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日常とすれ違い②
家に帰らなきゃならない。今思い出すことでもないのにそう思った。
店のシフトはほとんど自由で、来たいときに来れば良いと働き始めた当初から言われている。さっさと荷物をまとめて、控え室の黒服を呼び止めた。真夜の猫背姿を見るなり、顔を顰める。
「帰るの?今日は何人?」
「五人」
「そう。まあ、多いほうか」
客を取る数が絶対的に少ない真夜は、あまり店に気に入られていない。それでも首にならないのは、ついている顧客の持ってくる額が多く、彼自身も無頓着でほとんどを店に渡すからだ。
きっと馬鹿だと思われている。間違っていない、真夜は馬鹿なのだ。
「お疲れー。また来てね」
軽く手を振られながら、冬眠から覚めた熊のようにのそのそと体を揺すって店を出た。冬の終わりが近いというのに、外界はまだ刺すような寒さを持っている。白い息を吐きながら、明らみ始めた空の下。家を目指して歩き出した。
どこにでもある一軒家が車道沿いに見えてくる。誰にもばれないように裏口の鍵を開けて入り、三人用の寝室の扉を開けた。真夜は兄の隣に布団を用意して静かにもぐりこみ、瞼を落とした。
先ほどの店のように、濃厚な精の匂いはしない。柔軟剤とか、お菓子とか、今日の夕飯の味噌汁の匂いがする。朝目覚めると何も知らない兄弟は、朝ご飯を掻きこんでめいめいに好き勝手するのだろう。
真夜には五人の兄弟がいる。皆、性格が違い、彼はその四人目の兄弟である。下に二人の弟がおり、上に三人の兄がいる。
皆、お金を稼いでいるらしく、服を購入したり、遊びに出かけたりしている。末っ子の優希 なんかは、洒落たカフェの店員をしていたし、次男の真也 は、どこかで稼いでいるのか高そうな服を着ている。俺が風俗で働いているなんて、知っているのは一人だけ。
寝返りを打つと、暗闇の中、煌々と光る眼球を見つけた。肘をついてにやついてこちらを見ている男は、先に店を出て帰ってしまった実の兄。口もとだけ動かして「おかえり」と囁いている。眉を寄せて睨んでも逆効果だ。
真夜に風俗のアルバイトを紹介し、彼の店に入り浸る馬鹿で腹の黒い兄。長男の慎司 は今日も変わらず死んだ目をしている。
朝になると、日常が帰ってくる。すぐ下の弟元気 が騒ぎながら飯を掻きこみ、五月蠅いと三男の真之介 が宥める。眠そうになりながら恰好をつける次男を末っ子が辛辣な言葉で痛めつけた。長男は黙って、ひょうひょうと茶碗の中にお茶を注ぎ込んでいる。
「兄さんは、今日も競馬?」
真之介が魚の干物を器用にほぐしながら雑誌を開いて言った。どうせ彼も今日はバイトを探しに行くと行って、お熱なアイドルのイベントに行くのだ。
「んー……俺留守番。眠い」
「遅くまで出かけているからだろ。それと、延滞しているあのビデオだけど」
「AV?」
「延滞料貸さないからね」
念押ししてから立ち上がる。元気は「行くぜー!!レッツゴー!」なんて声を上げて飛び出して行った。
「僕もパス。お金ないもん」
先手を打った優希はちらりと次男を見やる。また鏡見て、髪の毛をとかしている。
「真也、払っといてよ」
慎司に肩を突かれた彼は、格好つけた笑みを浮かべる。
「…………金が無い」
「何で間を開けたの~?馬鹿じゃん!」
携帯を見ていた優希が苦い顔をする。
真夜はずっとそれを見ていた。傍観者のように、ずっと蚊帳の外にいる。その方がいい。主役になりたくない。
膝を抱きしめて味噌汁を啜りだした真夜を、引き戻す声がする。
「じゃ、真夜」
暗闇で光る野獣の目が、舞台に引きずり戻すのだ。
「払っといてよ」
兄弟たちの視線が向けられる。言葉を探して見返すが、何も言わない。何も言えないが正しい。
「無理だよ、真夜もお金ないもの」
優希がとっさに口にし、真也が「仕方ないな」と幕を下ろす。だが慎司だけは、変わらずずっと真夜を見続けている。見つめ返すことができずに、絨毯の縫い目を追い続けていた。
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