ニックだって、本当のことを言えば友人と言える間柄では無いのかも知れない。家が近所だったとは言え、つるむグループが違うので、顔見知りと呼べる程度の仲。寧ろ今食らい込んでいる、彼の兄のライオネルの方が、その人当たりのよい性格から、親しく付き合っていたのではないか。 　エリオットがフロントデスクでサルトルのペーパーバックを読んでいる間、ニックは偽ウォークマンで音楽を聞いていることが多い。彼に話しかけても無駄だと分かっているのだろう。来店する客達は、エリオットへ声を掛けた。 　時に長引き、後ろで待つ客に舌打ちされるような会話が、単なる世間話で収まる目的ばかりではないと、エリオットも勿論理解している。幾ら何でもそこまで純情ではない。 　人の話を聞くのと同じ位、それを適当にあしらうのも得意なので、上手くやっているつもりでいた。けれど傍から見れば、特に世慣れた態度の男にとっては、どうにも焦ったいのかもしれない。或いは単に、大声で音楽を邪魔されるのが苛立つのか。余りだらだら話し込んでいると、すっと割って入り「掃除して来い」と、悪臭を放つモップを横目で示す。 「あんまりマジで構うなよ。ガキ専門の奴も多いんだから」 「分かってる」 　一応このバスハウスは未成年お断りの看板を出しているが、年齢を偽造したIDで侵入してくる子供達が後を絶たない。勿論、彼らを買う為に来る連中も。オーナーも明らかに気付いている筈なのに、止めさせる真似はしなかった。 　そもそも、己達だってまだ酒を飲める歳ではない。客寄せの役割を、少なくともエリオットは受け入れていたつもりだった。 「それに、大丈夫だよ。こう言うところで人気があるのは白人の子だから」 　ちょっと観察していれば分かる。自分達と同じか、若い位の年恰好の男娼達の中で、店を訪れて早々に値段交渉へ入っているのは、金髪だったり目の色が明るかったりする子が多い。肌の色が濃ければ濃いほど、安くで買い叩かれている印象だった。薄利多売をモットーにしている強者もいるにはいるが、己にはとても出来ると思えない。 　じっと、鋭い三白眼でこちらを見つめる眼差しが居心地悪く、「なに？」と口を開いてしまう。会話が続くとは思っていなかったが、ニックは暫く考え込んでから答えた。 「お前がそういうこと言うのは意外だと思って。いつも余裕綽々の優等生だから」 　馬鹿にされたのかと思ったが、やはり彼は笑わない。真面目に言われていると気付いて、思わず気まずさに顔を逸らしたのは、許されても良いだろう。 「余裕があったら、こんなところで働いてない」 「なら余計に気をつけろよ。まだ捕まえてないけど、ジェフリー・ダーマーみたいに、薬を飲ませる奴とかもいるし」 「ええっと、ジェフリーって？」 「知らないならいい」 　そこから先はいつものパターンで、ニックは癖になっているのだろう溜息をつき、さっさとこちらに背を向けた。彼が振り返る事はないとは分かっている。それでもエリオットは、清掃用具を担いで事務所のドアを潜りざま、ブリーチでぱさぱさした、短いアッシュブロンドの後頭部に向かって言った。 「とにかく、助かったよ。有難う」