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第4話
4.約束だから
数生はするとかしないとか、ヘンな約束を千早としてしまったせいで受験に加えてソワソワすることが増えてしまい、完全に墓穴を掘ったと自分を呪いたくなりつつもエントリーシートだの自己推薦文だのを用意し、小論文の書き方や面接の受け応えを教師と練習したりと粛々と準備を進めた。心乱れて全部を投げ出さなかった自分を褒めてやりたいくらいだった。
11月下旬に推薦の選考試験は終わったが、確実に受かるとは限らないため勉強は続けた。その間も千早から【まだ会えないの?】と催促するメッセージは毎日のように来たが、ここでタガをはずして千早との関係に溺れまくって入試に滑ったら元も子もない。そしたら逆に千早を恨んだりすることにもなりかねないので、必死に会いたい気持ちと千早のことを思い浮かべるだけで湧き上がってくるムラムラした気持ちを抑え込んだ。
こうしている間に千早のヤツ、あの真島とかいう男と関係を深めていやしないだろうな、とかついそんなことを考えてしまう。数生は自分が恋愛にこんなに振り回される体質だと千早と付き合い始めてから初めて気付かされた。
今まではおとなしい女の子とばかり付き合っていてリードするのは自分だったから、どこか余裕があったのだろう。今は千早に振り回されて驚くほど興奮することもあれば、急に締め付けられるほど胸が痛くなったりする。
そして自分がこんなだというのに好きだ好きだと言ってくる千早の方がドンと構えている感じがするところがまた腹立たしいのだった。
12月に入り、教室に行けば空気は澱んでいて、ピリついてないのは既に推薦で合格をもらっている隣の席の本田くらいだった。
「倖田の受けた明成大、まだ合格でないの?」
自習時間だが受験シーズン大詰めなせいで誰もが会話せずに黙々と勉強するなか、空気も読まずに話しかけてくる。
「たぶん再来週くらいだと思うけど…。お前なあ、合格するとは過ぎんないんだからデカい声で言うんじゃねーよ」
「いいじゃん、倖田なんてテニスも頑張ってたし成績悪くないからどうせ合格だよ。ねー、久しぶりに千早くんも誘ってご飯行こうよお」
「千早は…付き合ってるヤツができたからダメ」
「ええ!!彼女できたのぉ?!」
本田の叫びに周りの皆の肩がビクりとするのが分かった。
「しーっ!だから、抑えろって声」
数生はさりげなく周囲を見回して『ごめん』というように手を合わせた。
「えー、あのとき話してた思わせぶりな年上の女でしょ?片想いみたいだったのに!」
「…それがまあ、うまくいったみたいで」
「なによもー!倖田が千早くんにあんまり会わせてくれないからチャンス逃したじゃん、どうしてくれんのよ?!」
「知らねえよ、千早に聞けよ…」
思わせぶりな年上の女っていうか、それ俺のことなんだけどな、と数生はなんともいえない気分になった。
本田とやいのやいの言っていると、前の席の坂口が振り返って顔を顰めた。
「ちょ、おまえら、うるせえんだけど」
「あ、ごめんごめん」
「だいたいなあ、こんな時期に呑気に恋愛の話なんかしてんじゃねえ!!こっちは余裕ねえんだよ!!」
坂口の叫びに周りの生徒たちも無言でこくこくと首を縦に振って同意している。
「すまん…」
数生は謝ったが本田が、
「坂口、そんなだからモテないんだよ」
とトドメを刺すと、坂口は絶望的な表情になってから静かに前に向き直った。
「…お前、ひでーな」
「受験くらいで大騒ぎしてんのがいけないんじゃん」
「恋愛で大騒ぎすんのはいいのか?」
「受験は人生のこの時期だけじゃん。恋愛は一生モンだよ?」
「は〜、なるほどね…」
一理ある、と思ってしまったが言葉にはせず、本田を黙らせるために教科書を開いて「しっしっ」と手を振る仕草をして追い払う。
———恋愛は一生モンねえ。というか、俺、千早とこの先も一緒にいるつもりなのか…?
よく分からなくなった。だからといって子供の頃から共に育って来た千早と別々の人生を歩むという選択肢なんてあるのだろうか。最近になって深まってしまった関係性によってますますどうすればいいのか、これからどう転んで行くのか見当も付かない。
千早だって自分の好きなことをするために都内じゃなくて他県の大学を選ぶことだってあり得るのだ。遠距離になって今みたいな関係が続けられるとも思えない。
つくづく不安定な関係性だな、と思う。こんなんでこれ以上、仲を深めてもいいのかなという気もするが走り出してしまったものはもう仕方ない。なにより、自分の気持ちがもうコントロール不能なのだ。
ヒリつくような気持ちで過ごしていた12月の中旬の金曜、3時間目が終わると担任に呼び出された。
職員室に入ると、数生の姿を見て歩み寄って来た担任に「おめでとう倖田。指定校推薦、受かったぞ」と言われて胸を撫で下ろした。
これで晴れて受験勉強からは解放されたわけだ。だが、大きな問題がまだ残っている。
さっそく母親にLIMOで知らせ、休み時間はあと少ししかなかったので迷ったが、千早に直接言いに行くことにした。
教室を覗けば、やはりまた真島が千早の席の横に立って何やら話している。いつもあの調子なのかよとまた少しモヤっとした気持ちを抑えて、近くにいたクラスの女子に千早に声を掛けに行ってもらった。
話し掛けられて千早が数生の方を向いたので、手招きした。千早は真島にことわって席を立ち、こちらに向かって来る。
「どうした、数兄?」
「ちょっと来い」
真島がこちらを向いてブスっとした顔をしているので片眉をあげて少し笑ってやった。すると〈べー〉と、子供ように舌を出して睨んでくる。
あのやろう、とは思ったがそんなことに構ってもいられないので、千早を人気のない屋上に続く階段の方に引っ張って行った。
「なんだよ数兄…?」
屋上への出入り口の手前で足を止めると、千早が尋ねてくる。
「受かったよ、大学」
「え、まじ?」
「ほんと」
そう答えると、「おめでとうっ…!」と言って千早が抱きついてきた。
「こら、千早、ちょっと…」
「よかった、数兄…。心配してたんだ。俺、数兄んちに入り浸って邪魔してたかなって思って…」
「邪魔なんかじゃねーよ…と言いたいとこだけど、まあ多少邪魔だったかな」
「でも受かったからいいじゃん」
そう言ってぐりぐりと頭を首元に擦り付けてくる千早の髪の毛を数生はそっと撫でた。
「数兄の近くに寄るの我慢してたけど…これで、もう遊びに行ってもいいんだろ?」
〈遊びに〉行ってもねえ、数生は苦笑した。子供の頃は本当にゲームをしたり漫画を読んだりして文字通り遊んでいたのに、今は二人きりになればいかがわしいことをしてばかりだ。千早はなおもギュっとしがみついてくる。そのうち、授業の開始を告げる鐘が鳴り出した。
「あ、4時間目始まるわ。千早、戻るぞ」
「いやだ…」
「ダメだ、帰れ…」
千早は数生の身体に回した手を解かず、少し背伸びをしてキスをしてきた。久しぶりの感触に抵抗が出来ず、唇を開くとすぐ熱い舌が割って入ってくる。
「んっ、千早…。やばいって、こんなとこで…」
「誰も来ないから…」
そう言うと、数生の制服のシャツの上から胸のあたりをまさぐりだした。
「あ…。んん…っ…」
口を塞がれながらコリコリと突起を指で摘まれ、ぞくぞくとした刺激が胸から腰に這う。堪らずペタンと床に座り込むと、千早が覆い被さるようにしてまた深く舌を入れてきた。その舌は薄いけれど長さがあって、分厚い数生の舌をすぐ絡め取ってしまう。
ああ、休み時間にこいつに会いに来たのは間違いだったと後悔したが、すぐ知らせたくなってしまったのだからしょうがない。
「数兄…」
「ん…」
「4時間目が終わったら教室に荷物取りに行って、家に帰ろ」
「ええ?早退すんのか?帰ってもお前んちだっておばさんいるだろ?」
「いや、今日、誰もいないんだ。母さんは叔母さんと一緒に泊まりの旅行行ってるし、父さんも出張で来週まで帰ってこねーの」
「…そっか」
数生はゴクリと唾を飲み込んだ。ということは、つまり、そういうことだよな?
「だから家に帰って、しようよ、数兄」
「ばっか、お前…」
「約束したじゃん。『しようか』って数兄が言ったろ?」
「言ったけど…心の準備が…」
「ダメ。今さら前言撤回はナシだからね。…でもまだ授業終わるまで時間あるから…」
そう言うと、座り込んだ数生の膝の上に向い合うようにして千早が腰を下ろしてきた。
「数兄…もっと触りたいけどこれ以上触るとおさまんなくなるから…。今は我慢しとく」
そう言ってぎゅう、と千早が抱きついてくる。コンクリートの床と壁に接した尻と背中が冷たかったが、千早を抱きしめ返すと温かくて、その嗅ぎ慣れた匂いに胸がつまって、心臓が破けそうなほど激しく鳴り出した。
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