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第7話

 ここに囲われるようになり、ひと月ほどが立っていた。  発情期の間、愛仁はずっと付き合ってくれていた。手や、時には口を使って、賢木に奉仕をしてくれたのだ。  三日間の発情は酷かったが、四日目になるとかなり落ち着き、五日目には発情は治まった。  しかしずっと寝台にいた後遺症でまだ体力が戻ってきていない。大事を取るため、ずっと愛仁の部屋や隣接する部屋で過ごしている。  それに発情期は終わっても、龍角の色も、形も元には戻らなかった。   もう秘密を隠せない。屋敷に帰ることができるかわからない。無性に安房野に会いたくなった。  連絡はしてある、と愛仁は言っていた。ちなみに愛仁は賢木の発情が治まってきた四日目から公務に復帰している。何やら忙しくしており、昨日も夜遅くまで帰ってこなかった。  賢木は体調が戻ってから、自分の身の振り方をどうすれば良いのか、考えている。だが、まだ答えが出ないでいた。  完全な透咲角となったものの、不思議な力は使えない。一応、また部屋から空に向かって、えい、えい、と言って、雨を降らせようとしたり、雲を集めようとしたものの、もちろんできるはずがなかった。 (これからどうすることが一番良いのでしょう……、もう私のことはたくさんの人の耳に入っていますでしょうし……)  賢木は与えられた部屋で寝転がる。身体を丸め、目を閉じた時だった。 「まさか殿下があんなことを言いなさるなんて……」 「菊織枝、声が大きいですわよ」 「こんなこと、もうここで働くみんな知ってるわよ! 斎宮には自分がなるって言って、お上と大喧嘩して、廃太子されそうなんて……、もご」 「しぃっ」  廊下から聞こえてきた話を聞き、賢木は飛び起きる。そして急いで廊下に出た。 「どういうことですかっ!」  廊下にいたのは、賢木が詩空快癒の宴に出る際、衣服を選んでくれた二人の女房たちだった。 「橘様っ⁉︎ こんなところにいらっしゃったのですか!」 「静かに、ちょっとこちらへ来て下さい」  派手な髪色で緑翠角を持っている方が菊織枝、黒髪で黒曜角を持っているのが長鳥丸だ。  二人は驚きながらも、賢木の指示に従い、部屋に入ってくれた。 「お角、やっぱり……」  菊織枝が心配そうな目線を向けてくる。賢木は自分で触れた。 「ええ、私、本当は透咲角なんです」  長鳥丸は何も言わないが、興味深げに賢木の龍角をじっと見ている。  「近衛様がお上に『橘賢木が透咲角だ』と奏上なさって、大混乱だったんですよ。一度、取りやめになった斎宮が復活することになって、その斎宮を橘様にするってお言いになって」 「わたし達も嫌でしたわ、橘様は容姿だけでなく、お心も美しい方、もう一度、わたしたちの手で綺麗にさせたい。なのに斎宮なんて……」 「それで殿下が廃太子にされそうだとか、斎宮になるだとか、一体どういうことなんですか?」  賢木が透咲角だとバレ、斎宮候補となるのは、予想ができていることであるから想像に難くない。それよりも話に出てきた愛仁のことが知りたい。  二人と長く喋りたいが、今は要点だけが知りたかった。  賢木は二人を急かすように早口で話しかける。 「お上は……、龍帝陛下はもう生贄を龍庵湖に捧げる、という考えを崩さないのです。そして、その案は通ってしまった。それに反対して、愛仁殿下は、陛下や大臣様方と朝議で大喧嘩。斎宮には自分がなる、とまで言い出して、もう大混乱だったらしいですわ」 「斎宮には自分がなる、と殿下が言ったことが陛下をかなり怒らせたみたいです。龍角を切り取った上、廃太子するとまで……」  賢木は言葉を失った。自分がここで愛仁からの庇護を受けている間、そんなことになっていたとは知らなかった。  もちろんどうなっているのか、愛仁に聞いていた。だが『斎宮の案は廃止だ。だが近衛がお前に執着しているから屋敷には返せない。諸々の準備を整えてから、お前が透咲角だと発表する』と言われていたのだ。 「でも、どうなるかはわからないですわ……、殿下は皇太子の地位を弟の直仁親王様に譲り、皇族方の中で一番龍神の血が濃い自分が斎宮になるとまでおっしゃっているのです。透咲角の橘様を弟の直仁様の妃とする案も出されていて……、透咲角の方からは透咲角のお子が生まれやすいでしょう……?」 「お二方とも、ありがとう、ございます……、私、何にも知りませんでした……」  何だか地面がぐらついてきた。しかしぐっと踏みとどまる。 「あの、私がここにいることは……」 「おそらく誰も知らないかと思いますわ……、わたし達も余計なことは言いません」  真剣な表情で長鳥丸が頷く。 「橘様も、殿下もどうなるかわかりませんけれども、事態が良い方向へ向かうことを私達も祈っていますから」  菊織枝がしっかりと賢木の手を握る。 「ええ……、引き止めてすみませんでした、また機会があれば、私の服を選び、髪を綺麗に結って下さい」 「もちろん」  二人は頭を下げてから、部屋を出ていく。時折、心配そうに賢木を振り返っていたが、そのまま廊下を曲がって姿が見えなくなった。  二人がいなくなり、気が抜けた賢木はぺたり、と床に座り込んだ。 (そんな……、廃太子だとか、愛仁様が斎宮になるなんて……)  何も知らなかったショックが大きく、賢木はその場に横になる。  龍角に触れると、やはり冷たい。すぐに手を引っ込め、手で顔を覆った。  もう斎宮を捧げる案は決まってしまった。きっと現在、所在不明となっている賢木が名乗り出れば事態は収まるだろう。  愛する愛仁を守りたい。それには賢木が自分で斎宮となる意志を示せば良い。 (恋とは、命懸けで、するもの)  養父母に賢木を託した母も、文字通り命を懸けて賢木を守った。  何かを為すには、何かを諦めなければならない。けれどもその結果が賢木にとって幸せな結果ならば、後悔はない。  例え残された愛仁が悲しむとしても、彼には生きていてほしい。  それも勝手な言種だと思った。 (本当は愛仁様と話し合いをした方がいいのでしょう)  けれども、その結果はおそらく決裂だろう。本格的に監禁されてしまい、外に出してもらえなくなる可能性さえある。  そうなってしまえば、最悪の場合、廃太子された愛仁が斎宮として、龍庵湖に捧げられてしまうだろう。  そして愛仁の庇護を無くした賢木は愛仁の弟である直仁の妃にされてしまうかもしれない。  賢木は身体を起こした。筆と墨を用意し、紙を出す。そして机の前に座った。  ぴっしりと細かい目の決められた上質な紙である。遊び紙ではない。  これなら賢木の本気も愛仁に伝わるだろう。  文章を考えていると、こんな紙切れ一つで、別れを告げようとしているなんて、陳腐なものだと思った。  唐突に思う。どうして人は文を書くのだろう。直接、伝えればもっと良く伝わるのに。  けれども、直接言えないことでも文になら書ける。  賢木は、自分の思いを率直に書き綴った。  透咲角であることを隠していて、恋愛を諦めていたのに、愛仁に恋ができてとても嬉しかったこと、少しの時間でも触れ合えてとても楽しい思い出ができたこと、愛仁のことを愛していること、まさしく命を懸けた恋ができ、自分はこの選択を後悔していないこと。  懐から肌身離さず持っていた手鏡を取り出し、机の上に置いた。  もうこれ以上、愛仁に隠し事はしたくない。だから自分の生い立ちも文に書いた。そして、実母から受け継ぎ、大切にしていたこの手鏡を愛仁に持っていてもらいたい、と。  墨を乾かし、文の形にする。そして裸足で外に出て、咲いていた花を摘み取った。  青い花と黄色い花だ。名は知らない。庭師が摘み取り忘れた雑草の類だろう。 (もう私の龍角は黄雷角ではありませんが……)  誰もが忘れていても、賢木が黄雷角を持っていたことを愛仁にだけは覚えていて欲しかった。  花の切断面に濡れた和紙をあてがい、文に差し込む。  決意はした。だがまだ迷いや恐怖はある。  愛仁のことを思うと、また覚悟が鈍りそうになる。だがもうこうするしか、朝廷や国の混乱を収める方法を賢木は思いつかない。  要は自分にある。そして、自分は深く愛仁のことを愛している。  賢木を突き動かしているものは、もうそれだけだ。  襖を開けると、詩空快癒の時の宴で賢木が着ていた花山吹の衣服と、夕顔の髪飾りが飾ってあった。  今、着ている服を脱ぎ、それに素早く着替える。髪をまとめ、鏡を見ながら、夕顔の髪飾りを差し、賢木は自分を見つめた。 「私は透咲角の龍人、この国で最も龍神に近しい者」  そう呟き、顔の表情を引き締めた。おどおどしてはいけない。堂々と、神秘的に。愛仁はこの衣服を着た賢木を美しい、と言ってくれたのだ。  そして角を隠さず、廊下を出、歩いていく。 帝居の中でも一番中央にある平安殿、龍帝の私邸や朝議の行われる場所へと向かう。  賢木に気がついた者は皆、ぎょっとして道を空けた。  それを見ないように、意識しないようにして、賢木は向かう。  しばらく歩いていると、謀ったように、廊下の影から美邑が現れた。 「これは斎宮様、どちらへ?」  にやついたまま頭を下げた。慇懃無礼な態度には腹が立つが、もう今更だ。 「龍帝陛下にお取り次ぎを」   何の感情も込めず、賢木は冷えた声をわざと出した。

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