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皇帝の縁談1
香港、九龍城砦――。
一之宮紫月がルナとして暮らし始めてから四年の月日が流れようとしていた。
紫月の記憶は未だ戻らず、すっかりルナという呼び名が定着したその頃――それでもルナの性質は以前の紫月そのものというくらいに明るさを取り戻していた。
周焔 の皇帝邸の裏手には鐘崎組の立派な事務所と一之宮道場が完成して、移り住んだ者たちもここでの生活に慣れ、紫月を拉致した闇組織の解明に向けても少しずつだが進展を見せ始めていた。
周焔 と鐘崎遼二は共に二十七歳となり、焔 に至っては今や城壁の皇帝として押しも押されもしない堂々たる存在である。ルナは二十四でまさに美しさの盛り、そして中学生だった冰も高校に通う十七歳、あどけなかった子供もすっかり青年の兆しを見せるほどの成長ぶりだ。
冰の育ての親である黄 老人は高齢となったものの未だ健在で、週の半分はカジノへ通い、現役のディーラーとして活躍していた。
信頼できる家族や仲間たちとの生活は心地好く、誰もが幸せといえる日々を送っていた中、目下の悩みは皇帝周焔 に持ち上がった縁談の話であった。城壁内に通う得意客のお偉方から焔 との婚姻を世話したいという再三の申し出が聞こえるようになっていたからである。
焔 の父親はここ香港の裏社会を仕切るマフィアのトップである。むろんのこと、城外にいるその父にも縁談の話は持ち込まれていたものの、そういったことは息子の意思を第一に考えたいとのことで、縁談を望むお偉方にとっては少々頭の痛いところだったようだ。
「まったく……困ったものですな。皇帝はまだ身をお堅めになるご意思がないようで、何度お訪ねしても首を縦に振ってはくださらない。もう二十七にもなろうというのに、未だ独り身をお続けなさるおつもりか」
「皇帝は妾腹であられるが、御尊父の実子であることは間違いない事実だ。ご長男の周風 様は既に姐様をお娶りになられた今、周家と縁を持つには次男の皇帝殿しかいらっしゃらないというのに――」
つまり、お偉方にとって焔との婚姻は周家との縁を持ちたいが為であって、焔 自身の幸せを思ってのことではないわけだ。それが分かっているから父の周隼も、また焔本人もこの縁談には乗り気でないというところでもある。
しかしながらお偉方にとっては焔 との婚姻が周家と繋がりを持つ為の最後の手段であるのも確かで、ゆえに何とかして見合いの場だけでも持たせてもらえればと躍起になっているわけだ。それというのも、周家には子が二人しかいないからである。周風 と周焔 の兄弟だ。
本来であれば血筋も立場も申し分ない長男の周風 に嫁入りできれば万々歳なのだが、当の周風 は既に結婚してしまっている。妾腹とはいえ、残るは次男坊の周焔 を逃す手はない――と、まあそういったところなのだ。
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