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第31話
もっとずっとこうしていたいけれど、だんだんと本館の方が騒がしくなって来たのを感じる。もうそろそろ、朝のホームルーム始まる。
弁当を食べ終えた翔護が立ち上がる気配に、千聖は顔を上げた。
「もう食べ終わっちゃったの」
思わず、そう不満げな声が口をついてでそうになって、あわてて別の言葉で誤魔化した。
「ホームルーム始まるね」
物陰からただ見つめるだけだったときは、見つかる前にその場から離れなければという気持ちが強くて、ひとくちふたくち、翔護の頬がほころぶのを見届けてから、すぐにその場を離れていた。
今日はそれよりもうんと長い時間を一緒に過ごせたというのに、もっと一緒にいたいと思うだなんて自分は本当に欲張りだ。
「もう行くの?」
「食い終わったし、つか、授業も始まるし」
あからさまに、名残惜しむ声が出た。しゅんと肩が落ちる。
「あ。じゃあ、お弁当箱……」
空になったものをそのまま回収してしまおうと両手を差し出すけれど、翔護はそこに弁当箱を乗せてはくれなかった。
「いいよ、持って帰るくらいできる」
そう言ってさっさとスポーツバッグの中へ詰められてしまって、さらにしょんぼりと肩を落とした。
「そうだよね……」
わざわざ千聖が持って帰らなくたって、それくらい出来て当然だ。高校生なんだし。
弁当箱の軽さを感じて、少しでも幸せの余韻に浸ろうなんて安易な自分の考えを見透かされたみたいで恥ずかしい。
「……あー、明日……」
「え?」
「……いや、なんでもない。木崎も遅刻すんなよ」
何かを言いかけて、でも結局言ってはくれず、翔護はスポーツバッグを肩に担ぐとその場を去る。
太陽の光に照らされたせいか赤くなった横顔に穴が開くほどに視線を送っても、一度も振り返ってはくれない。
ふわ、と翔護の風を感じる。
彼が好んで使っている制汗剤は、爽やかなメントールに混じって少しだけ甘いムスクの香りがして、それがなんだか翔護みたいで千聖は好きだった。
すうっと大きく息を吸い込み、本館へ向かって歩いて行く翔護の後ろ姿を見つめる。その姿が見えなくなっても、予鈴に急かされるまで、千聖は余韻を惜しむようにその場を離れなかった。
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