3 / 5

第3話

 朝日が瞼の裏に透ける。時間を確認すると、朝の六時。いつもよりも早いが、目が覚めてしまったので、知樹は身体を起こした。  昨日から彩奈の代わりに、彩奈の友人の草太が来ている。七時頃に起きておいで、と言ってあるから、草太はまだ寝ているだろう。  そっと音を立てないよう、気をつけて身繕いをする。兄の写真に手を合わせ、簡単な朝食を作った後、ちょっと早いが店の清掃をしておこうと、下まで降りていった時だった。 「あ、知樹さん、おはようございます!」  箒を持った草太に声を掛けられた。どうやら先に起きていたらしい。しかし知樹はすぐ返答ができない。  代わりに出てきたのは素っ頓狂な叫びだった。 「な、なんで半裸なのっ!」  知樹はスポーツ用の短パンと運動靴を履いているが、上半身は何も着ていなかった。  それで箒を持ち、店の床を掃いている。しかもなぜか汗だくだ。  額、首すじ、胸元、腹と汗で光っている。草太が額の汗を男らしく腕で拭った。  知樹は思わず、その仕草にドキッとしてしまう。草太にとっては何気ない動作なのかもしれない。しかしゲイである知樹はどこか性的めいたものを感じてしまう。顔を赤くしてしまった。 「俺、健康のために毎朝ランニングしてるんですよ。今日もしてたんですけど、実は替えのシャツを忘れてしまって……」  しかし草太は失敗してしまった、というような表情はしていない。むしろ清々しそうだ。 「まあ後の荷物は今日届くし、半裸で海辺を走るのも気持ち良くって、良いかなって」 「え! それでその辺を走ってきたの!」  思わず知樹の声が大きくなる。小さな港町だから、町にいる人は大体知り合いだし、よそ者はすぐにわかる。それに常連の釣り人にシーガルで働く、と話をしているので、草太がここの関係者だと、みんなもう知っているだろう。それに金髪で都会風の草太は、ここの田舎ではかなり目立つのだ。 『シーガルの従業員に変な人がいる』ともう噂になってしまっているかも知れない。 「せ、せめて服ぐらい着て、外に出てよー! Tシャツとタオルを持ってくるからちょっと待ってて!」  バタバタと階段を急いで上がり、クローゼットから白いTシャツとハンドタオルを取り出し、すぐに店へと向かった。 「はい、これ!」 「おお、あざす」  タオルとTシャツを渡し、知樹は草太からすぐ離れた。  三十を過ぎて、性的なことに慣れていないというのは、自分の恋愛経験のなさを物語っていて、とても恥ずかしかった。  自分の性的嗜好を知ったのは中学生の時だ。しかし恋愛をする暇もなく、ただ何となく男性が好き、女性には恋愛感情は持てない、という事を自覚したぐらいだった。  年上の優しい学校の先生や施設の男性職員に憧れて、片思いで全て終わっている。誰かに思いを伝えるどころか、付き合ったこと、自分の性的思考をカミングアウトしたこともない。  それに昨日は特別に草太のことを意識していなかったのに、さっき裸の上半身を見ただけで狼狽えてしまうなんて、やましい心が少しでもあったのだろうか、と自分で自分を疑ってしまった。 (自由すぎるよ……、若い子、わからん……)  草太は顔から順に渡されたタオルで拭いている。見てはいけない、と思いつつも、ちらちらと目線を向けていると、知樹はあることに気がついた。  草太の胸元には引き攣ったような傷跡があった。弧が二つ描かれているような形だ。 (カモメみたいな形だ……)  結構目立つ場所に、それなりに大きくカモメ型の傷跡は描かれている。  何か手術でもしたのだろうか、それとも大きな事故に遭って、その時の傷跡がそのまま残っているのか。  じっと見つめていると、視線に気づかれてしまい、目があう。あんまり他人の着替えるところをじろじろと眺めるのは良くないだろう。もちろん草太にも明かしてはいないが、知樹はゲイなのだ。恋愛対象ではない人物に、多少なりとも性的な目で見られていると、もし知られてしまったら、気分を害するに違いない。  知樹がさっと目を逸らすと、タオルで身体を拭いながら、草太が近づいてきた。 「これ、気になります?」  どうやら知樹の視線に気づいていたらしい。バレるほどじっと見つめていたのかと思うと、焦る気持ちが出てくる。  知樹は目を白黒させてしまった。  そんなことは気にしていないのか、草太は胸元を親指で指差す。例のカモメ型の傷跡だ。 「いや……、何かな、とは思う、けれど……」  程よく筋肉のついた胸筋や、影のできている腹筋が今の知樹の目には毒だ。返答も要領を得なくなってしまい、余計に焦った。 「これね、俺が生きてるって証なんです」  しっかりと真剣な言葉で、誇らしく告げられる。だが、知樹はそれどころではない。とてもじゃないが、これ以上見てはいられない。 「そう、なんだ……」  そうやって応えるのが精一杯で、一瞬傷跡を見て、すぐに目線を逸らした。  昔、大病をした際の手術痕とか、大きな事故に巻き込まれた時の傷跡とか、命に関わるものの名残なのだろう。  海が近いから時たま、上衣を脱いで店にやってくる男性客はいる。けれどもこんなに動揺したことはなくて、そこにも知樹は困惑した。 (大峰くんの顔と身体が、良いから……?)  明るくて、一緒にいて楽しくて、イケメンはさぞ、モテるだろう。知樹のような、恋愛経験ゼロのゲイならすぐに恋に落ちてしまうに違いない。 (自分で考えてて、虚しく思えてきた……)  特別惚れっぽいわけでもないけれど、それだけ草太には容姿も、性格も魅力があった。  なら尚更、とにかく早く服を着てほしい。自分の疾しい気持ちがバレてしまう前に。 「早くシャツ、着なよ……」 「すみません、お借りしますね! めっちゃいい匂いしますね! 柔軟剤がいいのかな?」  無地の白いTシャツを着るだけでも、草太は楽しそうだ。 「近くのスーパーで買った一番安いやつだよ……」  何だか疲れてしまい、知樹は近くに合った椅子に腰掛ける。この先、ずっと彼はこのテンションなのだろうか。自分は平常心でいられるだろうか。 「庭の水やりしてきます!」 「よろしくね」  草太が外へ出て行き、ふう、と大きめのため息をついた。昨晩は重い話をいきなりしてしまったり、今日はドキドキさせられたりと何だか草太に引っ掻き回されていた。 (いや、兄さんの話をしてしまったことを大峰くんのせいにするのは少し違うか……)  予想外に来客が多かったり、慣れないことが起きたりしてきっと疲れていたのだ。だから普段はスルーできたり、考えないでいられることに気をとられたりしてしまったのだ。  きっとそうに違いない。無理やり自分を納得させ、知樹が椅子から立ち上がる。いつもより早く目が覚めたから、店の清掃をしにきたのだが、掃き掃除とテーブル拭きは草太が既にやってくれていたようだ。 (朝ご飯、一品増やすか……)  草太はランニングをしてきたと言っていたので、お腹が空いているだろう。魚の干物を焼こう、と思い、二階へ上がろうとすると、外から大きな声が聞こえた。草太が知樹を呼んでいる。 「知樹さーん! 見てくださいこれ!」  無視するわけにもいかない。はあい、と返事をして、知樹は急いで外に出た。 「見てください!」  草太は海から出てきた朝日に向けて、ホースの水を飛ばして、目の前の道路を濡らしていた。 「虹ですよ! 絶対、良いことありますね!」  大きく広がった水しぶきの中に小さな虹が架かっている。キラキラと反射したそれはオレンジ色の朝日を受け、一層眩しく見えた。  草太は白い歯を見せ、朝日に輝く水しぶきと同じくらいキラキラとした笑顔を知樹に向けた。  本当に水しぶきの中の虹も、海から出てくる朝日も綺麗だ。単なる水と光の反射だとわかっているのに、なぜか特別なもののように思え、不思議な気持ちがした。  草太の金髪も淡い赤色に輝いている。虹を見据える笑顔が朝日に煌めいていた。 「綺麗だね……」  虹ではなく、草太を見つめながら、思わずそんなことを呟いてしまい、知樹は顔を真っ赤にしてしまったが、うまく取り繕うことができなかった。    店はいつも午前十一時にオープンする。今日は天気も良いので、客足も伸びるだろうと予想している。  知樹と草太はお揃いの緑色のエプロンをつけている。胸元にはカタカナで『シーガル』と刺繍されており、その横にカモメのマークがピンバッチをつけていた。 「おお、俺の胸の傷と同じ形ですね、シーガル……、カモメ型……」  シーガルとはカモメという意味だ。兄がこの店を見つけたとき、屋根にカモメが止まっていたから、名前をシーガルにした、と聞いている。 「カモメ型の傷跡を胸に持つ俺がカフェシーガルで働く……、何か運命感じません?」 「はいはい、カモメみたいにぶっ飛んだ思考しないでよ」 「何すか、それー、酷いなあ」  ははは、と草太が笑った。距離が近づいたような気がしていた。ちょっと朝は変に意識してしまっていたが、朝ご飯を食べ、店の準備に追われていると、自然と気まずい気持ちは無くなっていった。  きっと草太の性格のおかげだろう。おおらかで、何でも笑いに変えてくれた。どこかぎこちなかった知樹に気がつき、フォローしてくれたのかもしれない。  シーガルは日替わりランチを提供している。日替わりランチには地元の農家の野菜を使用していた。  港町なので、魚介など水産物が目立ちがちだが、ここは野菜や果物も美味しいところだ。  それに目をつけた兄がここを地元の野菜を使った料理を提供する場として、開いたのがそもそもの始まりである。  なので知樹もそれに倣い、地元野菜をふんだんに使った料理を提供している。  来客を告げる鐘が店内に鳴る。派手な服装とメイクの女性二人組が入店してきた。 「いらっしゃいませー、お二人様ですか?」  早速草太が二人組に話しかけている。ファミレスで働いていたぐらいだから、これぐらいはできるだろう。しかし一応気になるので、知樹はキッチンから様子を眺めていた。 「二人でーす、てかやっぱめっちゃおしゃれだね」 「さすが。れなの言う通りにして正解だわ」 「この席は海が一番綺麗に見えるのでおすすめですよ。それとも外のテラス席にしますか?」 「テラスはあっついし、陽に妬けるからね。店内のこの席にしまーす」 「かしこまりました、メニューはこちらになります。本日のおすすめは日替わりランチとなっております」  なかなか様になっているではないか、と草太の接客対応を見て、知樹は頷く。知樹は用意しておいたお冷やを草太に渡す時、そっと耳打ちした。 「さすがだね、完璧だよ」 「任せといてくださいよ」  頼もしい言葉だ。草太がお冷やを出している時、日替わりランチ二つというはしゃいだ声が聞こえたので、知樹は早速準備を始めた。  今日の日替わりランチは、玄米ご飯の大葉おむすび、玉ねぎとカボチャの味噌汁、海苔生姜ペーストと梅肉、メロンとかぶの梅酢和え、糸こんにゃくとがんも、もやしのマスタードソテーだ。  今は夏真っ盛り。暑さでダウンしてしまい、体調を崩すこともあるだろう。夏バテをしている時にこそ、梅や生姜、マスタードなどで味付けされた野菜を食べ、おむすびで栄養も元気も両方摂ってほしい。  塩味のおむすびを大葉で包み、玉ねぎとカボチャの味噌汁を温めながら、他の料理を作り上げる。下拵えはしてるので、あとは温めたり、火を通したりするだけだ。  十五分ほどで作り上げ、皿に盛り付け、トレイに載せると草太に渡し、配膳してもらった。 「なにこれめっちゃオシャレじゃん」 「メロンとカブの梅酢和えって初めて聞いた。色めっちゃ可愛い〜」  二人はパシャパシャと食べる前にスマートフォンで日替わりランチの写真を撮影している。真正面から撮影したり、海とランチが見えるように撮影したり、店内とランチが映るように撮影したり。時にはお互いに食べる様子を動画で撮影し合ったりもしている。  知樹はその様子をこっそりキッチンから見ている。料理や店内、店にディスプレイされている小物の写真を撮影されたり、食事中に動画を撮影したりすることに関して、嫌な気持ちがするだとか、行儀が悪いだとか、そう言うことは一切思わない。  むしろ旅行を楽しんでもらい、シーガルでの食事も大切な思い出としてもらいたかった。だから二人が笑い合いながら、写真を撮ったり、食事をしているところを見て、嬉しくなった。  しかしあまりお客さんの様子をじっと見たり、会話に聞き耳を立てるのは良くないだろう。おむすびにつけて食べるための海苔生姜ペーストを余分に作っておこうと、冷蔵庫を開けた時だった。 「ここ、店員さん二人もイケメンじゃない?」 「確かに。繊細な未亡人と、爽やかチャラ男って感じ」 「れなの例え、いつも何か変だよね。でもめっちゃわかる、あはは」  二人は声を小さくして話しているが、近くにいる知樹には聞こえている。思わず苦笑してしまった。 (若い子は不思議な例えをするなあ)  三十代で、ただのおじさんの、自分のどこを見たら、未亡人なんて言葉が出てくるのだろう。 「イケメンですってよ」  草太が近寄ってきて、知樹に話しかけてきた。妙ににやついている。同世代ぐらいの女の子にイケメンなんて言われ、嬉しいのだろう。 「大峰くんは確かにかっこいいけれど……、僕の繊細な未亡人ってどういうことなの?」  知樹は海苔を千切りながら、草太に尋ねてみた。 「そのまんまですよ。なあんか、知樹さんってほっておけないっていうか、構いたくなるオーラが出てるんですよねえ」  何気なく言われた言葉だが、どきりとしてしまう。耳元に熱が集まってきた。  こういう時、恋愛慣れしていない自分がつくづく嫌になる。  変な力が入ってしまい、知樹は持っていた海苔をぐしゃと歪ませてしまった。 「なにそれ……、ほっといて、僕に構わないでよ」 「それも何か……、未亡人っぽくて、照れ隠しっぽくて、グッと来ます」  実際照れ隠しだったので、言い当てられてしまい、それもまた恥ずかしい。じっと草太の視線が知樹の横顔に注がれているのがわかる。しかし知樹は動揺から、目線を合わせられず、手元の真っ黒な海苔をずっと見ていた。  草太はきっと男性に対して、恋心は抱かないタイプなのだろう。いわゆるストレート。まあ何となく、雰囲気でわかっていた。 (僕が男性しか好きになれず、しかも一方的な片思いしかしたことがない、とは微塵も思っていないんだろうな……)  性や性的嗜好の多様性が叫ばれる世の中になったとて、知樹のような存在は少数派だ。  何だか色々と考えていたら、逆に冷静になってきた。いつの間にか海苔は全てちぎり終わっている。  今度こそ冗談っぽく、変なこと言わないでよ、と言おうと、知樹が口を開けた時、二人組からお冷やのおかわりの声が上がる。 「はあい、ただいま!」  草太は素早く反応し、ガラス製のピッチャーを持ち、客席の方へと行ってしまった。  まあ大丈夫だろう。知樹の変な動揺は草太に伝わっていないに違いない。 「お兄さんたち、ほんとイケメンですよね? 地元の人ですか?」 「いや、俺は東京から来た臨時のアルバイトですよ。店長は地元の人だけど」 「え、そしたらうちらと同じですね、うちらも東京から来たんですよー」  何だか三人で盛り上がっている。金髪の今風のイケメンと服装もメイクも派手な可愛い女性二人組は絵になっていて、何の違和感もなかった。  草太は店員としての一線を引きながらも、慣れ慣れしくするわけでもなく、かといって生真面目に応対をするわけでもなく、適切な距離感で二人に接していた。  これはモテるだろうなあ、とふと思った。  草太と過ごしていると、心地いいのだ。話しやすくて、けれどもベタベタとするわけでもないが、たまにこちら側に飛び込んでくる。  千切った海苔を沸騰させた湯につけ、溶かす。  何だか変に胸が騒いだ。 (勘違いしてしまう人、いるだろうなあ……)  他人事だと思うことにして、知樹は芽生えかけたものに気がつかないふりをする。自分には関係ない、と思い、溶かした海苔をかき混ぜ、頭を緩く横に振った。 「とも……、店長! お客さんが店内の写真を撮りたいそうです!」  草太に呼ばれ、はっと鍋から顔を上げる。 今はこの二人組の他にお客さんもいないし、好きに撮影してもらっても構わない。  知樹は鍋の火をとめ、キッチンから出た。 「他にお客さんが来るまでは良いですよ」 「ありがとうございます! やったね、なお! いっぱい撮ろうよ!」  二人は既に食事を終えている。空になった皿を草太に運んでもらい、知樹は食器洗いをすることにした。  二人は飾り棚の方に行ったり、テラスから見える海を背景にして、あれこれと写真を撮っている。 「あ、俺、二人の写真を撮ってきますねー」  そう言って草太はテラスへと出ていった。二人が自撮りで撮りにくそうにしているのを見て、手伝いに行ったのだろう。  知樹は感心してしまった。  良い性格な上に、気も利くなんて本当に草太はすごい。最初の心配な印象はもうない。立派に彩奈と同じ役目を果たしてくれている。 テラスが見えるガラス越しに三人がはしゃいでいる姿が見えた。草太も一緒になって撮っている。 (良いなあ、楽しそうだ……、兄さんだったら三人の間に入って行って、一緒に写真を撮るんだろうなあ)  そういう性格ではない知樹はキッチンからその様子を見るばかりだ。だいたい、若い子たちの間に一人、三十路のおじさんが入っていっても、困惑されるだけだろう。  でも少しだけ、羨ましいと思ってしまった。彩奈がいなくなり、寂しい気持ちを接客で気を紛らわせていたが、草太が来て、欲張りになってしまったのかもしれない。 (料理に集中しよう……)  これから本格的なランチタイムが始まる。  海苔を緩くかき混ぜ、知樹が鍋の火を止めた時だった。 「知樹さんも来てくださいよ! 一緒に撮りましょう!」  店内に戻ってきた草太が知樹を呼んだ。断られることなど一切考えていないような、そんな眩しい笑顔で、楽しそうに側に近寄ってくる。 「女の子たちも知樹さんと撮りたいみたいです! イケメン店長とイケメンアルバイトで、バズったらカフェも大繁盛しますよ〜!」 「え、でも……、僕、おじさんだし……」 「ほら! よくわかんない言い訳してないで行きますよ!」  断る理由もうまく見つけられず、知樹は言われるがままにテラスへと出る。  冷房が効いている屋内とは違い、屋外へ出ると一気に蒸し暑い。雲一つない空から痛いぐらいの陽光が降り注ぎ、知樹は目を細めた。 「店長さん、ありがとうございます! ここに来て!」  女の子の一人が知樹の腕を引っ張った。そして海と店の看板を背に、知樹は草太の隣に並ばされた。  前には女の子二人がくっついて並んでいる。それと同じように草太も知樹に密着してきた。 (わ……、近い……)  半袖なので素肌がふれ合い、肩もくっついている。  不意にドキドキしてきて、どういう表情をすれば良いのかわからなくなる。  草太は写真に収まるよう、前の女の子たちの真似をして、知樹にくっついているだけだろう。その行為に他意はない。変に意識しているのは知樹だけだ。  知樹が貸したTシャツの下には適度に鍛えられ、健康的に日焼けした身体が隠されている。  写真を撮るのに密着しただけで、ここまで意識してしまうなんて、自分でもどうかしている、と感じた。心臓がばくばくとしていて、小指の先が小さく揺れる。知樹は両手を後ろに隠した。  朝から草太の半裸を見てしまったのがいけなかったのだ。きっとそうだ。恋愛にも、性的なことにも疎い自分はそれだけでも十分上擦った気持ちになってしまったに違いない。 (ちょっと……、情けないな……)  そう思うと、冷静さを取り戻し、落ち着くことができた。知樹はシャッターが押されるまでの間、カメラをじっと見る。 「あ、良い感じでーす! そのままでお願いしますね! 笑ってくださいね! 撮りますよ!」  笑って、と言われてもどうしたら良いかわからない。画面を見ると、女の子たちはキメ顔をしているし、草太はピースをして、白い歯を見せている。  迷ったが、知樹が口角を小さくあげ、はにかんだところでパシャリとシャッター音がした。 「店長さん、ありがとうございます! ランチも美味しかったし、写真も撮らせてもらえて嬉しいです!」 「インスタで紹介する時、この写真を載せても良いですか?」 「構わないですよ、楽しんでいただけたようでこちらこそ嬉しいです、ありがとうございます」  女の子たちも礼儀正しい子たちだった。草太と離れ、変な動悸から解放された知樹は少しホッとしていた。  暑さのせいだけではない汗が背中にどっと張り付いている 「写真、ラインに送ってくださいね! さあさあ、暑いんで中、入っちゃいましょう!」  草太の言葉を皮切りに冷房でよく冷やされた中へとみんなで入る。  そして女の子たちはお冷やを一杯ずつ飲んだ後、料金を払い、店を出た。 「元気な女の子たちだったね、まさか僕まで写真を撮られるとは思ってなかったよ」  二人だけになった店内で、知樹は草太に話しかけた。  ツーショットを撮ってくれ、と頼まれることはあるが、まさか自分まで撮影されるとは思わなかった。初めての経験だ。 「モデルみたいなことしてる子たち見たいですよ! お! 写真、早速送られてきました」  そう言って、草太がスマートフォンの画面を知樹に差し出す。  陽光に煌めく海と、潮風に揉まれ、味が出ているシーガルの看板、派手な服装の女の子二人は可愛くキメ顔をしていて、後ろの草太はいつものように明るく眩しい笑顔を見せている。  草太の横に控えめに笑う知樹が映っていた。やっぱり一人だけ浮いていて恥ずかしい。 「一人だけおじさんがいるよ。やっぱりちょっと恥ずかしいなあ」  顔が熱くなった。若い子に乗せられて、調子に乗ってしまった。いつものようにカメラ係をすればよかったのかもしれない。  知樹がそう言い、俯くと、草太が知樹の顔を覗き込んでくる。 「そんなことないですよ」  にっこり、写真と変わらない笑顔だ。 「知樹さんらしくて、とても良い笑顔です」 「……ありがとう」  胸に甘酸っぱいものが溢れてきて、またドキドキしてきた。ありがとう、から言葉が続かず、ふい、と目線を逸らしてしまう。 「知樹さんにもこの写真を送りたいので、ライン交換しましょうね。やってますよね?」 「……やってるよ」  フレンドは彩奈しかいないメッセージアプリだ。そこに草太が加わると思うと、何とも言えない嬉しさが込み上げる。 (やばい、変にニヤける!)  メッセージアプリのフレンド登録ぐらいでニヤニヤしていたら、草太に不審がられてしまうだろう。  両手で顔を抑えようとした時、来店を告げる鐘が再び鳴る。今度はカップルだ。  いらっしゃいませ、と客に向かっていく草太の後ろ姿を見ながら、助かった、と、知樹はホッとしていた。

ともだちにシェアしよう!