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第21話

ー5年前ー 「ハワードッ」  バタバタと走ってきた蒼真は、ドアがスライドするのももどかしく室内へ駆け込んだ。 「HIVの薬完成したんだって?」 「情報が早いな」  奥のデスクについていたハワードは、飛びついてくる蒼真を椅子の上で受け止める。  13になっても蒼真は、こうやって人に懐くのが好きな子供だった。  体格が同年齢の子に比べたら少々小柄なので、飛びかかられても一般男性なら苦痛に感じるほどでもない。 「さっきカーシーに聞いたんだ。明日マスコミ発表?」 「カーシーにも困ったものだね。口が軽くていかん」  ハワードは困った顔をして蒼真の髪を撫でている。 「俺が無理やり聞いたんだよ。だってこの間もうすぐだって言ってたじゃないか、ハワードが」  3歳から育てたと公表している蒼真が、ハワードはかわいくてしかたないようにみえた。  実際蒼真もハワードに懐いているし、何よりもその頭脳がハワードがそばから離さない要因になっている。 「所で蒼真、翔はどうしてる?」 「元気だよ。さっき元素記号をインプットした。翔が目を覚ましたらテストしてみるんだ。翔はもう色んなこと覚えたよ」  ハワードの膝から降りて、蒼真は傍の椅子へ座り直した。 「そうか、基礎学力を怠ってはいけないよ。計算やアルファベット、ここにいるなら多少の漢字もね」 「わかってるって、そこはもう終わってるからさ」 「そうだったんだな、蒼真は仕事が早いね。そうそう、また後で翔を借りたいんだがいいかい?」  膝の上で指を組んで、ハワードは優しく笑いかける。 「またなんか実験すんの?あまり無茶なことさせないでよ?まだ器官が繊細だからさ」  蒼真の言葉にー蒼真が1から作り上げてるんだから大丈夫だろうーと微笑み続けた。 「明日の夜にパーティーあるけど行くかい?」 「なんのパーティー?ん〜いいや、明日はずっと翔と遊ぶ約束してあるから」 「なんだつまらんな」 「俺がいかなくたって、何が変わるもんでもないだろ?」  いつの間にか目の前に立っていたハワードに微笑む。 「そうだけどな…」  ハワードはそう呟いて腰を屈めた。唇が合わされ蒼真の青い目が閉じられる。 「人が来るよ?」  首筋に這う舌の感触に身をすくませながら軽くハワードを押し返した。 「大丈夫、来ないよ」 「なに、そんな自信もって…」 「来ないように言ったからね」  クックッと笑ってシャツのボタンを外してゆくハワードに 「ずるい…」  と呟いて、脱がされるに身を任せた。    きっかけは、ほんの些細なことだった。  その夜蒼真は、ハワードがパーティーに出席している間に地下4階のハワードのコントロールルームへ忍び込んだ。  部屋は出入り自由にしてもらっているけど、地下の研究室は『翔」を開発している部屋にしか入れてもらえず、ましてコントロールルームなどは、入ってみたい部屋ナンバーワンみたいな所だったから、ハワードのいない今夜、忍び込むことを決意していた。 「すげえディスプレイの数…1.2.3…36個かあ」  この部屋で、地下1、2階で行われている手術や検査も見学できるし、医療過誤などの問題もここで調査ができるようになっている。    しかし蒼真は、ここで何が出来るのかまでは理解していなかった。  ただ、大型の機械がゾロリと並んでいて、単純にかっこいいし、工学的なことにも興味があったから、コンソールのパネルをみて胸も高鳴る。 「大抵…これが画面を映すやつ…なんだよな…と」  パネルキーの赤いところを操作するとパッと画面が明るくなる。カメラを指定しないとどうやら映らないらしく、画面は真っ白だ。 「えっと、どれがなんだかわかんないな…exptSH…?なんだこれ」  透けて見えるパネルキーの文字をみて蒼真は何気なくexptSHのキーを押した。  押して、動きが止まってしまった。  36枚もの画面に映ったのは、10数人の『翔』だったから。  その中には、HIV特有の肌の疾患を現しているものや、瀕死にぐったりしている者も見受けられる。 「翔…?」  しかし数分前まで一緒にいた翔は…元気にインプットした元素記号答えてたし、こういった肌疾患もましてグッタリなんて…まさかこれは…翔のクローン体…?  蒼真の脳裏に時々翔を貸してくれというハワードの声が蘇った。 『翔、ハワードに呼ばれていつもなにしてんの?』  一度聞いたことがある。その時翔は、頬を染めて俯くだけだった。だから蒼真は『ああ、そういうことね…』と、ただ納得していただけだった。  蒼真自身ハワードを尊敬していたから、蒼真がつくった翔が何をされていようと腹は立たなかったが…ハワードは翔のDNAを採取していたに過ぎなかったのだ。そしてそれでクローン体を作り、ワクチンや特効薬の人体実験に…。  そう思い立った時、蒼真は嫌な予感がした。  自分もハワードとは何度も寝ている…。  コンソールに目を落とすとoriSOとexptSOが各々3つづつキーが並んでいた。  さっきの exptSHがexperiment SHOH だとしたら…このexptSOは…  蒼真は愕然としてキーを見下ろす。キーを押すことができなかった。  でも確かめたい、確かめないと…  蒼真は恐る恐るexptSO 1 のボタンを押した。押してすぐに目を閉じたが、画面が目の裏で青くなるのが感じられる。ー青?ー  ゆっくりと目を開ける。そこには青白い画面が映っており、その青白い画面の中に映っているものを目の当たりにし、蒼真はその場で凍りついた。   ー現在ー 「そこに映ってたのは…まだ製造途中の俺だった。それがさっき圭吾が見た部屋さ」  蒼真は足を抱えたままラグの一点を見つめていた。 「俺は、3歳の時に頭がいいのをハワードに気に入られてMBLに連れてこられたって聞いてたから、その時点でも自分のクローン体が作られてたとしか思っていなかったんだ。その後、自分でいろいろ調べた。幸いハッキングすんのは得意だったからハワードの回線は全部破ったよ。そこで知ったんだ。実は俺がクローン体で、オリジナルがちゃんといることをさ」  蒼真は膝に顔を当ててしまう。  翔は黙って聞いていた。  自分が蒼真に作られた人間だと言うことは知らなかったはずだが、翔はさしたる動揺も見せず話を聞いていた。 「そして俺は、仲の良かった研究員を取り込んで、『蒼真』に会わせてもらったんだ。もうあちこち傷だらけでさ…チューブに繋がれて生きてる感じだったけど、それでも笑ってくれた。俺もすごい不思議な感じだったけど、向こう(蒼真)も歩いて喋ってるクローン体の自分を見るのは初めてだって言って…嬉しそうに笑ってくれたんだ。いつでも笑ってくれてた。向こうの『蒼真』の方が少し年上みたいだったから、俺も少ししたらこんな雰囲気になるのかなって、なんかずっと不思議な感覚だったよ。辛くないか?って聞かれたから、今までは辛くなんてなかったけど、『蒼真』(あんた)の事知った今が1番辛いって言ったら、笑ってくれてたのに、すごく悲しそうな顔されちゃって…そうだね、ごめんね…って…謝ったりして…謝られたって『蒼真』(あいつ)を責めたりできないし…俺自身『蒼真』がいなかったら…生まれてないしさ。あいつ、自分がこんなになっちゃったから、俺が実験体の元になってるのが辛いって言ったよ。俺がこんなとんでもないIQもって完成したのは『蒼真』(あいつ)のせいじゃないのに、それは実験の成功でしかないのに、『蒼真』(あいつ)は気にしてた。自分のクローン体がどんな実験のモルモットにされるより嫌だって言ってた。自分と同じ末路が見えるからだって言って…。だから…俺がMBL(あそこ)逃げ出したのは…『蒼真』の願いだったんだ」 「なんて…」  ジョイスが手が白くなるほど拳を握りしめて低く唸った。  まさかこれほどとは…の内容に、実際『蒼真』と会った圭吾も言葉がない。  今、世界中で歓喜しているHIVの特効薬が、ここにいる2人の細胞から作られた人間のおかげだと言う現実に、胸が痛いなどと言う言葉では表せない怒りにも似た感情が湧いてくる。 「だから翔…」  呼ばれて翔が顔をあげた。 「黙っててごめんな……そんなこと言えなくて…ずっと幼馴染とか言ってた…」 「謝るのは…俺のほうだ、蒼真。俺ね、自分のこと知ってたんだ…」 「え…」   と、蒼真の表情が変わる。 「ハワードが…教えてくれて…。まさか俺のクローン体を作られてるとは思ってなかったけど、ハワードは俺に…蒼真がいなかったらお前はいなかったって。だから蒼真の役に立つようにしないとなって言われて…」  身体をいいようにされた…と最後は小さな声で囁くように言った。蒼真の唇が噛み締められる。 「ごめん…翔。俺がお前を…」 「造らなければよかったなんて言うなよ」  蒼真は再び唇を噛んだ。 「蒼真のためだったから辛くなかったんだぜ…俺。そりゃああんな実験にされてる自分を見た時は…さすが…に…」  言葉では到底言い表せない思いを、無理に言葉にしようとしている翔の肩にジョイスがそっと手を置いた。 「もういい…翔。蒼真も、これ以上何も話さなくていいから…」  何かに耐えるように、ジョイスは言葉を振り絞っている。  圭吾はいま話を聞き、断末魔まで聞いたハワードだったが、あんな簡単に死なせるんじゃなかったと決して先には立たない後悔をしている。 「もういいよ…それよりこれからだろ」  ジョイスはいきなり…というか、無理矢理に笑って強引に話を変えてしまった。  しかしMBLの事がかたづいたにしろ、これから蒼真たちがTOKYO区で暮らしてゆくには問題がある。 「それなんだけど…俺たちはTOKYO区(こ  こ)を出ようと思ってる。これ以上の迷惑はもう…」 「蒼真…」  圭吾は、研究所を脱出する際の言葉は聞き入れてもらえなかったのか…と少し不安そうな面持ちである。  ジョイスも、いつの間にか翔の肩に回した手でぎゅっと抱きしめて蒼真を見返した。  勿論今までのことが迷惑とは思ってはいないが、迷惑をかけたと思っているのならもう少しかけてほしいと思っている圭吾とジョイスだ。 「2人がバイオレットだと言う事は、俺たちももう確信しているが、それ以外に何か迷惑をかけると思うことがあるのなら言ってみてくれ」  俯く蒼真にむかって、圭吾は言い放つ。 「だからだよ。だから俺たちが一緒にいたら、圭吾たちは麻薬捜査官(仕事)続けられないだろう?やりたかった仕事なんだろ?勿論俺たちもうあの仕事しないけど、容疑がかかってるんでしょ?俺達って。そんなんと一緒にいたら、圭吾達に迷惑がかかるよ」 「それもそうだな…」 とジョイスがわかってるじゃん、と感心したようにうなずいたが、ーでもなーと続ける。 「そんなに自分たちがかわいかったら、俺達2人を助けに行ったりしてないと思うけど」  まっすぐな目で蒼真を見た。 「迷惑だと思ってたら、バイオレットはいなくなってもらった方がこっちとしては楽なんだ。でもそんなこと考えもしなかったぜ、俺達。仕事なんてなんでもあるけど、お前達は1人づつしかいないから、そっちの方が大事だったんだ」  ジョイスの言葉を聞きながら、翔はあんなにいた『翔』の中から、迷いもせずにこの自分()を見つけてくれた時のジョイスを思い出していた。 「蒼真…」  圭吾達と一緒にいることを渋っている蒼真に、翔が向かい合う。 「俺…」  一言言って俯いた。 「なに?」  言い辛そうにしている翔に、蒼真は優しく問う。 「め…迷惑かける…とかの話を聞いてると、凄く言い辛いんだけど…俺…ジ、ジョイスと一緒にいたい…」  消え入りそうな声で言い切った翔の言葉の意味は、そこにいた全員に伝わった。 「しょ…」 「翔!ほんき?本気で言ってくれてんの?」  蒼真が呼ぼうとした声を遮って、隣に座っていたジョイスは、ピョンッと横を向いて翔の方を向く。翔は俯いたままより深く顔を隠すように頭を下げ、それでも小さく頷いた。 「翔の方がよっぽど素直だな」  やれやれ、と圭吾はしかたなさそうな顔で蒼真をみる。蒼真はちょっとバツが悪そうに顔を背けてみるが、実際はそれ以上に翔の発言に驚いていた。  今まで何度となく自分の主張を言わせて見ようと思って来たが、翔はいつだって蒼真の考える通り、言う通りに行動をしてきたのだ。  そんな翔がここで、自分の主張をした、しかもこんな形で。  しかし… 「翔」  蒼真はソファから降りて床に座り、目線を合わせて翔を向き合った。 「大丈夫…なのか…?」  真剣に翔に問う。圭吾とジョイスは訳がわからない。 「うん、多分…」  多分という辺りが怪しいな…と蒼真は首を傾げる。 「したの?」  その問いには、翔は頭をブンブンと横に振った。 「一体なんだ?」  圭吾は訳がわからんと続けた。蒼真は一度ため息をついて、またソファへ戻る。 「さっきの話で、翔がハワードに何をされていたかはわかったでしょ。翔はそれが原因でセックス恐怖症なんだよ」  前髪をうざそうに払って、蒼真はソファへ寄りかかった。 「性的なことされると過剰に反応しちゃうんだ。ジョイスが初めて会った時に寝ぼけてキスした時だってそうだっただろ?」   そういえば…と納得する節はある。 「だから、俺はいいのかって聞いてるんだ。ジョイス(あんた)だってなにもしないわけじゃないでしょう」 ーでも、ーと蒼真は話を続ける 「翔本人が大丈夫って言ってるんだから、大丈夫なんだろうな。治ったか治らないとかは関係ないんだろ?」  翔を見るとーうんーと強く頷いていた。  蒼真は、なるべくなら2人の前から消えたかったのだが、翔の初めての主張を無碍にしたくはない。 「ジョイス、あんたに翔を預けてもいいのか?」  今日の話で、蒼真が異常なほど翔を気にかけていた理由も解った。言わば、父親のような感情で翔を見守って来たのだ。13歳の頃から…。  勿論ジョイスとて『できないならいいや』なんて事は微塵も思わない。 「翔が俺を選んでくれたんだぜ」  不敵に笑って蒼真をがっつりと見つめた。  そう、翔が決めた事なのだ。蒼真は何も言えない。 「じゃあ、翔はそうしようか。頑張れよ」  何を、だかは敢えて言わないが、とにかく色んなことをな、と付け加えて翔の手を握った。そしてジョイスとも握手を交わし 「よろしくな」  と笑う。 「任せとけ」  ジョイスも笑って蒼真の手を握り返した。 「で、蒼真(お 前)はどうするんだ?」  一つのことが解決したところで、圭吾が1番キツイ所を突いてくる。  途端に蒼真は黙り込んだ。  蒼真にしても、圭吾の元から離れたくはないのだ。ラボで圭吾が言ってくれたことも嬉しかったし、今まで圭吾に抱いた感情を他で持ったことがなかったから、自分にとって圭吾が大事な人なんだな…という認識はある。 「蒼真…」  翔が心配そうに声をかけた。  一緒に居よう、というのは簡単だったけど、翔も翔なりに蒼真の意思を尊重しているようである。 「一つだけ言っておくが…」  圭吾が言った。 「署の方には、2人は死亡したと連絡をするつもりだ。MBLの地下研究所の爆発は、行政的にもタダでは済まないだろう。放射能で調査が遅れるにしても、蒼真は職員として登録がしてあっただろうから死亡とみなされるだろうし、翔に関しては…多少…その、法に触れる事として、人造人間の死亡も確認されると思う。なんにしろ、MBLの地下研究所及び、ハワード・リーフが死亡した今、HIVの特効薬開発に関わる一切の事項はここにいる俺たち意外には誰も知らないことになる」  あとは蒼真の気持ち次第だ。と、圭吾は黙る。 「明日…返事するんで…いいかな…」  考えあぐねた返事であったのだろう。  ジョイスにも翔にも、そしてもちろん圭吾にもどうして蒼真がそこまで迷っているかが判らなかった。

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