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第16話
急に静かになった千聖を少し気にしたようにしながらも、部屋を出て行こうとした翔護が立ち止まり振り返る。
「つうか……」
言いづらそうに口ごもる翔護に、千聖は首を傾げた。
「どうしたの?」
「こんなことになってて、いいわけ?」
「こんなこと?」
こんなこと、とはどんなことだろう。
翔護の意図が汲み取れず、千聖は首を捻るばかりだ。
「俺とふたりにさせられて、問題ないのかって聞いてんの」
おそらく……だけれど、言葉から推測するに、千聖が親の頼みを断り切れず、無理矢理この同棲ごっこに付き合わされているんじゃないか、と心配してくれているのだと思った。
二つ返事で頷いた自分とは違い翔護は嫌がっていたようだし、千聖も嫌々付き合わされていると思っているのかもしれない。
でも、翔護とふたりきりなのは、千聖にとってはむしろ嬉しいことで、願ってもいないチャンスに、この同棲ごっこをお膳立てしてくれたお互いの親には、感謝してもしきれないくらいだった。
翔護とまた仲良くしたい。
昔のように……とはいかなくても、翔護が自分に思う部分があるのなら、その理由が知りたかったし、何か誤解をしているなら、その誤解を解いて少しでも関係の修復をはかれたら良いと思っている。
今も昔も、千聖はずっと翔護が好きで、一緒にいる時間を嫌だと思うことなんて少しもないのだ。
それを伝えたくて、千聖は大きく首を振ると椅子から立ち上がり、机に両手をついて身を乗り出した。
「ううん! むしろ嬉しいよ、翔護と一緒にふたりきりでいられるの! ぼく、ずっと楽しみにしてたんだ」
でも、その答えは正解ではなかったようで、翔護は千聖の答えを聞くなりカッと顔を真っ赤にしたかと思うと、いっそう苛々した様子で「もういい」と乱暴に言葉を吐き捨てて部屋を出て行ってしまった。
「っ……」
ぽつんと取り残された千聖は、静かに着席すると食事の残りをなんとか胃の中へ押し込み、食器を手に席を立つ。好きなはずの生姜の味が、今はひどく辛く感じた。
(また翔護を怒らせちゃった……)
深いため息が、泡に混ざって排水溝の奥へ吸い込まれていく。
今回は、何がいけなかったのだろう。
翔護は自分になんと言って欲しかったんだろう。
本当は千聖も乗り気じゃなくて、一緒にいるのが嫌なのだと言えば良かったんだろうか。
たとえ翔護がそれを望んでいたとしても、千聖は彼の望む答えをあげることは出来ないと思った。
修復をはかるどころか余計に怒らせてしまってはどうしようもないのに、原因がわからなければ改善のしようもなくて、ため息ばかりが増えていく。
真っ赤になった彼の顔は、怒りのせいだけではないようにも見えたけれど、それを確かめたところで翔護の機嫌をさらに損ねるだけのような気もした。
一気に栄養を失った心のままでは体を動かすのも億劫だったけれど、このままここでだらだらしているわけにもいかない。
翔護が練習を終えて戻ってきたときに、千聖が風呂にも入らず、ぐずぐずしていたら待たせることになってしまう。
重い腰をあげ、ゲストルームで着替えを用意していると、翔護の部屋のドアが開く気配がした。階段の床板が軋み玄関のドアが閉まる音を聞き届けてから、千聖は着替えを抱えて浴室へと向かう。
翔護が準備をしておいてくれたのだろう。浴室のドアを開くと湯気があたたかく千聖を迎え、たっぷりの湯が浴槽へ張られているのが見えた。
洗濯機へ脱いだ洋服と部活で使ったジャージ一式を入れてから、浴室へ足を踏み入れる。ドアを閉めて出来上がった一人きりの小さな空間に、ほっと安堵の息を吐く。
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