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第36話
隠しきれない欲が、千聖を駆り立てる。
「あつく、なってきたね」
葉が落ちて、茂り方が変わったのだろう。あたる日差しを避けるように足を引っ込めると、翔護が無言で立ち上がった。
「しょうご?」
するりと手の下から逃げていく翔護の手に追いすがるように、手を伸ばす。
「こっち、代わって」
そう言って千聖を自分が元いた場所へと押し出すと、自分は千聖に代わって日差しの中へ腰を下ろした。
「ありがとう」
「別に。ちょっとさみぃから、こっち側のがいいやって思っただけ」
翔護の足に、太陽の光が当たる。
くるぶし丈の靴下がずれてのぞく日焼けのあと。その足首に絡まった紐状のものを見て、千聖はぎゅっと自分の胸に手を押し当てた。
心臓が、締め付けられたように苦しい。
翔護の足首に着いていたのは、幼い頃に千聖が贈ったミサンガだった。
初めて作ったそれは歪でお世辞にも良い出来だとは言えなかったけれど、渡したときの翔護の嬉しそうな顔が、花火が散ったように脳裏に蘇る。
もう随分と色褪せてしまったそれを今でも外さずに身に着けてくれているということは、まだ翔護が完全に千聖を嫌いじゃないからだと信じたい。
(聞いてしまおうか、今……ここで)
ぐっと顎に力を込めて、翔護を見上げる。振り絞ろうとした勇気は、翔護の口元を見てふっと微笑みに消えてしまった。
(ふふ……翔護ったら)
「ごはん粒ついてる」
口元の米粒を指先で掬って、そのままぱくんと自分の口の中へ放り込んだ。
「なっ⁉」
驚いた翔護の顔が、一瞬で真っ赤に染まる。
「さっきあんなに急いで食べるからだよ」
掻き込んだ拍子に、一粒だけ飛んでしまったんだろう。
「いや、は⁉ あーあ~……くそっ、もうっ」
余程恥ずかしかったのだろう。翔護はぐにゃぐにゃと唸って頭を抱えた。
(そんなに恥ずかしがらなくたっていいのに)
確かにちょっと子供っぽいなって微笑ましくはあったけれど、誰だって大人になっても一度や二度は同じことがあるだろう。
毎回じゃちょっと困ってしまうけれど、たまにならそれも可愛らしい笑い話だ。
「ハァ~~……あっつ」
翔護がぱたぱたとシャツの胸元を掴んで風を送ると、制汗剤の香りが千聖まで届く。
さっきは寒いって言ってたのにな、とほんの数分の間に出来た矛盾がおかしくて、千聖は「あはは」と声に出して笑った。
千聖の笑い声につられるように、深緑がさわさわと音を立てる。足に掛かる木の葉の影が微笑むように揺れて、太陽の香りが深く肺の中へ染み渡った。
座り心地を直すふりをして、翔護に近づいてみる。翔護はその場を動かないままで、距離を取られることはなかった。
肩が触れ合っても、分け合った温もりを離されることもない。
ドキドキ、心臓は高鳴っているのに不思議と心は落ち着いていた。焦りに飛び出しそうになった欲が、穏やかに凪ぐのがわかる。
(まだ、今はまだ、このまま……)
始業前の数十分。今はこの時間を大切にしたいと、千聖は隣りから吹く甘く爽やかな青い風に感じ入るように目を閉じた。
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