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第4話

 自分は周りと違うかもしれない。そう思い始めたのは、小学校高学年の頃だ。  保健体育の授業が始まって、女子の生理だとか、男の精通だとか、男女の身体の違いだとか……そういうデリケートな話が出始めた。しかし、その頃はまだ違和感程度で、「〇〇が可愛い」とか「○○って、おっぱいデカイよな」とか、そういう会話に上手く乗れないことが始まりだったと思う。  中学生になって、『○○のことが好き』ということが判明すれば、二言目には「え? お前、〇〇でシコッてんの?」と揶揄われるのが当たり前になってきた頃には、明確に自分の傾向を理解していた。  そんな時に流れた、『孝汰は先輩男子の〇〇が好き』という噂。その噂を生み出した奴は冗談半分で、揶揄うことが目的だったらしい。俺も、直ぐに上手く否定が出来れば良かった。けれど直接そう揶揄われた俺は、急に事実を突きつけられて、中途半端にどもってしまったのだ。そうして冗談半分だった噂は、真実として広まり始めた。やがて、真実だった話は尾ひれを付けて、俺の身を離れて勝手にどんどん大きくなっていく。訂正しようと、弁解しようと、沢山の大きな声に、俺の小さな声はかき消されていく。気が付いた時には、相手の先輩男子に「勘弁してくれ」と軽蔑の瞳を向けられいて、いじめが始まってしまった。  今にして思えば、いじめられた期間は随分短かった筈だ。初めの頃に体育倉庫へ閉じ込められた為、いじめに気付いた京丞が庇ってくれるようになったから。  京丞に殴られ返り討ちにされたいじめっ子たちが、「なんだよ京丞! お前もホモなのか!?」と言い放った時、本当は違うはずなのに、平然と「そうだよ」と言ってのけた京丞は、今でも俺のヒーローだ。 「だから、伊佐名も俺と一緒にいたら、ホモだって……ゲイだって言われて、あることないこと言われるよ」  雨の中、傘から逃げ出してずぶ濡れの俺には、流した涙が雨で誤魔化されるのも、降った雫で眼鏡が見づらくなるのもありがたかった。 「……別に良い」 「良くないよ。伊佐名が良くても、俺が良くない。自分を、許せない……」 「じゃあ、確かめてもいいか?」 「え?」 「俺が、お前を好きかもしれない可能性」  伊佐名が差していた傘が地面に落ちて、俺は暖かい身体に包まれた。 「なに……」  自分よりも大きな、厚く筋肉質な身体。閉じ込められるようにぎゅっと抱きしめられて、自分の身体が雨で冷えていたことを知る。 「伊佐名、濡れちゃうよ」 「いい。……それよりも、お前の名前を教えてくれ」 「あれ? 言ってなかったっけ……?」 「聞いてない」  ふは、と吐息のような笑い声が漏れてしまい、緊張していた身体から力が抜ける。 「龍巳(たつみ)。……龍巳 孝汰だよ」 「龍巳」 「うん」  伊佐名に名前を呼ばれると、まるで自分の名前に特別な意味があるかのように思えてくる。 「俺も、伊佐名の苗字しか覚えてないから、下の名前を教えて欲しい」 「鐘斗(しょうと)だ」 「伊佐名 鐘斗……。綺麗な名前だね」 「……」 「あれ、照れてる?」  耳の先を少し赤らめて、視線を逸らした伊佐名が何だか可愛くて、もっと見たくなった。伊佐名の頬を両手で包み込み、くいっと自分の方を向かせる。その行為に、むっとした顔で睨んできたかと思えば、伊佐名の顔が徐々に近づいてきた。 「え? ……ん」  ふにっと柔らかいものが唇に当たって、音も無く離れていく。雨で濡れたそこは、しっとりと俺の唇にも水分を残して。 「待って、伊佐名。まっ……」  待てと言いながら、縋るように伊佐名のワイシャツを握りしめる手。次のキスを待つように伏せてしまう瞼。全てが矛盾している。瞼を閉じるその際に、見つめ合った伊佐名の瞳には、見たこともない熱が灯っていた。もう一度唇が触れ合った時、自分がいつの間にか背伸びまでしていたことに気付く。 「ンっ、……ん、ぅ」  数回、角度を変えて触れ合わせ、伊佐名が俺の唇の合わせに舌をそわせた。眼鏡がズレて、視界がぶれる。 「っ、んぁ…伊佐名……キス、したことあるの……?」 「……先輩とか、年上の人と、何回か」 「……」 「だめ、だったか……?」 「だめじゃない。……けど、よくもない」 「……男はお前が初めてだ」 「デリカシー……」  思わず目前の頬をムニッと摘まんで咎める。 「すまない……?」 「もう……分かってないじゃん」 「でも、済ませておいて良かった」 「え?」  伊佐名の頬を摘まんだままでぶすくれている俺の手に、彼の手が重なった。 「お前が特別だと分かる」 「……」  こんな、たったの一言で、いとも簡単に絆されてしまう。だから、伊佐名はずるい。 「俺は、お前に惹かれてる」 「……俺も」  そう言うと、目の前の男が顔を綻ばせて、再び俺を強く抱きしめた。 「身体、冷えてきたな。俺の家、近いんだ。寄っていかないか」 「伊佐名の家?」 「ああ。それから、聞いて欲しい話がある」 「……もしかして、伊佐名の、その……ご家族の事件のこと……?」 「そうだ。流石に知っているか」  伊佐名の腕の中で俯く。そう、勝手に聞いてしまった話。『気が滅入る話』とか『聞かなきゃ良かった』なんて、そんな残酷で、簡単な言葉で消化して、理解した気になってしまった過去の自分が信じられない。いま目の前にいる伊佐名に、実際に起こった出来事なのに。 「ごめん……。でも、俺もきちんと聞きたい。伊佐名の口から、伊佐名の選んだ言葉で……」 「ああ」  ゆっくりと身体を離した伊佐名は、片方の手を俺と繋いで、もう片方の手で地面に落ちた黒い傘を拾い上げた。 「……初めてだ。誰かに、この話を聞いて欲しいと思ったのは。自分から、この話をしたいと思ったのは」  降る雨粒よりも柔らかく、俺の額に伊佐名の唇が触れた。

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