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動き出した歯車1
「うん、そういやオッサンが……毎晩寝る前に飲めっつって茶を淹れてくれたっけ」
「茶だ?」
「何でも俺は小さい頃に惨い形で親を亡くしてるから、精神的に不安定なところがあるって言われて。その茶は漢方で良く効くからって……」
「ふむ、茶か――。それはどんな味の茶だったか覚えているか?」
「うん。つか、ほら! センセが皇帝様と一緒に俺ンところに来た日に淹れたろ?」
「――あのジャスミン茶か!」
「そう! あの茶葉はオッサンが俺をここに置いてく時にくれたんだ。毎晩飲んでたのと同じやつだからって。欠かさず飲むんだぞって言われたけど……」
そういえば皇帝の邸に引っ越してからはすっかり飲むのを忘れていたとルナは言った。
「茶葉か――。ルナ、お前さん、もしかして今もその茶葉を持っているか?」
「あ? うん、多分戸棚のどっかに突っ込んであるはず」
遼二が逸る気持ちのまま戸棚を漁ると、大きな缶に入ったそれが見つかった。
「これだな?」
「うん! そう、それ」
夜半過ぎだがとてもじゃないが朝まで待っていられずに、ルナを連れて焔 の部屋を訪ねた。幸い彼もまだ休んでおらず、すぐに話を聞いてくれた。
「なるほど。あの時ルナが淹れてくれたジャスミン茶か!」
焔 はすぐに医師の鄧浩 を呼び出して分析を頼んでくれた。
「夜分にすまぬな、鄧浩 ! 至急こいつの成分を調べて欲しい。もしかしたら茶葉とは別の何かが混ざっているかも知れんのだ」
鄧浩 は焔 付きの専属医だ。この邸の者たちの健康を管理してくれている頼れる男である。
「かしこまりました! お任せください」
鄧が茶葉を持って医室に帰るのを見送りながら、ふと思い出したように焔 がつぶやいた。
「そういやあの時――俺は確か茶に口をつけなかったな」
ルナとのやり取りに気を取られていて、出された茶を飲まずに帰って来てしまったというのだ。
「カネ、お前はどうだ? あの茶を飲んだか?」
「ああ。そういえば俺は一気に飲み干しちまったな」
紫月が見つかったかも知れないという動揺で、喉がカラカラに渇いていたからだと遼二は言った。
「なるほど――それで合点がいった。あの茶葉に何かが仕込まれていたとすればだ、俺はそれを飲まなかったから変わりなく済んだが、カネが一気飲みしたというなら多少なりと身体に影響があったとも考えられる」
つまり、遼二がここ最近、紫月とルナという二つの人格の狭間で揺れ動いていた原因は、その薬の影響かも知れないと焔 は言うのだ。
「正直に言って普段のカネには有り得ない悩みようだと思ったんだ。お前ならルナが一之宮だと分かった時点で、記憶を失くしていようが別の人格が芽生えていようが、そんなことは気にせずひっくるめて愛するはずだとな」
確かに衝撃的なことだから気弱になっても仕方ないとは思っていたものの、それでもやはりこの遼二がそんなことで悩むなどどこかおかしいと不思議に思っていたのだそうだ。
「だがその原因が薬物にあるとすれば納得だ。あの時カネが飲んだのは茶碗に一杯という少量だったからその程度の異変で済んだが、毎日欠かさず飲まされていたというルナの方には大きな影響が出て記憶を失ってしまった――と、そういうことなんじゃねえか?」
焔 と遼二は鄧の分析を待つと共に、ルナが行商人とどのような生活を送っていたのかを詳しく聞くことにした。
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