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第14話

「翔護」  名前を呼ぶだけで、ちょっと緊張する。こうして、彼の名前を呼ぶのも久しぶりだ。  しばらく待ってみても、返事はない。物音の一つもしないから、きっと聞こえていないのだろう。  千聖は階段を上り翔護の部屋の前まで行くと、ドアを三回ノックした。  ギッと椅子の軋む音がする。今度は、きっと聞こえている。 「翔護、ごはんの用意できたよ」  このまま無視されてしまうのが怖くて、千聖は中からの返事を待たずに矢継ぎ早に続けた。 「今日はね、生姜焼き。翔護、うちのお母さんの生姜焼き好きだったよね?」  無視されなくても、もしかしたら「部屋の前においといて」なんて展開もあるかもしれない。 ドキドキしながらドアに寄り添い待っていると、ややあって「……すぐ行く」と返事が返ってきた。  三年ぶりの会話。翔護が、返事をしてくれた。  それだけで、千聖の体はふわりと羽が生えたみたいに軽くなる。小さな天使たちが、千聖の体の回りで歓喜のラッパを鳴らしている。  食事につられただけだってよかった。自分と顔を合わせたくないって、避けられてしまうかも思っていたから、一緒に食事が出来るなんて夢みたいだった。 「うんっ、待ってるね。すぐ来てね!」  嬉しさのまま軽くつま先で階段を下り、自分の皿から取った肉を翔護の皿へ一枚多くのせる。  木崎家の生姜焼きは、細切りにしたにんじんやピーマン、玉ねぎなどの野菜が多く入っているのが特徴だ。 野菜嫌いの父にどうにか野菜を摂取させようと母が工夫したのが最初だったみたいだけれど、これなら千聖もよく野菜を食べたので、それからは我が家の定番になっている。 生姜も、チューブではなく生の生姜をすりおろして使っているので、香りが良く食欲をそそられる。  ダイニングテーブルの上に、一食分が個包装になったインスタントの味噌汁やスープを並べていると、翔護がやってきた。  うたた寝をしていたのかもしれない。半袖のTシャツにハーフパンツとラフな格好に着替えた翔護の後頭部には、少し寝癖がついている。 「汁物、どれにする? いろいろ持ってきたんだ。味噌汁とスープと……お米にはあんまり合わないかもだけど、ミネストローネにコーンスープもあるよ」  テーブルの上にずらりと並べたパッケージを手のひらで示すと、翔護は視線だけで端から端までを眺めたあと、たまごとワカメのスープを手に取った。 「ぼく、お湯入れるよ」 「……いいよ、そんくらいできる」  椀を手にキッチンへと消えていく後ろ姿を目で追う。  こんなに間近で翔護を見るのも久しぶりだ。 (翔護、少し大きくなったかも) 三年前は千聖のほうが少し身長が高かったのに、今は翔護の方が目線が高い。 そんなわずかな変化を感じるのさえ嬉しくて、ずっと目で追ってしまう。

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