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【十六】竜
緑の合間の獣道を、俺は静かに登っていった。会話が無い道中が、なんとなく物悲しい。ある意味俺にとって船旅を除き、初の一人旅だ。靴で土を踏みしめながら、俺は杖をつきつつ、竜がいるという山間部を目指した。途中で、集落の三角屋根が見えたが、まずは竜を確認する事にして、依頼書にあった竜の住処を探す事にした。
「お」
少しすると強風が吹き始め、魔力の混じった空気を感じた。
俺は気配を殺して進み、巣に横になっている巨大な緑色の竜を視界に捉えた。
眠っているようで、大きな瞼が閉じられている。
巨大な手には、なにやら丸いガラス玉のようなものが握られている。時折それは、日の光で虹色に煌めいている。一歩前に出た時、竜の瞼がピクリと動き、緩慢に目が開いた。俺が見据えると、竜も俺を見たから、目がばっちりとあった。
「何用だ? 人間よ」
「あ……ええと、そこの集落を襲っている竜は、お前か?」
「……攻めてくる人間を撃退する事もあるが、襲いはしていない。威嚇して散らしているだけだ。無論、食糧を得るために、集落のそばの山に入る事はあるが、我はそのような事はせぬ」
竜の声は、どこか悲し気だった。テノールの声音に、俺は腕を組む。
「つまり、誤解されてるってことか?」
「いかにも。我の姿を見ると、人間どもは、弓を放ってくる。火のついた矢じりの弓だ」
「……」
「我はただ、ここで卵を温めて、わが子が孵るのを楽しみにしているだけだ」
その言葉に、俺は巣をまじまじと見た。そこには薄い黄緑色の巨大な卵が三つある。
「そうか。じゃあ俺は、集落に行って、誤解を解いてくる」
「なんと……人間よ、そのような事が叶うのか?」
「分からないけどな、やらないよりは、やってみた方がいいと俺は思うよ」
「ふむ。では、良い知らせを待つとするか」
竜の声に頷いて、俺は踵を返した。そして集落までの坂道を下りていき、そこにいた村人に声をかけた。
「あの、依頼を受けた冒険者なんですが、依頼を出した村長さんにお会いしたいんですが」
「ん? ええ? 竜退治の? わぁ、助かります! 案内しますね!」
退治はしないつもりだが、俺はそれは伝えずに笑っておいた。そして村人の後に続いて、山間部のその集落の中で、一番大きな家へと向かった。
「ここですよ」
「ありがとうございます」
俺は礼を告げてから、村長宅の鐘を鳴らした。すると少しして、禿げ頭の背が低い人物が顔を出した。年のころは、六十代くらいだろうか。
「冒険者様かね?」
「はい。竜の事で少しお話があります」
「そうかい、そうかい。どうぞ入ってくだされ」
村長さんに誘われて、俺は家の中へと入った。客間に通されて、お茶を振る舞われる。
「して、討伐は出来そうなのですか?」
「いや、竜と話をしてきたんです」
「なんと!? 竜と対話!? 竜の声を聞き取る事が出来るレベルなのですかな!? 800以上のレベルですかな!?」」
「え? ええまぁ。レベルはそうですが……竜の声は、普通は聞こえないんですか?」
「勿論、聞こえません」
「そうだったんですか……」
「それで、竜はなんと?」
村長さんが、身を乗り出した。俺は、竜の語っていた事を、そのまま告げた。卵の事や、食糧の事だ。すると村長さんが押し黙った。
「……本当に襲ってこないのでしょうか? 儂達には、竜の声は聞こえませんし、ただの脅威です。熊よりもずっと酷い害獣だと思うのですが……」
「俺を信じてください。うーん、どうしたら信じてもらえるんだろう……」
「冒険者様。万が一竜が襲ってきたら、儂らは……どうぞお助けください。竜を討伐していただきたい」
「俺にはそれはできません。そうだ、代わりに、この村に結界を張るというのはどうですか?」
「結界?」
「はい。風の魔術で、人間以外は、集落に立ち入れないようにします。山も。竜が餌を取る場所を除いて、結界で守ります。これならば、安全だ」
「……ふむ。では、お願いします」
こうして俺は頷いてから外に出て、集落の周囲に結界を張った。そして結界を維持するために、魔法陣を集落の広場の片隅に刻んだ。俺のそばで終始目を丸くしてみていた村長さんが、腕を組む。
「ふむ……予言の通りではあるのですよ」
「へ?」
「実は、竜に困って、星読みの一族に、占ってもらった事があるのです。そうしたら、その者は、自分の弟子だった冒険者が、結界を張ってくれるから大丈夫だと言って、去っていったのです」
「え? 星読みの一族ってなんですか?」
「未来が見えるといわれています」
「う、うーん? 弟子……? も、もしかして、アルトと言う名前でしたか?」
「おお、そうです。ご存じですかな!?」
「俺の師匠です」
「!! では本当に予言の通りに!! 信じる事にいたしましょう!」
「本当ですか? だったら今後は、竜とは仲良く、その……弓は放たず……」
「ええ。集落中に周知しましょう!」
「よかった。俺は、竜にそれを伝えてくる。お邪魔しました!」
「本当にありがとうございます!」
こうして、俺の交渉はなんとか成功した。
その足で竜の元に戻ると、竜が俺を見た。
「結界の気配がしたが」
「ああ。村人は、安心したし、もう弓は放たないと言っていた」
「そうか。説得してくれたのだな。人間よ、名前は?」
「俺はジークというんだ。お前は?」
「我は、ジャネスという。お礼に、この宝玉を受け取ってくれ」
「お礼なんていいよ!」
「いいから、持っていくがよい。きっと役に立つ」
「……? 宝玉ってなんだ?」
竜が手でガラス玉を俺に向けた。俺が手を伸ばしてみると、巨大だったガラス玉が、手のひらサイズに変わった。まじまじと見ていると、虹色の煌めきが見えた。
「古代の遺物に関わるものだ」
「遺物?」
「いかにも――あ!」
その時竜の声の調子が変わった。俺が改めて視線を向けた時、パキリと音がして、卵の一つの殻に亀裂が入った。そのまま卵の殻が割れていく。
「キュピー」
光があふれ、その場に小さな竜が現れた。
「生まれたのか!」
「ああ。無事に生まれた。残りの二体も楽しみだが、この子が初めての子だ。他の卵も屍竜にならないといいのだが……」
「屍竜?」
「うむ。卵のまま死んだ竜は、知性を持たない竜型の魔物となる。魔物は、絶望や悪意が、強い素質を歪めた時に生じる。たとえば、ジークは強い勇者の一人としての素質を持っているようだが、それが歪めば、魔物となる」
「え? 俺が? 人間が魔物に?」
「そうだ。だから気を付けるように」
「……分かった。でも俺が勇者の一人? パーティにいたのが分かるのか?」
「神託は竜にも聞こえる。星読みの一族と、竜は、神殿に行かずとも、聞き取れる」
「そうなのか」
「しかし我が子は可愛いな」
「そうだな。小さいな」
嬉しそうな竜の声に、俺も笑顔になった。
その後俺は宝玉を受け取ることにし、竜に別れを告げて、冒険者ギルドへと戻る事にした。街を目指して歩きながら、なんだかいいことをしたような、そんな気持ちに浸る。今度ロイに会ったら、この話をしたいと思った。今頃、ロイは何をしているのだろうか。ふとした時、俺はロイを思い出している。
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