2 / 5
第2話
店はいつも午後五時に閉める。店締めの作業をしていると、草太が店に帰ってきた。
「ただいま! 戻りました!」
「おかえり、どうだった?」
ここに来て、いきなり仕事に入ってもらうのは申し訳なくて、草太にはこの辺りの観光をしてもらっていた。
この辺りは昭和の観光地といった風情で、古くからやっている店と新しくできた店とが入り混じっている。
どちらかといえば寂れた町だとは思うが、なかなか面白いところではあると思う。シーズンに入ればそれなりに観光客で賑わうし、海水浴客も来る。海辺に建つシーガルにもお客さんがたくさん訪れるのだ。
今は八月に入ったばかり。客足はそろそろ伸び始める頃合いだと分析している。
「人はいた?」
「ぼちぼちって感じですね、若い女の子たちとか、あと家族連れが海で遊んでたりだとか、海のサンドバーでお酒のんでる人たちとか……、あ、釣りしてるおっちゃんと喋ってて、シーガルで働くって言ったら、知樹さんと食べろって、これ、貰っちゃいました」
二重にされたビニール袋を見ると、石鯛が二匹入っていた。
知樹のことを知っている釣り人といえば、土日に必ず来る常連さんが一人いる。
せっかくもらったものだ。今日はこれで夕飯を作ろうと知樹は考えた。
「皮なますにしようかな。大峰くんは嫌いなものとか食べられないものはある?」
「好き嫌いはないですよ、何でも食べます。アレルギーもありません!」
アレルギーの有無について自ら申告してくるところに何だか、現代っ子らしさと医学部生らしさを感じ、知樹は面白く感じる。知樹にはない感性だ。
「夕食の準備をしてから二階へ行くよ。先に二階に上がっててもらえる? 後はテーブルを拭き上げるだけなんだ」
「テーブル拭きぐらい、俺がやりますよ!」
サッと布巾を手から取られ、草太はすぐにテーブル拭きに従事し始めた。ここに来た経緯もそうだが、草太は思い立ったらすぐ行動、というアクティブな性格をしていた。
(エネルギッシュだなあ……)
テーブルを拭き始めている草太の背中を眺める。
知樹はどちらかといえばあれこれと悩んでしまい、結論や行動を後回しにしてしまうことが多い。
だから早急に決めなければいけなかった兄の死のことに関して、未だにうじうじと考えてしまっているのだ。
いけない、と軽く頭を振った。また良くない思考に陥りかけている。
負の感情を振り払うように、知樹は魚を店のキッチンで捌いた。
切り取った石鯛の皮をガスコンロで炙り、氷水で冷やした。その間に大根、きゅうり、にんじんを千切りにする。冷やされた石鯛の皮の水気を拭き取って、野菜とかき混ぜ、二杯酢で味付けをすれば、石鯛の皮なますの完成だ。
「すげ〜、彩奈ちゃんも魚捌けるんですけど、知樹さんが教えたんですか?」
「まあね、彩奈がここの手伝いをしてくれる時は厨房に立つ時もあるからね。ほとんどは僕がやってるけど」
いつの間にか草太が横にいて、知樹の手元を見ていた。作業はもう終わったようだ。店内を見渡すと、テーブルは全て綺麗に磨かれている。ついでに掃き掃除もしてくれたらしく、床の埃も綺麗になっていた。
「食事は二階で摂るんだ、僕は盛り付けてから行くから先に待ってて」
「わかりました、できる限りの準備はしておきますねー」
そう言うと草太は階段を昇って行く。来た当初、草太のバックパックをリビングに置くため、二人で二階には上がっている。軽く部屋の説明をしておいたから、大体の場所はわかるだろう。
(張り切って作りすぎちゃったな)
石鯛が二匹あったことと、草太が男子大学生であることから、いっぱい食べるだろうか、と思い、多く作りすぎてしまった。
上の棚から大きいサイズの皿を取り出す。これもアンティークだ。トゥイマジ陶器と言い、もう生産されていない貴重なものである。皿の縁には青色で花と鳥が描かれていた。
トングを使い、料理を皿に移す。洗い物をした後、知樹は皿を持ち、二階へと昇っていった。
「お待たせ」
「全然! 食器棚だけはちょっと触らせてもらいましたよ!」
リビング兼ダイニングのテーブルの上には箸と取り皿、コップが用意されていた。
「流石に他人の家の冷蔵庫の中を見るのはちょっと気が引けて……」
「そうなの? 飲み物ぐらい先に飲んでもらってても良かったのに。まあいいや、席に座ってて。ご飯と味噌汁を装うからさ」
冷蔵庫から今朝作った豆腐の味噌汁を取り出し、火にかける。煮立たない内に火を止めると、お椀に装い、その後はお茶碗に白飯も装っていった。そしてそれらをトレイに載せる。
「こんなものでもいいかな? 他に何か食べたいものはある?」
「十分ですよ! 皮なます? でしたっけ? マジでうまそうだし、味噌汁もいい匂いしてます。ご飯もやばそう」
白飯の何がやばいのかさっぱりわからないが、喜んでくれているのは伝わる。
草太の言葉につられ、知樹もお腹が空いてきた。
「俺、マジで腹減ってて……、電車乗るために昼ごはんは早めに摂って来たし」
「言ってくれたら、何か軽いものでも作ったのに!」
本当はサラダを用意しようかと思っていたが、知樹がサラダを作り終えるまで、草太はきっと待っているだろう。草太には軽薄そうに見えて、意外と律儀なところがある。
(サラダは明日の朝でも良いか、まあ野菜は皮なますにも入ってるし……)
知樹はコップに冷たい麦茶を注ぐ。蒸し暑かったので、部屋の窓を開けると、宵口の潮風が部屋の熱気を掻き回す。扇風機もつければ、それなりに涼しい。
もう草太の目線は食べ物にしか注がれていない。マジ美味そう、と小さく呟いているのが見え、知樹は思わず苦笑してしまった。
喜んでもらえるのは嬉しい。作った甲斐があるというものだ。そして知樹は他人のために料理を振る舞うのが好きだった。
「いただきます」
「いただきます!」
草太は本当に腹が減っていたのだろう。金髪にアロハシャツというカッコつけた格好からは想像がつかないほどの食べっぷりに知樹は圧倒されてしまう。あっという間に白飯も味噌汁も平らげてしまった。
「お代わり、よそおうか?」
「良いっすか! お願いします!」
草太はそう言い、キラキラとした目で知樹を見る。そして、お茶碗とお椀の両方を差し出した。
知樹は先ほどよりも、量を多く装い、草太に差し出す。
「えっと……、佃煮とかもあるけど、食べる?」
「食います!」
結局、草太は白飯は三杯、味噌汁は二杯、おかわりをして、皮なますと後から出した佃煮もほとんど食べてしまった。
(もっとジャンクなものを食べるかな、と思ったけれど……、田舎の郷土料理も美味しく食べてくれるんだなあ)
知樹もそれなりに食べたが、流石にそこまでは入らない。
「もうお腹一杯です、流石に」
「そりゃあれだけ食べればね……、片付けしてるからゆっくりしてて」
「すんません……、明日からはきちんと片付けとか皿洗いとかしますんで……、ちょっと横になって良いすか、マジで腹が苦しくて」
「良いよ、ほんと食べ過ぎだよ。でも嬉しいな。他人と食事をするの、久しぶりだから」
「ここでは、ずっと一人ですか?」
「彩奈が出て行ってからね」
「俺がいる間くらい、知樹さんが賑やかで楽しく過ごせるように頑張りますよ!」
ありがとう、と言って、口元で小さく笑い、知樹はシンクへと向かった。ご飯が美味しくて、食べすぎて動けないなんて、なかなか草太は可愛いところがある。
皿洗いをしていると、草太の呟きが聞こえた。
「あー、写真撮っておけばよかったなー」
石鯛の皮なますのことだろうか。ここでは珍しいものではないけれど、東京に住む草太からすればなかなかお目にかかることのできない珍味なのだろう。
写真を撮って、インスタグラムなどに掲載するのだろうか。
(若いなあ……)
知樹はSNSの類をしていないし、店のホームページも作っていなかった。そういうものにも疎い。
二人分の皿を洗い終わり、先ほど使ったトゥイマジ陶器の大皿を慎重に拭く。兄が遺してくれたものだ。
『何でも使えるものは、使えるときに使わなきゃいけない』と言うのが兄の口癖だった。古い物でも丁寧に扱えば長く持つし、味わい深い色味がまた美しい。
ソビエトのどこかの家庭の賑やかな食卓を彩ってきた大皿だ。また同じように楽しく使ってやりたくて、店に戻そうと思った。
「大切にされてるんですね」
声を掛けられ、え、と返事をして知樹は振り返る。
いくらか満腹から回復した草太がソファ越しにこちらを見ていた。
「それもアンティークですよね? 最近の流行りでもないし、色合いが日本で作られた物じゃない。外国のものですか?」
草太に思いがけず優しい眼差しを向けられる。知樹はそうだよ、と返答し、草太に良く見えるよう大皿を手前に差し出す。
「ソビエト製だよ。会社が破産しちゃったからもう作られてないんだ。日本ではあんまり見ないかもね。ロシアの老婦人が亡くなって、大量の荷物を処分しようとしていたから、気に入ったものを兄が持って帰ってきたらしい」
「物は使ってなんぼですからね、使えるものを捨てるのは勿体無いし、こんな素敵なお店で使ってもらえるなら、ロシアのおばあさんも、お皿も、倒産した会社も本望ですよ」
「おばあさんやお皿はともかく、会社はどうだろうね」
くすくす、と笑い、知樹は大皿を片付ける。この大皿は明日の朝、店の準備をするときに下まで持って行くことにした。
不思議と、草太に対して感じていた漠然とした不信感や心配はもうあまりない。食べ物は美味しそうに食べてくれるし、食べ方も綺麗だったことが大きい。
見た目で判断してはいけないな、と少し反省をした。
知樹は食器棚から透けた茶色のカップとソーサーのセットを二つ取り出す。凸凹としたガラス製のカップに冷蔵庫で冷やしていた和紅茶を注ぎ、トレイに載せた。
「お腹の具合はどうかな? 冷たい和紅茶だよ」
「ありがとうございます。だいぶ楽になってきました」
ローテーブルに持ってきたものを置き、知樹は向いのソファに座った。
「不思議な形ですね、わざと気泡を入れたみたいな、ざらついたデザインだ。これもソビエト製なんですか?」
「わからないんだ。兄曰くおそらくフランス製で、ハンドメイド作品だから作者もわからないらしい」
「冷たいものを飲むにはピッタリですね……、紅茶も美味しい」
「ふふ、これは市販品だよ」
和紅茶を飲みながら、明日からのアルバイトについての話をする。
草太には主にホールを担当してもらうことにした。寝泊まりする場所は流石に彩奈の部屋ではなく、ここの向いの知樹の部屋で、知樹はその間はリビング兼ダイニングで寝る予定だ。
それを言うと、草太は大きく手を振った。そんなの悪い、と言って、自分がリビングで寝る、と主張する。
「そんな、俺がこっちで寝るっすよ。悪いです……」
「良いんだよ、慣れない環境で疲れちゃうだろうしさ。ゆっくりベッドで休んで欲しい。それに夏は本当に忙しいからね、めっちゃ働かせるから」
「それなら……、まあ昔、サッカーしてたんで、体力だけは自信あるんで、そこは任せてください」
軽い冗談を言い合いながら、二人で談笑する。彩奈の話や大学の話をして、和紅茶のおかわりまでした。
彼には人の警戒を解くような不思議な魅力がある。友達も多いのだろうなあ、と予想してみる。
彩奈が良い人、と言っていたことをぼんやりと思い出した。
内向的で、兄の後ろばかり追いかけていた自分とは大違いだ。それに初対面なのに、もう打ち解けて話せていること自体が驚きだった。もしかしたら草太が、歳上の知樹が気持ちよく話せるよう、気を遣ってくれているのかもしれないが。
草太と話しているのは楽しい。しかし明日もあるので、そろそろ風呂に進めようか、と思った時、草太の視線がラックへと向いた。
「この写真と花って……」
知樹も振り返る。窓から吹く潮風に今朝変えたばかりのカモミールが揺れていた。
「ああ、亡くなった兄だよ。仏壇とか買うお金ないからさ、ここに写真と花を飾ってる」
知樹は目を伏せた。そしてまだ冷たい和紅茶を一口含み、飲み下す。舌に苦味を感じた。
「彩奈から話は聞いてる?」
「ええ、脳卒中で倒れたとか……」
草太は突然、居住まいを正した。そして真っ直ぐ写真を見据えた。
「その後、臓器提供をされたとお聞きしました」
そこまで彩奈は話していたのか。別に隠すようなことでもないし、彩奈も草太も医学生、医者の卵だから、身内にそういう人がいたら、話もするだろう。
知樹は無意識に目線を落としていた。
「そうなんだ、もう手の施しようがなかったからね。医者に勧められて、兄の免許証にも提供の意思が書かれていたから、臓器提供を行ったんだ」
知樹は目を一度ぎゅっとつむった。そして、ふう、と長く息を吐く。
その時のことを考えると、今でもわからない。草太の目の前なのに気丈に振る舞うことができそうになくて、口元には歪んだ笑みが浮かびそうになった。
(僕はなんてダメな三十代なんだ……)
わざと見当違いな後悔をしてみても、気休めにしかならない。
兄と知樹の両親、親族は誰一人この世にいない。二人だけの家族だった。兄とは八歳差で、兄は両親について何か知っているようだったが、知樹には一切教えなかったし、知樹も敢えて聞かなかった。最初は施設にいて、高校を卒業した兄が最初に出て行き、後で知樹を迎えに来てくれた。
その時にはもう兄は古物商として働いていた。引き取られた際、知樹は中学三年生だったので、せめて高校を卒業した後から、兄の手伝いをしたい、と言ったのだが、聞き入れられず、結局大学まで通わせてもらえた。
しかし知樹の大学生活は長く続かなかった。三年生に進級した時、兄が脳卒中で倒れたのだ。
兄は一度結婚したが、うまくいかず、数年で離婚していた。最初は母方に彩奈は引き取られていたが、再婚した義父と反りが合わず、結局兄が引き取っていた。
元妻は兄が倒れても病院には来なかった。子供の彩奈ではまだ幼すぎるし、そこで弟の知樹が兄について一任されていた。
医師は知樹に、兄は脳死状態にあると告げた。脳死とは脳幹を含む脳全体の機能が失われた状態のことである。薬や人工呼吸器を使って、数日間は生きることができるが、やがて心停止し、数日以内に死に至る。
意識の戻らない兄の様子を見舞っている時、別室に呼び出された。そして、彩奈と二人で病院やコーディネイターから臓器移植や臓器提供についての説明を受けたのだ。
まず兄自身の意思はどうなのか、という話になり、兄が所持していた運転免許証の裏を確認した。
『1 私は脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。』
一番にしっかりと丸が振ってあり、署名年月日は兄が運転免許証を交付された日であった。
知樹はふと兄の言葉を思い出す。
『何でも使えるものは、使えるときに使わなきゃいけない』
古物商を営んでいたから、古い物のことを言っているのかと思っていたが、その言葉は兄の身体、臓器、命に関しても当てはまる言葉だったのかもしれない、と唐突に思った。
兄は常に知樹の憧れだった。臆病で引っ込み思案な知樹とは違い、まず何でもやってみる、誰でも信じてみる。おおらかで、どこか豪快な兄を慕う人は多かった。
それに必ず迎えに行く、と言って、施設から出ていった兄が本当に知樹を迎えにきた時、感情を露わにして大泣きした。約束を違わなかった兄を尊敬し、必ずこの人の役に立ちたい、と強く思ったのだ。
なのに、兄は数日以内に死ぬと伝えられている。知樹はまだ何も兄の役に立てていないし、兄に恩返しができていない。今の状態で、何をすれば兄の為になるのかも、全くわからない。
コーディネイターに、あとはご家族の意思決定だ、と告げられた。兄は脳がほぼ死んでいる以外は健康体そのものであり、ドナーとさえ巡り合えば、どこの臓器でも提供ができる状態にあるという。
その場では決められなくて、一旦帰宅した。
帰宅後、家でまだ子供のはずの彩奈が毅然とした態度で『父の意思を尊重したいが、自分はまだ未熟なので、最終決定は知樹さんに任せたい』と知樹に告げた。
迷いに迷った挙句、知樹は『本人が望んでおり、実の娘も臓器提供に了承している』と病院へ告げた。そして兄の心臓や臓器が取り出され、誰かの身体へと移植された。
しかしそれで良かったのか、今でも迷っている。兄の命の決定を自分がしてしまった。
(もっと言えば……、いや……)
埋めた鉛のように黒い塊が重く心にのしかかる。もうずっと取り去ることができない。一生、知樹の心に巣食うのだろう。そして、ふとした時に浮上してきて、真っ黒に心を覆い尽くしてしまう。
しかし、今は草太がいる。いくら草太が気さくな人物とはいえ、今日会ったばかりの草太にそんな話は聞かせられない。
知樹は何でもないように、わざと明るい声を出した。
「使えるものは使える時に使えって言うのが口癖の人だったからさ。提供の意思もあったし、本望なんじゃないかな? 僕はちょっと迷ったけど」
「……後悔してるんですか?」
若さゆえの無神経な質問だと思った。だがめくじらを立てて、怒るほどでもない。
ふふ、と知樹は笑ったが、思ったよりも力も元気も出ず、暗い笑い方になってしまう。
卑屈な笑い方のまま、知樹は小さく呟いた。
「わかんないよ、今でも。僕が兄を殺してしまったのかも、ね」
草太からの返事はない。空気が重くなってしまった。草太は真面目な顔をして、何か考え込んでしまっているようだ。
知樹は、失敗した、と咄嗟に思った。明らかに、初めて会った人物にする話ではないだろう。知樹は気まずい思いにかられ、目線を上に上げた。
草太に小さく頭を下げる。
「ごめん、こんな話して……」
「いや、知樹さんはすごいっすよ。日本人って脳死を死として受け入れられない人が多いんです。もちろんそれが悪いわけではないですよ。臓器提供をしなかったから誰かを見殺しにした、とかそんな意味でもありません。けれどお兄さんの臓器によって救われた命がたくさんある。その決断を知樹さんがしたんです。それってやっぱり……、ええと、すごいことだと俺は思います、すいません、語彙力なくて、俺、すごいしか言ってないですね、恥ずかしい……」
最初、知樹の言葉に被せるようにして、草太は強く言葉を放ったが、だんだん語尾が窄んでいく。けれども、目線は鋭かった。
草太の強い目線が知樹に合わせられる。やけに真剣な表情をしていて、知樹を見つめている。
これは医学生らしい模範的な解答だろう。気を使わせてしまった。それが申し訳なくて、真剣な草太の目線から逃げるように、知樹は目線を落とした。
「僕は全然すごくないよ。ごめんね、来たばっかりで気を使わせちゃって。もうお風呂に入っておいでよ。クーラーつけるからさ」
まだ何か言いたげな草太に気づかないふりをして、知樹は立ち上がり、なるべく兄の写真の方を見ないようにして窓に近づき、ぴしゃりと何かを断つように窓を閉めた。
ともだちにシェアしよう!