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第17話

 帰国してから物の数日で、世間は騒然とした。世界的な製薬会社の不正と犯罪行為がメディアで騒ぎ立てられ、取締役や役員の数名が逮捕された。  投資家の大損、Ω人権団体からの猛抗議、取引企業の声明、地獄絵図と化した。  しかし、ホテルの襲撃事件の詳細は被害者不在の大失敗と報じられ、ホテル側の損害額で盛り上がっていた。  襲撃の真相は、エヴァ4を製造する自身の勤める会社の重役を脅して欲しいという依頼を、ヴァレンタインファミリーの下っ端が小遣い稼ぎで引き受けた。  その襲撃を知って直前に部屋を巽に割り当てられる様に変更した重役、そこに更にα原理主義のテロリストを投入した事により事態は拗れた。  小うるさい文句を言ってくるβの暁に痛い目をみせようというものでありながら、冗談では済まされない行いであった。製薬会社の重役は糸輪が出てくる事を知らず、という、あまりにも杜撰な計画だ。  相手が糸輪の関係者だと知ったヴァレンタインファミリーは青褪め、ろくに調べもせずに引き受けていた末端連中を締め上げて、依頼者から渡されたエヴァ1.5の所有者の情報を持って詫びを入れに来た。  公彦は国内外様々な場所を行き来しなければならなくなった。 「それで、君はどうしてこんな事を? ミシェル女史」 「ミスターイトワ、私は医療従事者なのです」 「真っ当とは思えないが、まあ、この情報は役に立ったよ」  エヴァ1.5の製造場所や製法の保管場所をヴァレンタインファミリーに渡したのは、このミシェルという女だ。少し派手に脅してもらうだけでも、この会社のきな臭さが世間に知れるのではと考えたのだ。しかし標的を暁に挿げ替えてテロリストを投入する等とは思わなかった。 「私の浅薄で悲惨な事になってしまった事を心からお詫び申し上げます。私の警察への自首はヴァレンタインファミリーにキツくとめられていますから、直接償いを命じてください」 「まあ、そりゃあね。でも、そこでここに乗り込んでくるのはまた何というか、凄いね」 「私は、あなたが会社を引き継いでも退職するつもりです。だけど、それまでに何故こんな蛮行に及んだのかを私の口から伝えたかった」  ミシェルが公彦のもとに訪れたのは、エヴァ4に付属されているαの抑制剤についてだと語る。 「この薬を医療現場、教育現場、その他で義務化させたかったのです。開発した時、社内では反発があった。Ωに対する抑制剤の開発には積極的でも、αを抑制する事には思想的問題があった。だけど、あなたの国ではアカツキのお陰で両方がセットで承認されています。当然の事だと私は思います。我が国ではΩ用だけしか承認されませんでした」 「なるほど、それは医療従事者としては忸怩たる思いだったろうね」 「私はαこそ自制する術を持つべきだと思っています。いえ、両者が持つべきだと。今のこの国の社会では難しい。あなたとアカツキの力が必要です」 「表向きはね、それで?」  ミシェルは居住まいを正す。 「ここまでは蛮行の言い訳です。許されようとは思っていません。しかし、アンにこれを渡して欲しい。騒ぎの結末を聴いて、どうしても研究が必要な薬を彼女は持っている可能性がある」  ミシェルはとある症例を公彦に渡した。  それは、βとして生きていながら、極めてΩに近い状態になってしまう遺伝子疾患の患者についての症例だった。ヒートに似た状態になってしまう場合もあるが、ヒートとしては認められない為に薬は保険が効かない国が殆どだ。対処法の中には膣の形成手術なんてのもある。心身と経済に多大なる負担がかかっている可能性が示唆されていた。  そして、ミシェルはその自助グループの相談役を努めていた。 「私のパートナーは、この疾患で自殺してしまいました。Ωのフェロモンとヒートを持ちながらも、子供や番を持つことの出来ない男性βは、発情期に常に怯えていた。」 「君がそれだけの不満を会社に抱えて、退職しようとは考えなかった理由がそれかい?」 「あの会社の研究が私には必要でしたから。Ωの抑制剤では最先端です。今は諦めるべきだと考えていますが、当初は上を挿げ替えたいと思っての行動でした。せめて、最後の悪足掻きに、あの天才にこの疾患の存在を届けて欲しいと願ってしまった」 「なるほど、また連絡しよう。それまでは退職も認めないからそのつもりで、何事も無かったフリをしてやるべきことをやってくれ」  ミシェルはエヴァ1.5の事を調べる内に、アンに辿り着き、アンの事件を調べ、トリプルシックスの残党にも接触していた。  アンが本当に何をしたのかは知らずとも、可能性を感じていた。  今のアンなら、協力する可能性もある。大統領は幾度か交代し、今はそんなに厳しく監視されている訳では無い。監視命令が事務的に更新されるのみで、忘れられていると言っても過言ではない。アン本人に判断を任せようと思った。一般的には信用ならないサイコな行動をする人間のほうが、アンと上手く話せるかもしれない。  暁と達彦は大学での仕事に追い回された。工場は稼働し続けていたが、大手製薬会社の崩壊は医療現場への影響も少なくはない。安全性の高い薬でも使用を拒否する患者が現れ、混乱した。そして、国内での承認反対の筆頭であった巽には取材依頼が殺到した。  その様々な事を片付けるのに一月ではとても足りない程だった。 「そのようなわけで、エヴァ1.5とエヴァ4を作っていた会社は糸輪の傘下に移動したらしい」  公彦からの報告を受け取った巽は、暁家と山岸家の結婚披露宴に集まった達彦と輝基に一応報告した。 「そんなに簡単に行くものでは無いと思うのですが……」 「糸輪の連中のやることは執拗で緻密で気が長くて頭がおかしいんだ、そこらのヤクザよりヤバい……あまり詮索しないように……」  輝基の至極全うな疑問に対して、暁が説明した。  実際には何年も決定打は打たず、ここへ来てやっと内部に送り込んでいた間者連中にゴーサインを出す確実な材料を本人達とマフィアが揃えてくれたという事でもある。  逮捕者が出て、メディアが騒ぎ、ヴァレンタインファミリーが扮装したデモ隊に一般人も合流し、面白い事になった。  不評極まりない倒産寸前の製薬会社を「病気に苦しむ人々の為に失う訳にはいかない」という大義名分で引き取るのだ。  そんなグローバルな事件をよそに、暁家と山岸家の婚姻が行われた。  仲人は黒岩家が引き受け、きちんとした「嫁取り」の形をとったのだ。その古式ゆかしいやり方は家同士のご縁を意味する。ある意味では嫁という存在を中心に、お互いに礼節を持って身内として接し合おうじゃないかという、暁家からの牽制である。  巽からすれば、少々憂鬱だった。糸輪からの祝辞を預かったからだ。暁家と堂々と関係する宣言の様なものであり、これは暁家を守る切り札とも言えるし、面倒事は糸輪が引き受けるという事。そして、山岸は糸輪との繋がりを得るのだ。妙な事にならないかという不安と、妙な照れくささがあった。しかし、表向きにはただの旧友に見えるだろう。    披露宴では結納のムービーが会場に流れる仕様になっており、後輩の白無垢姿は、達彦を大いに笑わせた。  千穂としては流石にそこまでは望んで居なかったが、本人達の強い希望で山岸は白無垢になったと、輝基が笑いながら教えてくれた。当主達が緊張感のある牽制をしあっている中で、壇上の当人達は仲睦まじく、とても楽しそうで、呑気だった。  糸輪からの祝辞にはざわついた。達彦は、そんなに影響力のある人間なら、自分の存在は隠して当然であろうと思われた。 「山岸くんおめでとう」  白無垢を脱いで黒いタキシード姿の山岸を祝った。 「ありがとうございます。先輩。性別変更の経過は義母さんや東雲さんと調べて纏めておきますね」 「よろしくね」 「達彦くん、お食事はいかがでしたか?」  千鳥が訊ねる。 「美味しかったです! きゅうりがきゅうり味で、きゅうりって薬味なんですね」 「嬉しいねぇ、俺が作ったお野菜使ったのよ」 「やはり! 本当にお野菜って素晴らしいですね。そういえば、山岸くんは大学どうするの? すぐに千鳥さんの所に行くの?」 「卒業までは居ますよ。卒業したらすぐに千鳥さんのもとへ行きます」 「じゃあ、また学校でね」 「今日は来てくださってありがとうございました!」  山岸は爽やかに笑う。   「良い披露宴でしたね〜二人らしくて、短期間でよく準備しましたね」 「そうだね、家によって行く?」 「お邪魔で無ければ」 「嬉しいよ、その前に東雲病院に寄らせてもらうね」 「わかりました」  他愛も無い、としか言えない雰囲気で会話をしながらも、輝基は幾ばくかの心配事を確認したかった。  夜の東雲病院は静かな様でいてそうでもない。産科もあるためだ。  輝基は個室に達彦を連れて行った。 「少し話そう」 「はい、何でしょうか?」  達彦はわざわざここで? と思いながら首を傾げる。 「当然といえば当然だから、あまり深刻では無いと思うんだけど、今月はヒートが来ていないね」 「……そう言えば!」  忙し過ぎて忘れていた。  達彦は一件以来、ヒートコントロール薬を飲んでいない。大凡の日程は決まっているはずだが、本人はすぐに忘れてしまう。暁と輝基の方がマトモに把握している程だ。  様々な薬を使ったため、暫くは不安定でも仕方がないとはいえ、自覚が無いのは問題だ。ヒートが来ない為にまだ番にもなれていない。 「検査、いくつかしても良いかな?」 「はい。お願いします」  採血をして、一応の妊娠検査もしておくが、当然ながら妊娠はしていない。 「血液の詳しい検査出しておくね」 「よろしくお願いします」 「何か変化はある?」 「少々疲れやすいですけど、ホルモンバランスが乱れているなら、当然という気がしますし、治療でのダメージは受けていて当然ですし……」 「そうだね、当然なんだけど、場合によってはもっとしっかり安静にしてもらわないといけないと思う」  内診の為に脚を広げて、器具を入れる。 「あ……」 「医療行為だよ」 「わかってるんですけどね……はしたなくてすみません……」  輝基は噛み殺して笑っている。 「うん、子宮にも目に見える問題は無さそう。血液検査で炎症が見られなければ、経過観察かな。でもなるべく安静にはして欲しいな」 「はい……」  カーテンも閉めずに、輝基の顔を見ながら内診されるのは初めての事で、どうしても治療として内診台で抱かれた事を思い出し、ヌルヌルとしたジェルと硬いものの入る感覚とが、達彦を追い詰めてしまった。 「いたたまれないです……」 「実は、そんなに気にしなくても、Ω男性では珍しくはないんだよね」 「そうなんですか……」 「恐怖心や緊張感を克服する為に充血する事もあるからね」  達彦は少しだけホッとした。 「まあ、達彦の場合は話が違うけどね……」  輝基は達彦の物を擦り上げる。 「せんせぇ……それはだめぇ……」 「検査だよ検査……」 「絶対ちがう……あ、もう、すぐいっちゃ……クッ……」 「正常正常良かったね。少々溜めすぎですけど」 「黒岩先生に言い付ける……」 「それは勘弁して……」 「帰って続きしてくれたら秘密にしてあげます」 「それは助かりますね」  何気なく、輝基は出された精液を顕微鏡で見てみる。特に意味も目的も無かったのだが、何かがあってはいけない、というほのかな気持ちがそうさせた。 「おぉ……珍しい!」 「なんです……?」 「君の精子、ざっくり何となく生殖能力ありと言える位居る」 「え、居るんですか……?」 「冷凍しとく?」 「流石にあっても使い道が……自分で産めるし……ただ、記録は取りましょう。精液検査に出してください!!」 「はいはい。そういえば、君のマッドサイエンスコレクションの中に、処女懐胎のΩの記録が無かった? 単為生殖したやつ」 「ああ、なるほどね……男性Ωだとホルモンバランス次第では起き得る……と」 「そうかもしれないね〜」 「今後は薬害として起きる可能性もありますね……」 「そんなに頻発はしないと思うけど……」 「治験でのポイントとして把握しておくのが良さそうです」 「Ωの単為生殖については調べておくよ」 「よろしくお願いします」  

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