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第38話

 この時間、翔護は庭で自主練をしているはずだ。空耳かと思ったけれど、そういえば今日はボールの弾む音が聞こえないことに気付く。 「翔護? どうしたの?」  ドアを開くと、想像したとおりの人物がそこにいた。  今、この家には翔護と千聖しかいないのだから当たり前なのだけれど(翔護以外の人だったら怖い)、今日まで彼がこのゲストルームへ訪ねてくることはなかったから少し緊張してしまう。 「あ……いや、あの、さ」  自ら訪ねてきたくせに、翔護は千聖の顔を見ると驚いたように目を瞠って、それから言いづらそうに後頭部を掻く。  わざわざやってきたからには千聖に何か用があるのだと思うけれど、翔護は何度も口を開いては言葉を探すようにまた閉じることを繰り返した。 (なんだろう)  夕食の後片付けは終わったし、いつも通りやり残したことはないはず。ゲストルームの私物もほとんどボストンバッグへ入れ終わっていて、あとは、明日の朝少し早く起きて、今日洗濯機の中へ放り込んだ衣類を詰めればそれで終わりだ。 (そう、それで終わり……)  明日の朝には、千聖はこの夢のような同棲ごっこから醒めて自宅へ帰らなければならない。  すっと表情が曇る。  最後なのだから、ずっと笑顔でいたかったけれど、終わりを思うとやっぱり寂しくなってしまう。 「……」  寂しげに眉を落とす千聖を見て、ようやく翔護が口を開いた。 「なぁ、自主練見ててくんねぇ」 「え?」  ぱっと顔を上げる。  片手で首元を押さえ、千聖に視線を合わせない翔護の口元は不貞腐れたように尖っていて、でも赤らんだ目元が少し照れているようにも見えた。  とく、とまた期待した心が音を立てる。 「あー……ちょっとさ、フォームとか見て欲しいかなって」 「う、うん……っ!」  翔護に何かに誘われたのは初めてだった。この三週間で、初めて。  願ってもない誘いを、千聖が断るわけもない。  首がちぎれそうなほど上下に振って答える千聖に、翔護は少しほっとしたような顔を見せると、そのまま階下へと下りていった。  Tシャツとハーフパンツ、ラフな部屋着のまま千聖もあとをついていく。  リビングの窓には雨戸が下ろしてあって、それを開けると縁側に腰掛け足を垂らした。  室内から漏れた光が、庭でボールを構える翔護を照らす。 「いや、見過ぎ……なんかちょっと緊張してきたわ」  見てて、と言われたとおり千聖は翔護をじっと見つめたのだけれど、足先でころころと器用にボールを突く翔護は、その視線を受けて汗をかいてもいないのに袖口でぐいと顔を拭った。  耳を真っ赤にして照れ隠しをする仕草に、きゅんと胸の奥が疼いて止まらない。  トン、と翔護がボールを蹴り上げる。

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