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第59話
ぐら、と紬麦の体がバランスを崩す。
背中から階下へ落ちていく小さな体、あと少しで掴めなかった指先、ピンが外れけたたましく鳴るキーホルダーの音。
全部がスローモーションに見えて、とても現実とは思えない。
千聖の世界が動き出したのは、ドサッという音とともに姫宮の悲痛な叫び声を聞いてからだった。
「つむちゃん――!」
「ッ……!」
外れたキャンディを慌ててクマの下へ差し込んで音を止め、階段を駆け下りる。
「羽村くん……っ」
一段下の踊り場へ落ちた紬麦は、間一髪やってきた姫宮の体によって受け止められて、二人は互いの無事を確認するようにきつく抱きしめ合っていた。
(よかっ……た)
バクバクと大きく脈打つ心臓を押さえるように胸に手を当て、千聖は息を吐いた。
膝からへなへなと崩れ落ちそうになるけれど、手すりを握ってぐっと耐える。
二人に大きな外傷が見られず安心すると同時に、千聖を襲うのはひどい罪悪感だ。
「へへ、危なかった~」
千聖に気付いた紬麦が、へにゃと力の抜けた笑みを見せる。
大丈夫だよって立ち上がろうとするけれど、腰が抜けてしまったのだろう。うまく立ち上がれずにふらついた体を、すかさず姫宮が支えた。
「ぃっ」
「つむちゃん!」
「羽村くん!」
よろけた体に手を伸ばしたけれど、それよりも早く姫宮が紬麦の腰を抱いて、誰にも触れさせまいというように自分の体に添わせる。
紬麦が階段から落ちたのは、千聖のせいだ。
あのとき、ぶつかってすぐに千聖がキーホルダーを返していたら。
この場所に来なかったら。
翔護の好きな人を聞かなかったら。
紬麦はそれを捜しにこの場所へ来ることはなかったし、千聖に詰め寄られてこうして怖い思いをすることもなかった。
全部、自分勝手でわがままな千聖のせい。
全身から、血の気が引いていく。
「ごめん、話はまた今度でもいーい?」
あんなに怖い思いをしたのに、千聖を気遣ってくれる優しさに胸が痛む。
「そ、それはもちろん……」
千聖が傷つく資格なんかないのに。微笑みを返して安心させてあげたいのに、心配で顔の強ばりは解けない。
姫宮が紬麦を抱き上げ、二人がその場をあとにするのを見送る。
部活動の開始を告げるチャイムが鳴っても、千聖はその場から動けず、放心したままじっと自分の指先を見つめていた。
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