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「それが来たら、俺はベータもオメガも誘惑してしまう。澤さんや、碧君まで。二人の日常を……気持ちを……ズタズタにしてしまう。誰彼構わずに、それまで築いてきた大切な日々を壊すかもしれない。だから、家に閉じこもって、誰とも触れ合わないでいるべき人間なんです。御堂さんにだって、また迷惑をかけるかも……」
そうならないため、月経の兆しを素早く察知できるよう、毎日体調を確認し、備えておく。兆しが現れたら、無理せず自宅安静に努め、周りの人達を巻き込まないようにする。
だから。
(これからも一緒にいたい)
願いを口にする前に、くしゃりと頭を撫でられて、鳴海の告白は途切れた。
「俺が好きになったオメガをそんな風に言わないでくれ」
髪を梳かれる。
彼の五指が微かな愛撫を綴って、優しい跡を残していく。
「鳴海がウテルスだってことは、あの日の内に自ずとわかった。だから離れた。あの日は耐えられた、でも次は? 守ると言っておきながら、自分を抑えられずに襲ったら、どうする?」
あの日から今日まで舜は葛藤していた。
守りたい。理性を忘れて本能のままに貪ってしまうかもしれない。望みとリスクの間で板挟みになっていた。
「傷つけるのが怖くて距離をおこうとした」
繰り返される葛藤。蓄積されていくストレスを発散したく、夜更かしに及んだ。どれも校則には引っ掛かるが、不純な交遊には至っていない。どんな相手に言い寄られても、その気にならなかった。たとえ周囲が露骨に羽目を外そうと我が身は冷めていた。
「ずっと迷っていた」
迷いとは無縁で怖いもの知らず。常に自信に漲る舜は、プラス思考の塊だと思い込んできた鳴海は、彼が語る真実をいまひとつ理解できずにいた。
「ずっと鳴海のことを考えていた」
咀嚼するのに時間がかかり、長々と俯いている鳴海に舜は笑いかける。
「お前が寂しそうにしていたら、俺まで寂しくなって、何かしたくなるんだ」
「……寂しそう?」
「ああ。大体、そういうときはパンやおやつを渡していた」
「……寂しそうだからパン? おやつ……?」
(そんなの餌づけじゃないか)
鳴海も笑ってしまう。節くれ立つ大きな手で頭を撫でられるのが、ずっと気持ちよくて、人目も忘れて、されるがままでいた。
「鳴海。お前、どうして泣いたんだ……?」
舜への未練に押し潰されて涙が出たとは、とてもじゃないが言えそうになかった。
「――踏ん切りをつけなくてもいい?」
吐息にも似た、か細い声。舜は聞き逃した。頭を屈めて覗き込めば、頬を紅潮させた鳴海と目が合う。しっとりと濡れた切れ長な双眸は宵闇に艶めいて見えた。
「……こんなにも大丈夫じゃなくなるの、初めてです……」
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