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第9話
「小川くん、申し訳無い」
「んもう、今度は何ですか?」
「暁家緊急招集がかかった」
「それで……?」
「学部の授業代理でやっといて! じゃあ! 私は急ぐので!!!」
「ちょ、ちょっと!! そんな雑に!! 暁先生のバカ!!!!」
暁は走って行ってしまった。
「あはは、暁先生相変わらずだね」
「あ、山岸くん。婚約おめでとうございます」
「ありがとございます。小川先輩の授業も楽しみですね」
「山岸くんが去年Sとった5年生の授業だから」
「空いてる時は聴講してるんですよ。今日も聴ける」
「何でそんな事を?」
「僕、暁先生の授業は時間の限り片っ端から聴講していますよ?」
「凄いね……」
「大好きですから」
妙に真剣な声だ。
「大好きって……」
「尊厳してるんですよ。僕には千鳥さんが居ますからね」
「嘘だ、千鳥くんはこの前会ったばっかりだし」
「ほんとに、尊厳してるんです。昔話聴きますか?」
「聴く。聴くよ。僕で良かったら何でも聴く」
「ありがとうございます」
山岸が高校生の頃、父親は薬の承認に関わる仕事をしていた。
件の緊急承認の是非を巡り、かなり難しい選択を迫られている中、暁が自宅を訪ねて来たのだ。
「それでね、政治家でαで、立場が難しかった僕の父親に向かって、暁先生は危険性があることは事実でありその見解は一研究者として絶対に曲げられないって、強く言い切ってた。そんで、説得しちゃったんだよ。βのおっさん一人で戦ってて、情熱が本当にかっこよかった」
結局、この暁の情熱に動かされた山岸はわざと結論を先延ばしにし、そして失脚する事になった。
「一応、僕は父親もとても尊厳しているんですよ、そういう所が特に。失脚したとしても、どうしろっつんだよな! って言いながら大好きな母さん達と笑ってたり、結局味方が凄く多い所とかね」
その後、山岸は野党に移り名誉を回復するに至る。
「イラついてるαの雰囲気をスルーしちゃう鈍感さも好きだし、僕はいつもふざけていますけど、ただ単に自信が無いだけで。自分より強いαとは戦えない。そう思ったらもう、暁先生は堪らなくて」
山岸は、千鳥と会う話が出てすぐに、暁に話した。
「千鳥さんとお見合いをするんです。父が、暁と縁を持ちたいって。どう思いますか?」
「どうもなにも、家同士の事は私はわからないけど、千鳥は良いやつだぞ。私が言っても身内贔屓だけど、安心して会うだけ会えばいいよ。多分気が合うしな」
「暁先生より好きになれますかね?」
気付いて欲しい、止めて欲しい、そう少しは願っていた。
「ハハハ、こんなβのおっさんより、αで若い千鳥の方が数億倍すぐに好きになる要素あるぞ!」
「そうですよね……ちょっと安心しました。もし上手く行ったら叔父さんって呼びますね」
「好きにしろ〜」
「こんな感じでケリが付きました」
「そうか……頑張ったね」
「全然伝わってないんだもん、凄くさっぱりしましたよ。千鳥さんには秘密ですよ。物凄くショック受けそうだし。千鳥さんがおじいちゃんになったら教えてあげようと思っているので」
「ねえ、本当に千鳥くんのこと好きになれる? 無理してない?」
「ぜーんぜん、あの人ほんっとに可笑しいんだ。夜中に急に電話してきたかと思ったらさ、トマトの毒性についてとか必死に話してくるんだよ。薬学生なら毒とか好きだよね? って、4トン食わなきゃ死なねえ毒素ですよって教えたら、俺の作るトマトが美味すぎて人殺しになるかもしれないどうしようって怖がってて。本当に退屈しなさそう」
「トマチンかあ……人殺しは難しいなあ……」
「ね、面白いですよね。そんで、結局、声聴きたかっただけとか言うんですよ。しかも、かけようかかけまいか3時間、何話そうか悩んでたら夜中になったって。そんだけ悩んでトマチンですよ? どうかしてますよね」
「なにそれ?」
「ただの男心じゃないですか?」
「男心か……」
「先輩には無いですか?」
「うーん……声だけでも、Ω的にはヤバい時があるから結構危険なんだもの……」
「それですよそれ、同じですよ多分」
「そうかもしれないね〜」
近頃は少し、こういう恋バナ的な話も理解出来るかもしれないと、達彦は思った。
暁巽は嫌な予感のする用事に出向いていた。片道3時間弱の距離はなかなか大変だが、先日顔を出したばかりの暁を無駄な用事で呼び出す人では無い。
それも、緊急とわざわざ伝えてきたのだ。
「さて、知っているとは思うけど、千鳥が結婚します」
「存じていますよ、うちの研究室の子ですから」
「ありがとう。山岸くんから、巽が千鳥は本当にいい子だ安心していいと、太鼓判を押されたと言っていた」
「事実ですよ」
そして、千穂の空気が張り詰めた。
「それで、本題だ。私に隠し事をしているな……」
「流石に中年もそこそこ経験してますからね、姉に話さない事はちらほらと……」
「小川。糸輪財閥の傍系の傍系でありながら、強い虚栄心とα至上主義で有名だな。そろそろ糸輪からも見限られるのではと噂される。冷遇されている様に見せかけて、大切なΩを糸輪と殆ど関わらせずにΩの学校に入れて目の届く様に隠すのにはうってつけだと思わないか? Ωの娘を物の様に扱って虐げた、あの小川が、Ωの子に大金を使って学校に入れるとは思えない」
「昔に比べて世間体が悪くなりましたからね。姉さんの考え過ぎではありませんか……」
「そして、あの子は強過ぎやしないか? 小川程度では足元にも及ばない程に強いαの子供のはずだ。今までどういうわけだか隠れていたが、東雲の影響で発現しているのではないか? 東雲は先代が自ら畳んでしまったが、かつては糸輪と肩を並べた家だ。しかも、Ω親はお前の職場の理事長の息子、黒岩なんだぞ」
「私は鈍感なので……」
「26年前、お前は留学先が同じだったな、糸輪の当主、糸輪公彦と。いったい何があった?」
巽にはただの視線の鋭さに感じてしまうが、恐らくαかΩがここに居れば、震えていただろう。流石の巽でも、千穂が誤魔化されてくれる気が無いと悟った。
「単に、私は第2の性を研究していただけですよ……事故の不幸からαとΩを救える方法、ただそれだけです。でも、母国を離れていると、普通なら親しくならないような立場の人とも親しくなる、という事です。それは、私もそうですが、公彦にとってもそうです。私と親しくなったのも、β女性と親しくなったのも、ホームシックの様なものです」
「それでは……」
「ええ……達彦くんはその頃の仲間であるβと、糸輪公彦の、子供です」
「ところで、お前が帰国して、急にフェロモンに鈍感になった事や、頑なに結婚しなかった事に、関係はあるのか……」
「それについては何一つお答えする気はありません、応とも否とも、答えません」
「すまない、行き過ぎた詮索だった……」
「いえ、随分と心配してくださっていたのは理解していました。申し訳ありません」
千穂は息をついて、緊張を緩めた。
「それで、どうする気なんだ?」
「どうする気もありませんよ。ただ、友人達の子供達を見守るだけですよ。そして、困ったときに助けるだけです」
「助けられる範囲の事しか起きなければ良いけどな……」
千穂は、少し考え込んだ。
「千鳥の婚約、はやまったな……」
「どうしてですか?」
「山岸は、ああ見えてもちゃんと政治家だぞ。何故急に田舎者の暁と縁を持ちたがる?」
「それは……適齢期の子達が……」
「そんなの、この世に何人居ると思っているんだ。巽が山岸に関わった理由は、留学中の友人があの薬に関わっていたから、指名されたと言っていたな。それは、同時期に留学して、あの薬に唯一反対したαの大物、糸輪とお前の交友に勘付いているからでは無いか? 監視の目的で息子をお前の所に置いてるんじゃ、ないのか? 縁では無く、微かでも繋がりを持ちたいのは糸輪ではないのか? 自分が失脚してでも暁巽を立てたのは、お前の後ろにいる糸輪を立てのではないか?」
巽は、何も言えなかった。あの薬の審査に指名された理由は、政治家では無いが影響力のある糸輪公彦の推薦だった。当時、個人的な連絡があったわけでは無い。ただ、糸輪が推薦したという話だけで、巽は自分が何をすべきかを悟った。
あの薬が辿った道を既に知っているからだ。
「千鳥は、どうなるのですか……」
「さあな、もうどうにも出来ない、千鳥が乗り気だから、今更こちらからは断れないし。総ては山岸の立ち居振る舞いと、糸輪の出方次第だろう。我々は、とことん田舎者を貫く。それだけだ」
「姉さん、すみません……」
「構わないさ」
暁はαが当主になる。その他のαは分家となり、βやΩの兄弟や姉妹達をαの家族が守る。そういう家だ。産まれるαの性質としては上の中といった所だが、米問屋から始まる歴史は長い。大筋で言えば黒岩家も300年前に暁から分家しているらしい。
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