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第11話

 ため息交じりに不在連絡票にペンを走らせ、それを戸枠に挟みかけたとき、ドアガードをかけたまま扉が細めに開いた。なぜかしら、うれしい種類の不意打ちを食らったように心臓が甘やかに跳ねて、 「コ、コココ、コニチハ。キクアナ運輸です」  素っ頓狂な声を出すありさまだ。コココっておまえはニワトリかと、ひとりツッコミを入れて赤面するのをよそに、戸枠の隙間から人差し指がふらふらと現れた。ひと呼吸おいて下を向く。 「廊下に置いていけ……ですか? 了解っす」  にこやかに応じたものの〝了解っす〟に込められた真意は、こうだ。がっちがちに凍らせたシャーベット並みに冷たい、冷たすぎます!   もちろん客の意向は絶対なのだが、祝〝チンコでハンコ〟がまたもや次回へ持ち越しの憂き目を見てがっかりしたのとは別の部分で切ない思いを味わう。  顔すら見せてもらえないなんて、若草さん、あなたは天の岩戸におこもりあそばした天照大神(あまてらすおおみかみ)か、と言いたい。  ぎくしゃくと腰をかがめて段ボール箱を扉の傍らに置いた。その直後、ドングリが頭を直撃したようにこつんと音がした。キャップのつばをすべり落ちてきたのを反射的につまみ取ると、 「チュッパチャップス……くれるんですか? もしかして、お駄賃的な?」  ご名答、というふうに人差し指が上下した。飴ちゃんをあげる、とは大阪のおばちゃんの遺伝子が入っている。世良はそう思ってくすりと笑い、軸をつまんでチュッパチャップスをくるりと回した。と、連鎖反応を起こしたように、チンコケースが妖しくさざめきはじめた。  イチモツにじゃれつく、その予備動作のように。  チュッパチャップスをウエストポーチにしまうのにまぎらせて舌なめずりをする。寝た子を起こす真似をしてくれたからには自己責任ですからねえ、だ。  まんまと毒リンゴを白雪姫に食べさせた継母(ままはは)をお手本に、言葉巧みに扉を開けてもらって勝負はそれからだ。  だが異変が起きた。ドアガードで隔てられた向こうで、若草がへなへなと(くずお)れていく。 「どっ、どうしたんですか、大丈夫ですか!」  押しても引いても扉は一定の幅以上に開かない。若草は三和土(たたき)にうずくまったきりで、ただの貧血? それとも心筋梗塞、いや腸捻転かも──等々とパニクりまくり。 「ドアガード、外してください!」  のろのろとそうしてくれるなり、飛び込む。ぐったりした躰をべたべたと撫でまわしながら抱き起こすまでは、役得と、にんまりしたのが一転して。  眼鏡のレンズは指紋だらけだわ、ティッシュのカスが髪の毛にこびりついているわ、スウェットスーツはよれよれだわ、むさ苦しいことこの上ない。  日ごろの若草が身ぎれいにしているぶん、マッチングアプリに登録する画像の加工後、加工前といった変貌ぶりは、ほとんど詐欺だ。

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