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第56話

(あ)  ふと思う。千聖には話してくれなくても、あれだけ仲が良い二人なら、翔護の好きな人を知っているんじゃないだろうか。  特に紬麦は中等部からの付き合いで、翔護と一番長い時間学園生活を過ごしているから、知っていることも多いはず。 (でも、どうやって聞こう)  問題は、そこにある。  クラスメイトだけれど、千聖は紬麦とあまり話したことがなかった。  というのも、翔護に避けられていたから、翔護と仲の良い紬麦には必然的に関わることが出来なかったのだ。  突然話しかけても、びっくりさせてしまうだけだろう。 (何かきっかけがあれば……)  とは思うものの、クラスメイトという接点以外に、紬麦とお近づきになれそうな材料はなかった。  あれこれ考えているうちに、始業のチャイムが鳴る。  教室中が慌ただしく動き始めて、翔護たちを見つめてぼんやりと立ち尽くしていた千聖は、転がるようにして向かってきた紬麦に気付かず、真正面からぶつかってしまった。 「わっ」  カシャンッ……  どんっと胸に衝撃が走って、ぐっと両の足を踏ん張って耐える。  千聖の胸に肩をぶつけたらしい紬麦の体が大きく傾ぎ膝をついたのを見て、千聖は慌てて手を差し伸べた。 「ご、ごめんっ」 「ううん、大丈夫?」  間近に見る紬麦は、思ったよりも小さい。  ぶつかった拍子に散らばった荷物を揃えて渡すと、紬麦はもう一度「ごめん」と謝ってからバタバタとロッカーへ向かっていった。  あまり知らないのに、ちょこちょことした動きが、ハムスターが滑車を回すようでかわいいなと思ってしまうのは失礼だろうか。 (……あれ?)  その後ろ姿を見つめていた千聖は、床の上に何かが落ちているのを見つけて手に取る。 「キー……ホルダー……?」  そっと手のひらのうえに乗せたそれは、クマの形をしたキーホルダーだった。  クマの下にはキャンディ形のピンがついていて、これを引っ張ると音が鳴る仕様になっている。いわゆる防犯ブザーというやつだろう。  高校生男子に防犯ブザー? と一瞬頭をよぎった疑問は、それが紬麦のものだと思うと簡単に納得してしまった。  きっと、ぶつかった拍子に紬麦が落としたのだ。返さなければと紬麦を見るけれど、授業の準備に一生懸命な彼は千聖の視線に気付かない。 (あ。もしかしたら、これをきっかけに聞けるかも。……翔護の、好きな人のこと) 「……」  少しの間このまま預かっておいて、返すときについでを装ってさりげなく聞いてみたら、教えてくれるかもしれない。  利用するようで悪いけれど、あまり手段も選んでいられない。  千聖は、手にしたキーホルダーをそっと自分のブレザーのポケットへと仕舞った。 「……」  ポケットの上から、キーホルダーに触れる。  ちゃり……と音がしたけれど、窓から抜ける風の音に紛れて、それは紬麦にも他の誰にも届くことはなかった。

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