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「······紫音君、そろそろお引越ししちゃうんだってね」 突如として言われた言葉に、バッと朱音の母親を見上げると、寂しそうな表情を向けられる。 「短い間だったけど、本当、うちの朱音の面倒を見てくれてありがとうね」 「あ······いえ。こちらこそ、やっかいになりました」 深く頭を下げると、「ちゃんとしてるわね」と頭上から小さく笑う声が聞こえた。 そこで母親は紫音の目線に合わせるように屈んでくれた。 「紫音君のお母さんから、今日言われたの。いきなりすぎてびっくりしたけど、問題は少しの間でも紫音君がいなかったら、大泣きする朱音の方なのだけど。だから、シーグラスで代わりにはならないかもしれないけど、思い出作りにはならないかなって思ったのよ」 「そう、ですか······」 何度も引越ししてきた中でも、幼稚園の先生からクラスの写真と手紙をもらったことがあったが、大した思い出もなかったし、何よりいつもの両親の仕事の都合であるから、しょうがないと割り切っていた。 けれども、今回はどうしてもいつまでもいたい気持ちが強く、朱音の母親からそう言われたことによって現実味が増し、しかし、紫音の気持ちだけではどうにもならなかった。 だから、朱音の母親からそのような提案をしてきたことは、少なからず嬉しかった。 「しおんにぃー! おなじのあったーー!!」 両手を掲げて、太陽に負けないぐらいの嬉しそうな表情を見せてこちらに駆け寄ってきた。 「あかとくん」 「朱音、走らないの」 母親がそう言ったのと、朱音が砂に足を取られて、転んだのは同時だった。 「あかとくんっ!」 慌てふためいて、朱音の元へ駆け寄ると、突っ伏していた顔を上げた。 「うわ、すなまみれ······」 そう思わず言ってしまうほどに朱音の顔は、砂で酷い有り様になっていた。 後から追いかけてきた母親が、「言わんこっちゃない」と言い、やって来ていた父親も「大丈夫か」と声を掛けていた。 と、そんな中、朱音の瞳が潤んでいることに気づいた。 「うわぁぁああ!! しおんにぃ!!」 ワッと大声を上げた朱音が、紫音の胸の中で泣き出した。 泣くのは直前に分かったが、いきなりどうしたものか。

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