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第61話

「木崎⁉」 「す、すみませ……っ」 「いや、マジでどうした⁉」 「ごめっ……」  突然泣き出した千聖に、滅多なことでは動じない刈谷が珍しくぎょっと目を瞠っている。  何で泣いているのか、自分でもわからなかった。  涙を止めようとすればするほど、それは千聖の意思を無視して止めどなく溢れてくる。 「あー……とりあえず、こっち。な」  放課後の別館は、朝の静けさが嘘のように活気に溢れている。入り口の外でパート練習をしていた吹奏楽部員の手は、二人の様子を窺うように止まっていた。  周囲の視線から隠すように刈谷が肩を抱いてくれて、促されるまま千聖は彼のあとをついていく。  ぼやりと滲む視界ながらも、向かう先が別館の裏手だということに気付いて、千聖は途中でぴたりと足を止めた。  翔護と朝の時間を過ごした、思い出の場所。  刈谷は泣く千聖を気遣ってひと目のない場所を選んでくれたのだとわかっている。  わかっているけれど、こんなときでも翔護以外の誰かとその場所に行くことは避けたいと、わがままを思ってしまった。  まるで散歩を嫌がる犬のようだ。ぴたりとその場から動かなくなった千聖に刈谷は何も言わず、ただ隣りに寄り添って労るように肩を擦ってくれる。  おかげで、ぼろぼろと零れる涙は止まらなかった。 「すみません」 「うん。そういう日もあるだろ」  部活をさぼってしまったこと。こうして、刈谷の時間を奪ってしまっていること。  一向に止まる気配のない涙に付き合わせても、刈谷は文句の一つも言わず、ただひたすらに肩を擦ってくれた。 「ま。目ん玉取れちまいそうだから、そろそろ泣き止んで欲しいけどな」  千聖の前にしゃがみ込み、幼い子にするように顔を覗き込んでくる刈谷の手には、随分とかわいらしいハンカチが握られている。涙を拭われるとふわりと優しい香りがして、くしゃりと弧を描いた瞼からはまた涙の粒がこぼれ落ちた。 「……ふふ、キャプテンってやっぱり――」 「ちぃっ!」  ジャリッと砂を踏む音に振り返る。 「え、しょうご……?」  そこにいたのは、グラウンドで部活中のはずの翔護だった。  外壁に手をつき息を切らせた翔護は、千聖の顔を見るなりぐっと歯噛みして刈谷を睨み付けると、強く千聖の腕を取って自分の方へと引き寄せる。 「あんた、ちぃに何した⁉」  きつく抱きしめられた腕の中、頬に触れた翔護の胸から声がビリビリと響いてくる。  どうして、翔護がここに?  驚きで涙はすっかり止まってしまって、千聖は見開いた目を瞬いた。  見上げた彼の首筋には汗が滴っていて、息を切らせてまで自分を捜してくれる理由が見つからず、千聖は困惑したままぎゅっと翔護の練習着を握る。  それに気付いた翔護は掻き抱くように千聖の体を抱きしめ直すと、両の手で千聖の頬を包み、真っ赤になった目の下に溜まる雫を親指の腹で拭った。  まるで愛しい人に向けるような瞳で見つめられて、千聖はますます困惑するしかない。 「あいつに泣かされたのか?」 「あいつ……? あ」  翔護は誤解をしている。  千聖が泣いているのを、一緒にいた刈谷のせいだと思っているのだ。  刈谷は千聖をなぐさめてくれていただけで、泣いていたのは自分の不甲斐なさが原因だ。  どう説明したらいいだろうかと言い淀む千聖の態度に、翔護の眉間にはまた深く皺が刻まれていく。 「キャプテン……」  千聖の頭をぎゅっと自分の胸に抱き寄せて守るようにしながら、翔護はまた鋭い視線で刈谷を睨み付けた。  一触即発の雰囲気に、ビリビリとした緊張感が肌を伝う。  それを破ったのは、刈谷の深いため息だった。

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