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第12話
四人が手当を受けた個室の扉が開いた。
輝基の身体にザッと鳥肌がたつ。達彦はフニャっとした雰囲気になる。暁は、俯いて固まっている。
「お疲れ様です」
「ご苦労様、酷い怪我だな……」
公彦は顔を顰める。
「肋骨数本いっただけです」
「それは酷いと言うんだよ。一人で行かせたのは大きな間違いだった。すまない、よく踏ん張ってくれた」
「仕方がないですよ」
女性は少し嬉しそうに頭を下げていた。上司を信頼していることがわかる。
「巽、随分と久しぶりになったね」
「いや……何処かで見てる気はしてたんだ……」
「そこそこ見てたよ、執着する質なんだよ」
暁は話を切り上げて達彦を向いた。
「達彦くん、彼は糸輪公彦、君の本当の父親だよ」
「はぁ……そうでしたか……」
「リアクションが薄いな」
暁が呆れる。
「いや、会ったことが無いので、小川だろうが糸輪だろうが何でも構わないといいますか……どちらかというと暁先生の方が親に近い感情を持っているのではないかと、親がなんであるかを知らないので憶測ですが……」
どちらかと言うと、輝基の方が衝撃を受けていた。というより、公彦の強過ぎる雰囲気に圧倒されていた。
「東雲くん、とんでもない事に巻き込んで、怪我をさせて申し訳無い」
「いいえ……」
頭を丁寧に下げられる。
「早く彼女の所へ。達彦くんが危険なんだ」
暁が焦る。
「屋上にヘリを待たせてある」
「ヘリ! 初めて乗る!」
達彦は、いつの間にか普段通りに戻っていた。それが、どう考えてもおかしな事だと全員が思っている。達彦自身でもおかしいと思っている。そして、意図的に輝基と目を合わせない、触れないようにしている。
「あ、そうだそうだ、実の父親なのでしたら、これを預けておきます。今の所一番適任かと思われますので」
渡すために近付き、誰よりも背の高い公彦を見上げたときに、素直に本当に父親なのだと思った。他の人には威圧感であろう強いα性は、達彦にとっては包み込まれる様な安心感だった。輝基に感じていたものに非常に近いが違う、安心感だ。
目を通して、顔を歪め、すぐに畳んで懐に入れた。
「必要無い事を願うよ」
渡したのは、精神崩壊の時の生殖器摘出や、未承認を含むあらゆる治療の、最悪の場合の安楽死、そして臓器提供の同意書、更には献体の申請書だ。医学と薬学に最大限貢献して朽ちる志しだ。
達彦にとって、今現在最も考えたく無いのは、輝基の番として苦しむわけでは無い事だ。この世に存在しない成分上のαの為に苦しむのだ。
達彦は、あの薬の作用を知っているが、番を解消する術がまだ医学的には無い事も知っている。
ヘリは凄まじい音を立てながら浮かび上がる。そして、あっという間に街を飛び越えた。何処までも続くかと思われた都会の風景が徐々に薄れ、田園が広がり、そして山を超えてその裏側に辿り着く頃には、達彦は荒い息をして赤くなり震えていた。周囲のαにすら達彦のΩフェロモンはうっすらとしか感じられない。輝基は、構わず達彦に手を伸ばした。
「離してください」
「嫌だよ」
「今、ヒートが来ています。感じられないでしょ?」
「だからこそ、こうしてられるんだろ?」
優しい顔を向けてくるのが、酷く寂しく感じる。身体の中では違和感のある輝基の雰囲気と、記憶として好ましい輝基が混ざり合い、戸惑う。
達彦は体内で自らの身体が得体のしれない物に支配され屈伏させられていく気持ち悪さを感じ、胃が締め付けられた。
「グッはぐ……!!」
言い終わる前に、胃液がダラダラと口から垂れて、そういえば食事を忘れていた事を思い出す。それでも胃は止まらずに出そうとする。
輝基がハンカチで受け止めながら、背中を擦る。グエグエと言いながら、ボタボタと目と鼻からも液体が垂れる。
「もうつくから」
公彦も、焦りを感じられる声になる。山の中に無機質な壁が出現し、電線が巡り、その壁の門だと思われる所にはライフルを構えた人間が何人か居る。あまりにも物々しい雰囲気だ。
「今、幽閉されているんだ。断固守れという大統領から直々の監禁命令が出てな……」
「大統領令……? そんなことに……」
暁が動揺した。
ヘリが着陸すると、輝基は達彦を抱きかかえて降りた。ぐったりとしている。
「兎に角中へ……」
女性が扉を開けて足早に全員が中に入ると、しんとしたエントランスに、何故だか不釣り合いに大きなテーブルと椅子が何脚もあり、正面で10代位の女の子がお茶を飲んでいた。テーブルには人数分のカップが置いてある。気味の悪い光景だった。
「急を要するからお茶は後、治療を頼むよ」
「わかった」
テーブルに無造作に置かれた白衣を掴んで、正面、テーブルの奥に伸びる階段を駆け上がっていった。着いて行くと、左側の廊下の一番手前が開いている。
中にはベッドが一台、学校の保健室の様な見た目だ。
「まず、ヒートを止めるね。えっと……飲むやつだよ、信じられない位、苦い」
シリンジに入れた水薬を、達彦の口の中に噴射した。目玉が飛び出る程、人類が感知できる限界の苦さがした。
「これが良いよ」
パックのりんごジュースを渡された。
「待て!! 賞味期限を確認してくれ!!」
公彦はりんごジュースを奪い取り、目を細めた後にストローを刺して手渡した。以前同じ様なノリで渡された三年も賞味期限の切れた飲み物で死ぬほど腹を下し、ジュースから検出された菌の殺菌剤を投与されて、その殺菌剤で荒れた胃腸を保護する薬を飲まされ、仕上げに乳酸菌を飲まされたのだ。
「うん、効いてきました」
「できた! 凄い! アン偉い! 鼠では効いたから大丈夫だと思ったんだ」
「凄いな、アン。エヴァ1.5の対処をしてほしい」
「えっと……強くする? 弱くする? 消す?」
「消す」
「わかった!」
流れる様に、達彦の血液を抜いて、デスクに向かい、乱暴に機械に押し込んだ。
「レイプ?」
「これが投与されたものです」
輝基が慌ててアンプルと注射器を渡す。
「エヴァ1.5はアンのやつだね。でも血液から見るに市販の疑似ホルモン剤が入ってる。これは嫌い、Ωを死にたくさせる事しか出来ないね」
「そうだね、だから助けて欲しいんだよ」
「わかった」
機械から繋がったパソコン画面を眺める。
「中に居るの誰?」
パソコンの画面をノックしている。
「本物のαならこの人、輝基くんだよ」
「わかった、血ちょうだい」
「はい……」
腕を差し出すと、立ったまま採血をした。
「アン、初めての人は座って採血……」
公彦は顔をしかめた。
「ごめんなさい……」
「あ、大丈夫です大丈夫です、医師なんでいつもこんなもんです」
「よかった!」
輝基の血も機械に放り込む。
「うん、君が輝基ね、わかった、君はここにいてよし!」
再び画面に向かって話している。
「なあ、アンは、アンはどうしたんだ……元々おかしかったけど……だいたい何で見た目があのまま……」
「一度、崩壊して、死にかけた、その課程で色々やり過ぎてなぜか見た目が変わらなくなったらしい」
「崩壊……?」
「君が帰国した直後、関わっていたマフィアが彼女を手放すまいと、アダム1を打たれた。それで、マフィアの番にされて、そのマフィアが抗争で死んだ」
「マフィア……」
「暫く良いように使われてた間にな、マフィアの手でエヴァ1.5が量産されてしまった。しかも番が知らない内に死んでるものだから、よくわからずに軟禁先で崩壊しながら自分で腹に内視鏡を入れて、自分で卵巣を摘出している最中に捜査員に踏み込まれて、手術が終わるまで入るなと騒いだらしいが、そんなの聴いちゃくれなくてな、射殺は免れたが感染して生死の境を彷徨った、心神喪失やら各所からの訴訟やら……その騒ぎでエヴァ4の論文だけ取られてしまっていた。で、裁く側も何が何だかわからないし、あまりにもな研究量で、今後どれだけ影響があるかもわからない、まだ未成年だったし、安易に殺したり閉じ込めるわけにもいかなくなって、研究所に軟禁という形で落ち着いた。幸い外に出たがらないしね、余程マフィアや警察やらが怖かったそうだよ……私は大統領に許可を貰って、彼女の存在を隠して研究を適切に処理して、今まで作り出した危険な物を回収して必要な物は提供し、訴訟を片付ける役割を担っている」
「なんてやつだ……」
「アンらしいだろ?」
「そうだけど……」
アンは椅子でクルクル回りながら、カプセル状の薬を噛みながら飲んでいる。
「あの薬は、損傷して過活動気味になった部分を抑えて、大人と会話をする為の物だそうだ」
「4個も考えた! 褒めて!」
「凄いな、偉いよ。聴かせてくれ」
「1は陰茎と卵巣を摘出して無性になる。2は エヴァ4.5とアダム1で番を消す、ヒートでバカになるかもしれないからオススメしない。3はアダム3でαにして性別変更、今のホルモン値だと公彦しか出来ないけど負担が少ないよ。ビッチング無しは身体が耐えられない。4はエヴァ4.5を両方が使って輝基に項を噛ませる、これは結果が予測不能だけど安全性が高いと思う」
「何を言ってるのかわからない……」
輝基と達彦には何がなんだか全くわからない。
「アダム2は使えないのか?」
公彦が質問する。
「アダム2〜2.9を全部試しながら使うなら可能だけど、うまく行かないから2.9まで作った、それに本当はアダム自体あまり安全じゃない」
公彦とアンの会話を聴きながら、達彦は堪らない気持ちになった。
「アンさん……エヴァとアダムの資料くださいな……」
すぐにバサッと紙束を渡してきた。その文字を見て、暁が持っていたメモ書きの資料と同一人物だと確証が持てた。横から覗いていた輝基も納得した。
「あ、さっきのはヒート中に効く解熱薬が混ざってるのか……」
「アンが思い付いた事をヒート中に忘れて悔しかったから考えた。他の病気や怪我で弱っている人のヒートには必要だと思う」
「なるほど。アダムは遺伝子に影響力を持つのか……」
「だから危険なの、Ω遺伝子を活性化するアダム1は実績がある。アダム3は人をαにしてしまうけど元がΩだと骨格の成長で血肉が吹き出すし、骨が歪む。アダム3はβ化を考えたけど、βは発達に差があり過ぎて使いものにならなかった。αとΩはβに比べたら少しは画一的なんだ」
「1の場合の摘出で、陰茎も切除しているのは何故なんだ?」
輝基が質問をする。
「Ωのヒートの時には、卵巣、脳、陰茎……と呼ばれているけど、陰核みたいなものから、ホルモン指令がある。陰茎を残してしまうと、卵巣から出ない物を補う為に陰茎がホルモンバンバン出そうとして、脳も行き場がない指令を陰茎にバンバン送って、特に親が強いαで影響を受けていて男性Ωの場合は陰茎が発達しやすいから、常に発情した生殖能力の無い男性器に……だから、このタイプのΩは陰茎も取り除かないとヒートが収まらないという見え方になる、卵巣摘出だけだと結果に差があって一部は社会に戻れない。そうでない体質でも痒くなったり、陰茎を使いたくなったりはするかもしれない」
「なるほど……可能性はあるかもしれない……」
「アンが調べただけだからエビデンスとは言い難いけど、今日はアンの言うことは一旦鵜呑みにしてほしい。研究するなら資料はあげるから」
達彦は一枚一枚資料を捲って話を理解していく。
「現実的なのは、1.3.4みたいですね」
「3はすまないけど無理だ、気持ちの問題が殆どだが、番がいるので、達彦を性別変更出来る程フェロモンが出るのか怪しい」
「遺伝子的には公彦もエヴァ4.5を使えば出来るよ? ただ、凄く攻撃的になるけど」
「アン、それは最終手段にしよう、近親者という倫理観の問題だ。最悪の場合は惜しまないから」
「あ、倫理観の問題か、アンの苦手なやつだった、ごめん」
「僕も親の感覚無かったです。そしたら、とりあえず輝基さんと二人にしてください。あと、何かご飯ください」
「用意しよう」
皆がぞろぞろと出ていこうとする中で、アンはまじまじと達彦を見る。
「初めまして。アンはあなたのママに酷い事をしました、ごめんなさい、でも、ありがとう」
「はい……?」
「達彦くん、後でちゃんと説明するよ……」
暁がフォローを入れた。
「わかりました」
アンは紙束を回収してライターで火をつけ、暖炉に投げ込んだ。面白い程によく燃え上がり、ただの紙では無さそうだった。
「これは残したらいけないから。最後にアダムとエヴァは全部アンと一緒に燃えるよ。今日、用意したのはさっき電話で公彦に用意を頼まれたから、口で総ては説明出来ない」
そうして、皆が部屋から居なくなった。
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