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Punish me your power

 クレマンのUチップシューズが、白いタイルの上に広がる水溜まりを映り込んだ青空ごと跳ね散らす。靴底に貼り付けたビブラムのハーフソールは、エリオット辺りが見れば邪道だと顔を顰めるだろう。けれど革底と違って水は吸い込まないし、滑る心配も無用だし、バタバタがさつな足音を響かせることも皆無。プールサイドを歩き回るには打ってつけだった。  幾らゴードンが行ったり来たりしていても、プールの中心に浮いている青いフロートマットは、漫然と漂うばかり。悠々身を預けているハリーは先程から微動だにしない。グッチのサングラスの下で目が開いているか閉じているかすら判別出来ない有様なのだ。 「もう年貢の納め時ですよ。簡単でしょ、選択肢はイエスかノーだけなんですから。何なら首を振るだけでもいい」 「世の中、そう簡単に白黒付けられるものじゃないんだよ」  ビニールの腕置きに乗せた手の中、指がとんとんとかったるそうにリズムを刻む。 「ディズニーパークは飲酒可能だったか」 「段階的に解禁されつつありますね」 「そうか……酔って『塔の上のラプンツェル』のフリン・ライダーにキスした奴とかいないのかな」 「そんな事を企むのはあなた位ですよ。良いじゃないですか、スポンサーとして招致すれば。その金で、ヴェラクルスの鳥についても、何か対策が打てるかも知れない」  ここまで言っても、ハリーは答えを保留する。或いは単に気に食わないことを思い出し、拗ねてしまっただけかも。胸乳に浮いた汗が滑る肌を乾かすよう、態とらしく伸びをして「あーあ」なんて呻いてみせる。 「ハイネケンへの返答期限は今日の夕方5時までです」 「中部時間で?」 「そう、つまりあと6時間を切りました」 「参ったなあ」  参ってるのはこっちだ、と悪態をついてやりたいのは山々だった。何が悲しくて、長期休暇に仕事を持ち込まねばならないのだろう。「あんたいつもそうじゃないか」なんてヴェラスコは生意気を抜かしていたが、そんな事はない、昨年のハヌカーは娘達や元妻と一緒に過ごした。  今回だって少なくとも誠意は見せようと、マックブックは昼前にメールを確認したきり、ダイニングへ置きっぱなしにしてある。世の全てが気怠い夏の午後の保養地。やる気がないのはこちらも同じことだ。けれど市長には、それなりの責任がある。  目の細かい紙やすりのような、ひりひりした熱風が吹き抜け、水面に漣を立てる。ようやく端の方へ漂って来たハリーを先回りして待ち構え、ゴードンは腰に手を当てると、プールサイドの縁から身を乗り出した。 「俺だってとっとと仕事を終えて、休暇を楽しみたいものですね」 「どうせすぐ、また新たな課題を持ち出してくる癖に」  弛緩した横目が向けられたのは、先程からゴードンが事あるごとに揺すっている、手の中のロックグラスだった。せっかくヨーロッパへ来ているのにバーボンなんて、とハリーが笑うので、これは今カンパリ社が出しているので実質イタリアの酒です、なんて返したのは昨日だったろうか。 「僕がこれを片付けたら、君も水遊びをする?」 「やめときます」  先程追加したばかりで霜のついている氷をからから鳴らし、ゴードンは乾いた唇を一度舐めた。 「金槌なんですよ、俺」 「嘘だろ。アイビーリーグでボート部とかに所属して、半年で辞めてそうなイメージなのに」 「その浮き輪をひっくり返しますよ……厳密に言えば、小学校の頃、林間学校で立ち泳ぎを習った位ですかね。それ以上のことは指導者に匙を投げられました」  ぱちゃぱちゃと腕で水を掻いて逃げようとするハリーに手を伸ばし、子供にでもするように指で招いてみせる。 「いいからこっちへ来たらどうです。1分以内に先程の返事をくれたら、ご褒美をあげますよ。あんたの一番好きなものを」  さすがに立て続けて、2人の男が身体を通り過ぎていったとなれば、少しは疲弊したのだろう。ゴードンが滞在して2日。ハリーは比較的大人しい。ファックは夜のみ、昼間もじゃれついてくる事はあるが、あくまでも構って欲しいことを示す、猫が脚へ身を擦り付けて来るのと同じ行為でしかない。  けれど、そろそろ圧は鍋の蓋を吹き飛ばそうとしている。眼差しの一つ、指での触れ方一つで、ゴードンは如実に感じ取ることが出来た。  確かに、己は比較的好色な方だと認じていた。だが例えチベットの寺院に籠る厳格な修行僧ですら、ハリーが放つ秋波をもろに浴びれば、きっと僧衣にテントが立つ程激しく勃起することだろう。  差し出された手を眺め、ハリーはしばらく唇を尖らせていたが、結局己の腕を持ち上げる。ぐいと力強さを感じた時には遅かった。  そのまま引っ張り込まれ、落ちた瞬間、全身を抱き竦めたのは生ぬるい水だけではない。身体の上へ倒れ込んできたゴードンに腕を回し、ハリーもプールの中へと沈む。ぼやける視界の中、目と目が合った。青の中でエメラルドの瞳は、頭上から差し込むヴェールのような太陽に揺らめき、ただ一つの光となる──その一瞬、ゴードンは息をしなければならないことを忘れた。  すぐさまハッとなり、プールの底を蹴る。呼吸が出来るところまで戻って初めて、己が溺れ死のうとしていたことを意識した。 「ハリー!」 「大丈夫、そんなに深くないよ」  ざばりと水面へと浮上し、ハリーは笑った。 「それに、気持ちいいだろ」 「全く……」  取り付けられた梯子に向かうゴードンの隣へ、すいすいと軽やかなフォームで並ぶのは、明らかに挑発の意図がある。ようやく這い上がった男の手へ、今度こそハリーは従順に導かれた。 「俺は100ポンドの装備を担いでミシガン湖を泳いで渡りきる訓練を受けちゃいないんですがね」 「大袈裟な奴だな」  服脱いじゃえば、と促すのを煽るよう、ハリー自身もサーフパンツから脚を抜き去り、デッキチェアへうつ伏せに寝そべる。 「ずっとそこに突っ立ってるつもりか? 影になるだろ」 「ハウスキーパーに見られますよ」 「今日は来ない」  広い背中からなだらかな湾曲を描いて繋がっていく、男にしては丸みを帯びた尻をまじまじ見られても、ハリーは平然とした様子。それにしたって慎みってもんがあるでしょう、と呆れて口にした所で、間違いなく彼の思う壺だった。  整えられた筋肉で引き締まった美しい身体には、既に様々な鬱血や歯形など、情事の名残が散らばっている。健康的な昼の日差し、何よりもハリー自身が普段発散させる呑気そうな空気と、落差はあまりにも激しい。  喉が渇いて仕方ない。きゅうきゅうと不快な水音を立てる靴で歩み寄ったテーブルの上から、ワイルドターキーを取り上げる。グラスへ継ぐのは何度目のことだろう。一息に煽った中身は溶けた氷と混ざり合い、殆ど水割りじみた薄さだった。とても足りなくて、瓶へ直接口をつければ、ちらと一瞬肩越しに仰いだハリーは眉を顰めた。 「飲み過ぎだぞ、君」 「大丈夫、ちゃんと勃ちます」    傾けた瓶に残っていた中身は半分以下。それだって全部注いだ訳ではない。 「っ……!!」  日焼けして敏感になった肌へ、きついアルコールはかなり染みるかもしれない。何が起こったか分からず硬直した身体は、けれどそのまま健気に耐える。椅子を握りしめる手の力はきつく、脆弱な木製の枠がぎしりと音を立てるほどだった。  背後からのしかかり、ぺろりと脊柱の窪みに溜まったウイスキーを舐める。サンオイルと混ざり、酷い味だった。そのまま塗り広げるように両手を滑らせれば、ハリーは盛大に身悶えし、熱く湿った息を吐き出した。 「あ、ゴーディ、ここ、駄目だ」 「そんな格好して誘っておきながら、今更?」 「ちが……2人乗ったら、椅子が壊れる、っ」  プールから引き上げたマットにハリーを追い立て、服を脱ぐと言う一連の仕草すら億劫だ。この人を殺す原因になりそうな太陽が何もかも悪い。落ち着け、まだ貪るな。熟れさせれば熟れさせるほど、肉は美味くなる。  結局、肌に張り付いたシャツを破るように剥がし捨て、湿ったベルトをスラックスから無理やり引き抜いただけ。わざとゆっくり歩み寄り、ゴードンは2つに折って束ねた革のベルトで、無防備に晒される背中をそっと撫でた。 「あんた、実は痛い事も結構好きでしょう」 「ん……否定は、しない」 「とんだ性悪だな。男を煽り立てて、わざと激しくさせるなんて」  ビニールのマットへ、恐らくもう緩く勃起している下肢を押し付けるようにしながら、ハリーは密やかな忍び笑いを立てた。 「僕は、何もしていない。乗ってくる、君達が悪いんだ」  性悪、ともう一度心の中で繰り返し、ゴードンはふやけたベルトを強く引き絞った。ハリーが違和感へ気づく前に、両手首をまとめて背後で拘束する。ついでに右の足首を捕え、ベルトのバックルで作った輪の中に入れてしまえば完成だ。 「あ……?!」 「叩かれると思いました?」  ばたばたマットを叩くようにして跳ね上げられる左脚を眺めながら、どかりとデッキチェアに腰を下ろし、空にしたグラスへバーボンを注ぐ。 「見えてますよ、大事なところが」  そう言ってやれば、今更抵抗を止めてしまうのだから、全く可愛いものだ。  じっくりと鑑賞されている間、ハリーは羞恥を受け止め、味わい続けていた。  暴れたらご開帳だ、と先程は嗜めた。だが実際は曲げられた片膝のおかげで、ほんの僅かな身じろぎすら、すっかり屹立しながらも押し潰されるペニスや、ひくひくと喘ぐアナルをちらちら垣間見せる。こちらは指一本触れず、それどころか声すらかけていないのに、ハリーは時折ぴくりと身体を震わせて、甘く篭った吐息を漏らしていた。 「ゴーディ…………ぅ、背中、痛い」 「あんた位身体が柔らかかったら、その程度の体勢、お手のものでしょう」 「ちが……さっきの、酒のせい」 「痛いのが気持ちいいのでは?」 「ん……あ、あぁっ……」  痛いと訴える背中へ流れる汗は塩辛く、更なる刺激となったに違いない。剥き出しの尻が一瞬、突き上げられるような動きを作る。 「ところで、今日の晩飯は何にします。ピザでも頼みますか。この国にドミノピザはあるのかな」 「くそっ、この馬鹿……!」 「威勢が良いですね。本当にここまで配達に来させますよ」 「や……ああっ、も、っ、ゴーディ、変態め! 奥さんにも、こんな真似してたのか……!」 「する訳ないでしょう」  飛び出した思わぬ名前に、ゴードンは思わず歓声を上げてしまった。 「前から思ってたんですが、もしかしてあんた、彼女に妬いてるんですか」 「……僕の身体と、彼女の身体、抱いている時に比べたりしない?」 「馬鹿なことを」  グラスをテーブルへ置いて立ち上がると、ゴードンはハリーの傍らにしゃがみ込んだ。 「彼女はもう、過去の存在です」 「責めてる訳じゃない。ヘテロからこっちへ転んだなら当然だし、君は10年近く結婚生活を」 「そんなこと関係ありません」  顎を掴んでこちらへと向ければ、エメラルドの瞳は思ったよりも不安げに揺れる。すっかり潤んでいる、少なくとも陽光のお陰でそう見える目を隠そうとする瞼に、キスを一つ落として、ゴードンは足首からベルトを外した。 「つまり……戦場で生き抜こうとするにしても、彼女の事を、俺は同じ部隊の衛生兵だと思ってた。だから結婚に失敗したんです。でもあんたは司令官だ。全然異なる存在なんですよ」 「司令官か。色々な解釈の方法がある言い方だな」 「難しく考えないで下さい。あんたが指差した場所に行けるよう、俺は道を整える。それだけの話です」  その続きにあるのは甘い抱擁か、それとも嵐のような接吻か。とにかく何か良いものを期待して、ハリーの表情はうっとり蕩ける。全く現金な男だ。そのままマットの頭部を掴み、ずるずると引きずっていかれても、暫く気付かなかった程なのだから。 「ゴーディ!?」  水面に押し出され、ぷかぷかとプールサイドを離れていくフロートに、ハリーは慌てて目を開けた。一度は水中へ降りようとしたが、腕を拘束されている状況では分が悪いと判断したのだろう。もがく事すらおっかなびっくりと言わんばかりの様子に、ゴードンは呵々と胸を反らした。 「ほら、ハイネケンの件について答えを聞いていませんよ。そのままバカリャウ(干し鱈)みたいになっても良いんですか」 「くそったれ! 分かった、イエスだ!」  どれだけ金切り声を上げても外には聞こえない、ドミノピザは検討してもいい。まだ笑いながら、ゴードンはプールの中へ身を滑り込ませた。

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