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第2話
当時は結構話題になったらしい。田舎で話が広まるのも早かったし、なにより連日のようにテレビの報道陣が押し寄せたとか。
犯人は一階の窓から侵入し、金目の物は無いかと部屋を漁っていたところ、一階にいた夫婦に気付かれて、揉み合いの末に夫婦ともに刺殺された。物音に起きてきた男児……伊佐名 鐘斗も一階で刺されて気を失ったが、後に病院へ搬送されて一命を取りとめる。二階で寝ていた姉も物音と悲鳴で目を覚まし、犯人にバレないよう逃走を試みたが捕まって、乱暴された後に刺殺された。犯人は逃走したが、争う声や激しい物音に異変を感じた近所の人の通報によって駆けつけた警察官に取り押さえられたそうだ。
「あー……気が滅入る話聞いちゃった。……聞かなきゃ良かったな」
胸の辺りがもたれたようにムカムカして気持ちが悪い。持って来ていたペットボトルのお茶を全て飲み干したけれど、治まらなかった。けれど、いってしまえばそれまでで、思ったほど深い同情の気持ちが湧く訳でもなく、あまり現実味も感じられない。
「テレビでもよくやってた気がするけど、本当に見たことないの?」
机に肘をつきながら京丞が言う。そう言われても、全く心当たりなどない。
「そういえば、丁度その頃『視力下がってきたから、テレビとゲームはなるべく禁止!』とか言われて、勉強ばっかりさせられてたわ……。外で遊ぼうとすると絶対親同伴だったし」
「あぁ、意図的にテレビから遠ざけてくれてた訳ね。愛されてるじゃん」
「うーん……まあ、当時はただただ鬱陶しい制限だったし、ニュース見てたところでそこまでショックとか受けなかった気はするけどな……」
「素直じゃないなぁ……」
あの頃急に集団下校になったのも、もしかするとその事件が関係していたのかもしれない。それまでは各自で自由に帰っても良かったのに、校庭に集められ、帰りの方面ごとに分かれて、六年生が先頭になり下級生の面倒を見ながら帰るというスタイルに無理矢理変更させられたのだ。言われてみれば、三年生の頃に始まったかもしれない。
「あと、伊佐名が有名なのはそれだけじゃないんだよ」
「へー」
すっかり興味が伊佐名から小学生時代の思い出へと移ってしまった俺は、机の小さな凹みを指でなぞりながら生返事をした。
「水泳。あいつ、水泳がめちゃくちゃ凄くて、中学の頃から大会で優勝しまくり」
「へぇーそうなんだ。……というか、なんでそんなの京丞が知ってんの? 俺らと伊佐名って同じ中学校だったっけ……?」
「いやいや、お前が知らなすぎるだけ。んで、水泳って上半身は裸じゃん? 刺された腹の傷痕がすげえ目立つんだって。見たこと無いけどさ」
「そう、なんだ……」
それは、少し心に引っかかる。何故かは分からないし、同情とかとは違う。それでも、『伊佐名はどんな気持ちで泳いでるんだろう』とか、『俺だったら、傷痕見られたりとか、注目されるのとか嫌だけどな……』と、あまりにも自分と違う世界を生きる同級生の気持ちが、ほんの少しだけ気になった。
無意識のうちに爪で引っ掻いて広がった机の凹みをボーッと眺めて、伊佐名の傷痕を想像しそうになっている自分に驚き、手を止める。
「皆もやっぱり、伊佐名の傷痕みると事件思い出しちゃうらしい。まあ、伊佐名自身その事件以来周りに心開かなくなっちゃって、基本一人で誰とも喋らないみたいだけど」
「ふーん…………なんか、アレみたい」
「え、どれ?」
「なんだっけ……この間テレビで見たやつ」
「情報少なすぎ。なんだよ、いつ? どんなやつ?」
「なんか、世界で一番孤独な鯨 ……みたいなやつ」
五十二ヘルツの鯨は、未だに詳細の分かっていない正体不明の鯨の個体だ。この鯨は非常に珍しい五十二ヘルツの周波数で鳴くが、通常の鯨はもっと低い周波数で鳴くため、この鯨はおそらく、この周波数で鳴く世界で唯一の個体。そのため、五十二ヘルツの鯨の鳴き声は他の鯨には聞こえていない可能性が高く、『世界でもっとも孤独な鯨』とされているそうだ。
また、五十二ヘルツの鯨の鳴き声は毎年観測されているが、その個体を発見することはできておらず、種類を特定することもできていない。
◇
突然の流行り病によって悉く潰れてきた学校行事だったが、今年は宿泊学習が近場の水族館に辛うじて化けた。いや、それでも不満はかなり上がったが、「何もないよりはマシ」「まあ、ずっと授業よりは……」と、結局皆してソワソワしながら班決めなどを行っている。水族館なんて、昔家族でも行ったし、小学生の校外学習でも何度か行ったが、あの水族館の巨大水槽は意外と有名らしく、それを目当てに観光に来る人達もいるらしい。そう思えば、案外悪くない。遠方の人がわざわざ来るような所が近くにあるのは、なんか少しお得な気分だし。
「先生―! バナナはおやつに入りますかー?」
クラスのお調子者が、高校生にもなって定番の質問をしてド滑りしているのを横目に、俺は窓の外へと目を向けた。水族館は一週間後。一限目と二限目は普通に授業で、三限目と四限目が校外学習だ。お昼はそのまま水族館近くの海浜公園で食べるらしい。母さん、絶対お弁当はりきるだろうな……。ありがたいけれど、こういう時、母は運動会の一段重箱のようなお弁当を持たせるので、かさ張るし揶揄われるんだよな……。京丞は喜ぶけど。あいつ、意外と大食漢だから。……あれ、母さん……京丞の為に多めに作っていたりしないよな? 昔から「京ちゃんはイケメンね♡」なんて言って……あれ、母さん?
「どうした孝、そんなに俺を熱く見つめて」
「……睨んでんだよ」
「え、なんで?」
「お前に俺の母さんはやらん……」
「何? まじで何の話?」
「こらそこー。母親を含めた複雑な三角関係を作るなー」
不本意ながら、バナナより僅かにウケた。
俺と京丞による母さん(俺の)を巡る三角関係の噂が消えるまで、残り六十八日……つまり、あの日から一週間が経った、水族館への校外学習当日。俺は予想通りに一人運動会弁当を抱えて水族館へと向かう羽目になった。いや、これは母さんの愛情の重さだ。……果たして俺へのものか、それとも京丞へのものか。
「お、孝ん家の弁当楽しみだなー」
「お前にはやらん」
「え、なんで? つか、それ一人で食べきれんの?」
「食う。絶対に」
「……まあ、なんだ、食いきれなさそうだったら言えよ」
その慈愛に満ちた目をやめろ。幼馴染みだから、俺が小食なのも把握済みなのだろう。
「あ、そうだ。孝ちゃんさ、もし迷子になっても絶対に出口から出ないで。その付近の扉の前で待っててね。あと、探し回ってあちこち行かないこと」
「お前、俺の母さんを奪っておきながら、俺の母さんポジまで奪うつもりか」
「最近ずっと何言ってんの!? もう、これはマジのやつ! 孝ちゃん方向音痴だし、集団行動苦手で直ぐ迷子になるでしょ」
「……うん」
思わず俯く。昔から、遠足やら校外学習やら修学旅行やら……少し何かに気を取られているうちに皆とはぐれていたり、慌てて合流しようとして事態を悪化させてきた過去がある。その度に京丞に助けられていた訳だが……ああ、そうか。母さんが持たせてくれる多めのおかずは、京丞に対する迷惑料というか、お詫びみたいなものなのかもしれない。
「……やっぱりおかず、食べていい」
「なに変なタイミングで反省してんのさ……。別に俺は慣れてるから良いけどね。ああ、もういっそのこと、手繋いで回る? 俺としてはそっちの方が楽だし安心なんだけど」
「……やだ」
「はいはい。……ほら、行くよ」
五人で一グループなので、他のメンバーとも合流するべく残りの三人の元へと向かう。とはいえ、この世で友達と呼べる人間なんて京丞くらいしかいない俺からすれば、彼らは友達の友達であり、正直気まずかった。悪い人たちではない。寧ろ、華のあるイケメンばかりなのに、偉ぶったりしないで優しくしてくれる、良い人たちだ。しかし、俺からすれば、その気遣いが逆に煩わしくて、いっそ居ないものとして扱ってくれれば良いのに……だなんて、贅沢な事を思ってしまう。
「とりあえず、順路通り回っていくか」
「しっかり見たい所とかあったら教えてねー」
「特に孝」
「京、なんかオカンみたい」
「過保護はよくないぞー」
「ちげーんだって、孝はマジで目離すといなくなんの!」
わいわいと楽しそうに話ながら、水槽をほぼ流し見で歩いて行く京丞とその友達三人。俺は、その一歩後ろを歩きながら、本当はもっと一つ一つ、解説も読みながら見たいのにな……と思いつつも、そう声が掛けられなかった。ただでさえ京丞のお情けで入れて貰っている陽キャグループだ。
「まあ、どうせ俺、陰キャ眼鏡だしな……」
かといって、自分でお金を払ってまで見に来ようと思うほど熱心でもないし、諦めはつく。意外と楽しみにしていたらしい自分に驚きながらも、京丞に迷惑をかけたくなくて、なるべく離れないようについて歩いた。時折振り返っては俺の様子を確認する京丞と、適度に話を振ってくれる京丞の友達。頭をフル回転させて、相手の気分を害さない、当たり障りのない返事をするよう努める俺……。
ぼーっとしている間に、話題が京丞の最近ハマっているバンドの話になった。俺は良く分からなくて、いつも上手く返せずにただ聞くだけになってしまう類いの話だったが、京丞の友達の一人もそのバンドにハマっているらしく、残りの二人も音楽が趣味とのことで急激に話が盛り上がり出す。
――俺、なんで此処にいるんだろう……。
息が詰まって、足も胸も急にズンと重くなった時、抜けた通路の先に巨大な水槽が現れた。
「うお……」
身長よりも遥かに高いところまで、透明な壁は続いている。その中を悠々と泳ぐ魚の群れと、巨大なエイ。それから、サメもいる……。吸い寄せられるように水槽へと近づいた。
下の方には岩やサンゴが沢山あって、岩陰に小さな魚やエビなどが潜んでいる。中央付近には旋回するようにゆっくりと泳ぎを楽しむエイとサメ。時折、水槽のガラスにぶつかりそうなくらいまで近づいてきて、迫力が凄い。上の方では魚群が何グループも忙しなくグルグルと回っている。下から上へ眺めていって、その水槽から降り注ぐ光の煌めきに目を奪われた。水中から見た揺れる水面って、こんなに綺麗なんだ……。
「すごい……」
吐息のように、言葉が零れた。
「ああ、そうだな」
「……え?」
まさか返事が返ってくるとは思わなくて、慌てて声のした方へと視線を向ける。
そこに立っていたのは、伊佐名だった。
「また会ったな」
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