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 親切にして貰ったら礼を言うよう、エリオットの両親は子供達を躾けた。この薄暗い店の中で、サンキューを口にする回数は案外多い。ニックは周囲をよく見ているし、適切な気配りが出来る。口数が少ないと思っていたのも間違いで、こちらがその気ならば、そこそこ雑談にだって乗ってきた。 「何聴いてるの」  リネン室でクリーニングから戻ってきたバスタオルを片付けながら、エリオットがそう尋ねれば、イヤホンがすぽりと左耳から外される。 「色々」  相手が装着してから、言葉はぼそっと追いかけてきた。 「何だっけ、ラジオで聞いたことある」 「ザ・ホワイト・ストライプス 」  バンド名を「the」から言い始める奴は皆オタクだと思っていた。こう言う曲を聞いていそうな──少なくとも、首に厳ついバッファローの頭蓋骨を模したタトゥーを入れているような青年には似合わない。  少し懐かしいような、けれど新しいギターのリフ。意外と都会的な、洒落たもの聞くんだな、と思っていたら曲が終わり、続いて流れて来たのはTLC。甘い旋律で、駄目男を辛辣に袖にするT-ボズの歌声に耳を傾け、思わずサビを口ずさむ。イヤホンコードの張り詰めを緩めようと軽く首を傾げた拍子に、髪が少し彼の頬を掠める。が、ニックは何も言わず、目を閉じて旋律に浸っていた。 「本当に色々聴いてるんだ。このコンピCD作ったの君?」 「ああ」 「どれが一番お勧め?」  答えるのに少し考え込む彼の癖にも、ここの所慣れて来た。寧ろ、彼が真剣に言葉を選んでくれていると言う事実を感じられるこの時間は心地よい。 「一番は、考えた事なかった。全部好きな曲だから」 「そう」  薄ぼんやりした答えですら、きつい外見や素っ気ない物腰との落差が興味深いと思えてしまう。 「俺は、あまり音楽は詳しくなくてさ」 「でも高校でマーチングバンドやってたろ。トランペットだっけか」 「うん」  よく知ってるね、と言う前に、ニックの視線がこちらへ据えられている事に気付く。  不躾だと、少し居心地の悪さすら覚えていた眼差しを浴びた時、満足や安堵と呼べる感情を抱くようになったのはいつの事だろう。これって良くないんじゃない、と心の中から響いてくる嗜めは、無視できるものではない。同時に、全く同じ声がこうも囁くのだ。良いじゃないか。こんなところで働いてる人間が、能動的に拒絶する訳が無い。こちらが受動的でいさえすれば、何も変わりはしないさ。 「でも今の……ホワイト・ストライプスだっけ? かっこいい。CD買おうかな」 「貸してやるよ」 「いいの?」 「海賊版だけど」  人間は普通、笑いかけられたら笑い返すか、まあ別にどんな感情の発露でも構わないのだが、何らかのリアクションを寄越すものだ。けれどやはりニックは、表情筋が石で出来ているのかと思えるほどの鉄面皮だった。ただ、少し目を見開いたり、眇めたり位の差で判別するしかない──これだって、判別出来るようになろうと観察してみた結果、ようやく分かるようになった。 「穴空く」 「え」 「そんなにじろじろ見られたら」 「ああ、ごめん」  いや、幾ら何でも、視線で追い回し過ぎている。思わず赤面してこちらが目を逸らせば、今度は彼が見つめる番だった。 「前から思ってたんだが」  糾弾されるのかとの心配は幸い杞憂に終わり、続けられる声の抑揚は相変わらず薄い。 「スタンフォードの大学生なら、もうちょっと良いバイト先、幾らでもあるだろ」 「確かにね。どうしてだろう……反抗心かな」  別に両親の理解と愛情が足りないとか、友人達から爪弾きにされているとか思った事はない。信じ難い話だが、同性愛者である事がばれて家から学費の援助を打ち切られた挙句、ホームレスになるような学生が、未だアイビーリーグにも存在しているのだ。彼ら彼女らに比べ、己は遥かに恵まれていると自負していた。 「親も友達も受け入れてくれたし、奨学金だって……まあ、俺のSATのスコアであれだけの額を貰えたんだから、運が良かったと思うよ。でも、まだ足りないんだ。それが何かは分からないけれど」  本当のことを言うと、それが金である事は一目瞭然だった。なのに、他人に対しては決して口に出したくない。富よりももっと素晴らしいものが世の中にはある。殆ど縋り付かんばかりの勢いで、エリオットはその考え方に固執しようと努力していた。 「目的と手段を間違えるつもりはない。でも、なりふり構わず打ち込めるものが欲しいな。勉強だけじゃなくて」  そこまで口にすれば、洗いざらい白状してしまったも同然だ。けれどニックは、毛足の短いバスタオルを棚に押し込むエリオットの背中に「言いたい事は何となく分かる」と答えた。何となく、と言うのが気に入った──あまり深く、自らを彼に理解して欲しくはなかった。利己的な感情というよりは、どちらかと言えば、彼の為を思って。  もう暫くこちらへ据えられていたコーヒー色の瞳は、ノイズを響かせた腰のトランシーバーへ向けられる。 『どこ行ってやがるんだ、薬でもやってるんじゃないだろうな』  オーナーの銅鑼声は、狭い部屋へ滞留した空気を、更に重く深刻に濁らせる。 『エリオットを探して、2人で6号室を片付けて来い。手袋を忘れるなよ』

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