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解けた記憶の糸1

 と同時に男たちの服のボタンやベルトなどを次々と切り落としていく。中には結っていた髪留めのゴムだけを切られて、長髪がバサリと(くう)に舞った男もいる。皆一様に何が起こったのかすら分からない内に長刃の先に引っ掛けられてズボンが膝まで落ちたりシャツの前が開いて素肌が晒されたり――ふと気付いた時にはあまりの驚きで全員その場で腰を抜かしてしまっていた。 「親父! 冰君を頼む!」  ルナは言うと、刃を逆さに持ち替えては峰打ちの構えを取り、腰を抜かしている男たちの意識を次々に刈り取っていった。その鮮やかで俊敏な動きには一部の隙もない。まるで彼の身体に別の何かが宿ったようにも感じられる見事さだった。  その様子を見ていた飛燕(ひえん)は冰を抱えながらも興奮気味に瞳を輝かせた。 「野郎……やはり身体は覚えていやがったな」  記憶を失くす以前の紫月ならば当たり前のように身についていた剣術の技だ。ここへ来てからルナは自分が武術を心得ていることすら忘れていたようで、道場の仕事を手伝いながらも飛燕の武術の腕前を目の当たりに、『お父さんすごいですね』などと感心しきりだったが、一度身につけた技をそう簡単に忘れるはずはないと飛燕もまた賭けに出たのだ。こういった緊急事態ならば、もしかして記憶以前に身体が反応を見せるのではないかと思ったからだ。  まあそれでも思い出せずに立ち尽くすようであれば、自身が腕を奮えばいいだけのこと――と、ある種の賭けだったわけだが、ルナは見事にその期待に応えてみせた。しかも咄嗟に出た言葉は『お父さん』ではなく『親父!』だった。彼の中で記憶を封じていた何かが例え一部でも飛んで晴れたのかも知れない。  そんな期待と共に息子に向かって声を掛ける。 「ルナ――よくやった。これで全員ふんじばれるな」  するとルナは、ごく当然といったようにこう返してきた。 「ああ、助かったぜ親父! ヤッパまで持って来てくれるなんてさすが……」  と、ちょうどその時、真田が皇帝周焔(ジォウ イェン)と遼二を連れてやって来た。 「冰!」 「ルナ!」  彼らは青い顔で慌てて駆け付けて来たようだが、ルナの足元ですっかり伸びてしまっている男たちの様子に、驚きつつも安堵したようだ。 「おう! 周焔(ジォウ イェン)! 遼も――宴席抜けて来てくれたんか?」  ルナは当たり前のようにそう言いながらも、足元で伸びている男たちを指差して笑った。 「良かった。こいつら運ぶのに人手がいるところだったんだ。おそらくだが、おめえに縁談持ち込んできたお偉方が差し向けてきたゴロツキじゃねえかと思われるんだけどな」  こいつらが目を覚ます前にふんじばってしまわないと――といったふうに男たちの襟首などを掴み上げながら様子を確認している。  そんなルナを凝視しながら誰もが呆然としたように瞳をパチクリとさせてしまった。 「おい……ルナ? おめえ……今、俺のことを周焔(ジォウ イェン)と言ったな?」  それは紫月が記憶を失くす前の呼び方だ。(イェン)に続いてすかさず飛燕も割って入る。 「俺のことは『親父』と言ったぞ」 「あ――? 何言って。ンなの当たり前……」  そこまで言い掛けてハタと何かに気付いたように皆を見つめた。 「親父……? 遼……だべ? それに(イェン)……。あれ? 俺……どう……して」 「……もしかして……思い出したのか……?」 「………………は? 思い出したって……何……を?」  誰もが逸る思いでルナを見つめる。  恐る恐る――といった調子で遼二が訊いた。 「おめえ……名前は? 自分の名前、言ってみろ……」 「名前――? なに今更……。紫月、一之宮紫月……。つか、何? 皆んなどうかしちまった……んじゃ……」  そこでようやくと記憶が戻ったことを自覚したようだ。 「え……? あれ……? 俺、どうして……」 「……紫月!」  有無を言わさずといった調子で遼二にきつく抱き締められて、ようやくと事の次第が理解できたのか、ルナは大きな瞳をこれ以上ないくらいに見開いたまま、ヘナヘナと愛しい男の腕の中で崩れ落ちてしまった。どうやら足腰の力が抜けてしまったようだ。  拉致に遭ってから四年、誰もがもう二度と思い出すことはないのだろうと諦めていた紫月の記憶が奇跡的に蘇った瞬間だった。

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