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好きだから、アナタのために9

***  お店が開店して、一時間くらい経った頃だろうか。そのお客様は突然見えられた。 「昇さん、わざわざ来てくださったんですか?」  いつもより華やいだ声を出した智之さんの様子が気になり、弾いてる曲をスローテンポな曲調にアレンジし、カウンターに視線を飛ばす。  昇さんと呼ばれたそのお客様はとても美麗な方で、背が低く中性的な体型をしているからか、後ろ姿だけだと女性に見えると思われる。 「店の噂を聞いてるよ。ピアニストを雇ってから、すっごく繁盛してるって」  そう言って振り返ったお客様と、バッチリ目が合ってしまった。慌てて鍵盤から手を外し、立ち上がって深く頭を下げる。 「ごめんね、気を遣わせてしまって。どうぞピアノを続けて」  僕が頭を上げたときにはお客様はカウンター席に座り、智之さんと顔を寄せて、親密そうに喋りはじめた。ふたりのことが気になったものの、人見知りの僕は彼らの会話に混ざれないので、仕方なく先ほどまで弾いていた曲を奏ではじめる。 「いい腕をしてるね。聞き惚れてしまう」  ふたりを気にしないように夢中で弾いていたら、いつのまにかお客様が僕の傍らに立っていた。 「ありがとうございます」  ピアノを弾く手を止めて頭を下げ、お客様に顔を向けて間近で美麗な顔を拝む。漆黒の柔らかそうな髪の下にある瞳は、キレイな形のぱっちりした二重瞼で、通った鼻筋とバラ色の唇が印象的に目に映った。 「ねぇ智之には、いくらで雇われているの?」 「えっ?」 「あ~ごめんごめん。いきなり、ずばっと聞きすぎちゃったか。君のピアノの腕が、どうしても欲しくなっちゃってつい。俺はこういう者です」  胸ポケットからカードケースを取り出し、真っ黒い名刺を手渡された。金色の文字で印刷されたそれを、なんとなく読みあげてみる。 「藤田コンサルティング株式会社、代表取締役社長藤田昇、さん」  名刺から目の前に視線を移動させたら、バラ色の唇の端がつり上がり、僕に優しく微笑みかけた。 「俺の手掛けているものは、夜のお店関連なんだ。ホストクラブにメンパブ、キャバクラやガールズバーなどなど。最近は超高層ビルの最上階から夜景を眺めつつ、ピアノを聞きながら美味しい料理を堪能できるレストランもやっていてね」 「夜のお店をいろいろしている関係で、智之さんともお知り合いなんですね?」  藤田さんの話から、智之さんとのつながりを推理してみた。 「大正解! 本当はウチの系列店で、智之にシェイカーを振ってもらおうと思ったのに、自分の店を持ちたいって言われて断られたんだ。悔しかったけど智之の門出を祝うために、この空き店舗を紹介してやったってわけ」 (藤田さんは智之さんの腕を見込んで、繁華街の中でも目立つ場所のお店を提供したんだ――)  目を瞬かせながら話を聞きいる僕に、藤田さんは切なげな笑みを浮かべて、声を潜めつつ口を開く。 「智之の腕が良くても、世の中不景気でしょ。俺の店も以前より業績は落ちてるからね。心配でたまにこうして、顔を出してるんだ」 「そうだったんですね……」 「だけど君というピアニストを雇ってからは、店の雰囲気が良くなったって噂で聞いてね。心配よりも好奇心で今日ここに来たってわけ」  僕から店内の客入りを確認するように、あちこちに視線を飛ばした藤田さんに、椅子から腰をあげ「わざわざありがとうございます」と礼を告げた。

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