「お待たせしました」 「すんごい荷物だね……」 「あはは、いつもこうなんですよね……」  リュックサックの中にはパソコンと資料がパンパンに詰まっており、その他日用品の入ったバッグも持ち歩いている。 「重っ……」  リュックを後部座席に乗せる為に受け取った輝基は、引いている。 「殆ど紙と電子機器なので」 「電子化しようよ……」 「勿論電子もありますよ」  サッと端末を取り出した。いちいちスキャンしていられない物もあるのだ。 「凄いな……」 「因みにこの端末の中には、今では倫理的に禁止されたΩに対する身の毛もよだつ人体実験の数々が……そして、現在でも規制の緩い国で行われた実験の論文も入っていますよ……」 「よく読めるね……あれ学生時代に少し勉強したけど、結構しんどかったよ……」 「これが無かったら医学も薬学も今の姿はしていないのです……だからこそ、一人一人の存在をなるべくきちんと丁寧に読もうと思って。」 「そうか、そうだね……」 「先日、僕のマッドサイエンスコレクションに新しい物が加わりましたよ……番の仕組みについて、なかなか面白いのです」 「食後に聴かせて貰ってもいいかな」  食後の話は決まったとして、食事中は何の話をするべきなのだろうかと達彦の頭を悩ますが、あまりにも経験が無くてわからない。先に誰かに訊いておけばよかったが、気軽に話せるのは学部生一人と暁位だ。 「往生際が悪い! もう先方は到着してるんだよ!」 「でも……αって、αって……αの雄は好みじゃないよ!!」 「あんまりにも相性が悪かったら、お断りしてもいいから、ね? とりあえず、千穂母さんの顔を立ててお会いして……」  女性二人と、情けない男性の声が、レストランの前を騒がせている。 「あれ……千鳥さんでしょうか……?」  背が高く、長い髪を束ねている男性だ。 「千鳥だね。あと、やつのお母さん達だね」  少し離れた所で立ち止まって待ってみるが、千穂と千鳥が威嚇しながら腕を引き合って力比べが始まってしまった。慣れているのか、もう一人の母親である夏海は少し離れた所で見ている。 「仲裁してくるよ……あれはほっとくと掴み合いの喧嘩になるから……」  二人は、揉め事に向かって進んだ。 「千穂さん夏海さん、ご無沙汰しております」 「輝基!? 輝基助けて!!!」  隙をついて千鳥が輝基の後ろに隠れた。 「おや、東雲の輝基か、大きくなったな……」 「最後にお会いしたの去年ですよ……サイズは変わらないです……」 「元気そうねぇ、クロちゃんから色々聴いてはいるんだけど、会うのは久しぶりね、嬉しいな」  クロちゃんとは黒岩の事だ。 「どうしたんですか? 店の前で」 「お見合いだよ、ちと断れなくてな……騙してここまで連れてきたんだけど、直前でバレた」 「あぁ……千鳥、とりあえず会ったら良いじゃないか。恋人探してるんだろ? お前と見合いしてくれるなんて、余程良い人だ」 「酷い! だって、相手は政治家の山岸の息子だよ? しかもα、まだ学生!!」 「ん? 山岸って、αの息子居ました……? 娘だったような……」 「Ωの妾の子だ」 「あーあ、そういえば山岸って不思議な感じですよね、αの正妻さんとΩのお妾さんが仲いいって聴いたことありますね」  達彦も政治家の子供でαの山岸には覚えがあった。唯一ラフに付き合える学部生だ。輝基の袖を少し引っ張る。 「どうした?」 「あの……多分ですけど、その子知ってます」 「へえ、どういう子なの?」 「変な奴です。何となく千鳥さんとは気が合うと思う。僕の後輩で、暁先生を慕ってαの学校を蹴って、うちに来て研究室に入り浸ってる。主に僕と暁先生の資料を分類してるだけだけど。割りとよく気付くんだ。多分向こうは千鳥さんを気に入ると思うし、断りたかったら無理強いする奴では無いと思います。あまり世間体とか気にしないから」 「君か! 巽の教え子ってのは、ほぉ……デートか……?」  千穂が誂ってくる。 「暁先生には、お世話になっております。小川達彦です」  頭を下げる。 「カップル成立の数に入れておこう……」 「そ、その節はどうも……」  輝基がお礼を言う。 「良かったなあ、収まるところに収まって! では、輝基くん、千鳥を頼むよ……?」  千穂は少々威圧感のある空気を出している。千鳥は後退る。輝基は苦笑いだ。αの強さは遺伝子だけではなく本人の自信や立場も影響する、若い輝基や息子の千鳥よりは千穂の方が強い様だ。 「千穂さん、輝基くんを巻き込んじゃダメですよ……」 「しかしな、もうだいぶ待たせてるんだぞ……」 「あの、本当に多分千鳥さんと気が合うよ……? もし、結婚することになって性別変更する事になったら、是非ともデータ取らせてくれないかな……山岸くんはノリノリでオッケーするはずなんだよ……生殖期の発達とかさ……じっくり観察したい。千鳥さんもそういうのいけそうだから……会うだけ、会うだけ……ね……? 無理なら無理で良いから」  いつの間にか、達彦は千鳥の手を取り、キラキラした目で引っ張っていた。 「えぇ……えええ……てか、うわっ最悪、輝基のせいだよ!」  達彦から漂う輝基の濃い匂いに本能的な萎縮をする、その上に基本的に暁の人間はΩには紳士で優しい。 「解決しましたね」 「なかなか見所のある子だね」  千鳥を助ける者は誰も居ない。 「やっと食事にありつけた……」  レストランの個室に暁ファミリーを押し込んで、自分達の席に辿り着く。 「色々考えたけど、考え過ぎて結局コースを頼んじゃったんだ。嫌いなものとかは?」 「無いです! ふふふ、学校のマナーの授業以来のコース料理です! ワクワクしますね!」 「それは良かった」  輝基は職権を乱用してアレルギーは調べていた。  飲み物はワイン、前菜は瑞々しくキラキラしている。 「千鳥さんは上手く行っているでしょうか……」 「まあ、千鳥はヘタレだから」 「山岸くんもヘタレですよ。最近僕の背後の輝基さんに怯えているので」 「いやーそれはなあ、俺の影響ばかりでも無いと思うんだよね……」 「Ωにはわからない事があるんでしょうね。でも、助かっていますよ、αが避けてくれますから」 「そうか……」  輝基の複雑そうな顔が面白かった。 「うむぅ……このテリーヌ、学校で食べたのより圧倒的においひぃ……! 複雑で優しい味がします! 美しい、オキシトシン!」 「テリーヌがオキシトシンか、じゃあこのスープは何?」 「アズレンでしょうか……シンプルなじゃがいものポタージュ、見た目もかわいい。青くないけど」 「メインが楽しみになってきた」 「ウルシオールみたいな、面白さがあるといいですね」 「ウルシオールはちょっとついていけなかったな」 「こんな形です」  達彦はスープの残りで皿の縁に書く。 「あ、すみません……お行儀悪かったですね……」 「良いじゃない、授業じゃないし。楽しめば。充分所作は身についてて美しいよ」  お行儀の恥なのか、褒められた照れなのか、達彦は赤くなった。 「あ、そうだ、忘れてたんだけど。暁先生と父さんの学会旅行の話なんだけど……幼い娘と産後の番を置いて出掛けるのは嫌だって、毎日毎日毎日毎日それはもう、煩くて……代わりに俺が行くことになりそうなんだ……」 「やっぱり……すみません……」 「いや、元々俺がぼんやりしてたせいだから……」 「僕も避けてたから……」  二人で照れてしまった。 「輝基さんが行くなら、僕も行こうかな……」 「行きたくなかったんじゃないの?」 「いいえ、本当は行きたかったんですよ。でも、あそこΩの旅行は非推奨地域で、あの取引をしたときはまだ輝基さんとは……」 「元々階級の強い国だからね……行く前にちゃんとマーキングしとかないとね」  達彦は本格的に赤くなった。 「またおかしくなるから……辞めてください……」 「でも、大丈夫そうだね」 「そうですね、有り難い事です……」  話しているうちにメイン料理が出てくる 「で、メインは何ですか?」 「カレンですね!!」 「カレイだから……?」 「見た目も魚っぽいですし、それに、ハーブがローズマリーなので」 「3重か……なかなか理知的で秀逸だねえ……」 「輝基! 達彦くん! 俺! 結婚する!!」  千鳥が席までドタドタやって来て、殆ど叫ぶように言った。 「邪魔するなよ……」 「親友が一番に報告に来たんだぞ!? 酷く無いか!?」  達彦はもう何を計測するかで頭がいっぱいだった。 「た、大変です……!!」 「どうした……」  輝基が心配そうな顔をする。 「僕、医師免許無いからやりたい生殖器の観察が出来ない……ただの異常者になっちゃう……暁先生も流石に専門外の設備は借りれない!」 「居るじゃん、目の前に借りれる人が! バースの何やってるのか知らないけど、それ系のなんかの博士の人が……」 「へ……? 妊産科医では……?」 「今は、実家の手伝いってやつで、普段は同じ大学の医学部に居たりしてね……隠してたわけじゃないよ、今まで言うタイミングがこれっぽっちも無かっただけで」 「総て解決しました。ご婚約おめでとうございます!」 「千鳥!! お前は突然飛び出して! 馬鹿か!!!!」  千穂の怒声と共に千鳥は耳を掴まれて連れて行かれた。 「めでたいですねぇ」 「どうだろうな……めでたいのか……?」 「目の前の人が幸せな顔って、それだけで良いじゃないですか」  達彦はデザートを堪能している。 「それは確かに、間違い無いね」  

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