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第3話

3.厄介な感情 自分がほんの少しの間構ってやらないうちに千早が部活に入ったりベースを始めたり、あげくにやたらと馴れ馴れしい男と仲良くなったりしていた。数生としては正直面白くない。 こう言うと驕っているようだが、どう考えても千早の世界の中心はいつも数生だった。子供の頃から「数兄、数兄」とついてきて、暇さえあれば部屋に入り浸り、数生の友人関係やそのとき付き合っていた彼女のことを根掘り葉掘り聞いてきたりした。千早にだって友達はいたはずだが、あまり家に連れてきたりしたのを見たことなんてなかった。 それがなんだ。バンドメンバーだとかいう派手でなんだか色気のある男を家に連れてきたかと思えば、そいつは千早に気があると言う。そんなことを言われて、平然としていられるほど数生もまだ大人ではなかった。 真島とかいう男が千早の肩に手をかけ、耳元でなにやら囁くのを見てカッとした。それは女の子と付き合っていたときだってあまり経験したことのない初めての感情だった。 そう、嫉妬したのだ。 ———俺が、あの千早に嫉妬? 自分でも驚くべきことだった。こないだまで千早なんて、単なる隣の家に住む幼馴染だったのに。一体なにがどうしてこうなってしまったのか。 嫉妬して、なんだか『俺がお前とヤらないからあいつと仲良くしてるのか』とか女々しいことまで口走ってしまった。恥ずかしい。さらに勢いで自分から「しようか」とか言ってしまった。 「あーーー!!」 自分の部屋に帰ると、数生は急に羞恥に襲われて頭を抱えた。 「俺、なんで…」 だいたいこの関係は千早から強引に始められたものだった。それを渋々受け入れているというスタンスだったはずなのに、気づけば自分の方から求めてしまっている。 身体の関係に引き摺られて好きになった気になってるだけじゃないのか?と何度も自問自答した。けれど、いくら気持ちいいからといってそれだけで弟みたいな存在だった男に身体を触られて甘い気分になったりするわけがない。 千早の目が本気だったからだ、と思う。あの瞳にやられた。今まで付き合ってきた女の子は向こうから告白してきた子もいたし数生から告白した子もいた。どの子も数生のことを好きだと言った。けれど、千早が数生を想うほどには誰も数生のことを真剣に好きになってはいなかったと思う。 本気で好かれて求められていて、千早のその表情もどの動作も数生のことをとんでもない深さで欲しているのが伝わってきた。そんな風に求められるのが初めてだったからついグっと来た。何かが胸に刺さったのだ。 何度も触られてキスするたびに、どんどん千早のことが愛おしくなってきてしまって自分の変化が信じられなかった。 こないだまで女の子が好きだったはずなのに。今は千早に触られるたびにドキドキして、なんならキスとか抜き合い以上のことをしてもいいとか思ってしまっている。 数生から「しようか」とか言ってしまった以上、もうあとには引けない。しかし、まったく大事な推薦入試前に何をやっているんだろう、とは思う。今日だって、自分で課した【千早との接近禁止】という取り決めをあっさり破ってしまった。情けない気持ちになる。 今までだってさんざん触られて抜かれて、それだけでもいつも心臓が爆発するかと思うほどなのに最後までしたら一体どうなってしまうのか。 推薦入試がダメだったら普通に受験することになるのだから勉強もしなければならないし、推薦入試のための小論文の練習なんかもしなければならない。楽しくないことに集中しなければならないときもあるのだ。 ———だから二人きりになるのはやめとくと言ったのに、千早のバカヤロウが…。 大学に入れず、浪人して千早と同じ学年になってしまうのはごめんだ。「兄」としての面子に関わる。最近はすっかり「弟」にいいように扱われてパワーバランスが逆転してしまっているような気もするが、せめて学年だけはひとつ上でいたい。そうは思っても数生の心は千々に乱れて、その日は全く何も手に付かなかった。 翌朝、【千早とはできるだけ接近禁止】期間中なのに、登校しようと家を出ると千早の母親が隣家の門を出てきたところに出くわした。 「あ、おばさん、おはようございます」 最近、千早の部屋に入るのは母親がいないときばかりだったし、気まずくて冷静に顔が見れないので避けていたのに、久しぶりに顔を合わせてしまって頑張って笑みを顔に貼り付けた。 「ああ!数生くん、よかったー!今、お宅のインターフォン鳴らそうと思ってたとこよ。千早ったら、珍しく朝早く出てったと思ったらお弁当忘れてっちゃったのよね。悪いけど、千早の分のお弁当箱、届けてくれない?」 「…あ、ハイ。分かりました。千早、もう出てったんすか」 「そうなのよ。知ってると思うけど、あの子、バンドに入ったみたいでね。家じゃあんまりできないから早めに学校行ってベースの練習するとか言って…」 「そうすか。わかりました、届けときます」 「ありがとう。助けるわあ」 千早のやつ、本当にベースを真剣にやってるんだな、と数生は意外に思った。千早は何でも器用にこなしはするが、簡単にできるようになってしまうせいか物事への執着は薄いように見える。そんな千早が、ベースの練習はちゃんとしているというのは、バンドメンバーと一緒に練習するのも楽しいということなのだろう。 そう思うと、また数生の心の中にむくむくと(面白くねえな)という気持ちがもたげてきてしまい、いけないいけない、と首を振る。 千早が俺以外にも興味を持つのはいいことなのにな、とも「兄」としての自分は思うのに、「恋人」となってしまった今は千早のあの数生だけに向けられていた瞳が他のことにも注がれることが正直に言えば寂しいのだと思う。 自分勝手なもんだ。千早のことを恋愛対象としてなんか、ただの1ミリも去年のあの日まで見たことなどなかったのに。 一時限目の後の休み時間に千早の教室に行くと、千早の前の席に後ろ向きで椅子に跨って男が座っていた。またもやあの真島とかいう奴だ。千早もなにやら楽しそうに話をして笑っていて、数生の胸からまたチリっと灼けるような音がした。 千早が友達と心から楽しそうに笑っているところなんてあまり見たことがなかったから余計にだった。そして千早にそんな気持ちにさせられるなんてと、ますますイラついたような気持ちになる。 一瞬、二人の様子を見て次の時間にしたほうがいいだろうかと躊躇したが、なんで俺が遠慮しなきゃいけないんだと考え直してなるべくさりげない風に教室に入って千早の席に近づいた。 そんな数生の姿に千早が気づいて顔をあげる。 「あれ、数兄、どうした?」 「…ん」 それだけ言って弁当箱を差し出す。 「あ!ありがと、持って来てくれたんだ?すっかり忘れてたわ、弁当のこと」 「おばさんからメッセージ来てなかったか?」 「あー、朝は練習してたし、見てなかった」 笑って弁当を受け取る千早の横で、真島がじっと意味深な目でこちらを見て来る。 ———ここは年上として大人らしく振る舞わなければ。 「千早が最近なにかと世話になってるみたいだな。これからもよろしくな」 できるだけ余裕に見えるような表情を作って真島を見る。すると、 「はい、これからも仲良くしたいと思います。…先輩が卒業してからも、俺が責任持って成瀬くんの面倒見ますんで」 と、不敵な笑みで返された。 ———この野郎…。 当然またイラっとしたが、ここでそれを出してはいけないとぐっと堪えた。 「そうだな、頼むよ」 「はい、任せてください」 そうして二人が静かに敵対心を燃やし合っていると、千早は飄々とした顔で数生と真島の顔を順番に見比べている。 こいつ自分が元凶のくせに関係ねえってツラしやがってと、数生はさすがに頭に来た。 「…千早、本当に受験までしばらくウチには来んなよ」 「えー…。そんな」 「そんな、じゃねえよ。約束したろ。じゃ、またな」 後ろを向いてさっさと歩き出すと「先輩、またね〜」と真島の声が追って来た。 あいつたぶん、俺たちのこと全部知ってるんだよな、と思う。自分も男が好きなのだから言いふらしたりはしないだろうが、千早も面倒なヤツと知り合いになったものだ。そしてそうだ、自分が先に卒業したらあの真島とかいう奴は千早に近付きたい放題じゃないかと数生は落ち着かない気持ちになった。 今だってああやって休み時間にも話しに来たり、今日だって二人きりで朝練を一緒にやってたんだろう、と思うと無性に腹が立って来た。 ———だいたい千早も千早だ。あいつと堂々と仲良くしているのを見て俺がムカついてるのを楽しんでいるに違いない。性悪なヤツだよ、ほんとに。 なんであんな奴を好きになってしまったのか、また数生は自問自答し始めたが、やっぱり明確な答えは出てこなくて、この嫉妬じみた感情だけが確実に千早のことを好きなのだという証なんだろうな、と思って溜息を吐いた。相手が女だろうと男だろうと、なんで恋というのはこんなに厄介なものなのだろう。

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