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第12話

 などと、うろたえている場合ではないのだ。 「119番しなきゃ……そうだ、コンビニに走ってAEDを借りてくる!」  駆けだしたとたんブルゾンの裾を引っぱられて、つんのめった。と同時に今際(いまわ)(きわ)に何か言い残すように紫がかった唇がわななき、耳を澄ませてみたところ、 「は……だ……」 「は……? ぶち込む余裕なんかないでしょうが、おとなしく寝とく!」 「ハ……ンコは押すもので……誤用が気持ち悪い……じゃ、なくて腹ぺこなん、だ……電池、切れ」  息も絶え絶えに紡がれたそれを聞いて俄然、精鋭部隊魂に火が点いた。腹がへっては(いくさ)はできぬということは、腹がくちくなればイチモツのほうも子種がみなぎるということだ。よし、題して〝急がば回れ〟作戦にシフトしよう。  早速スニーカーを脱いだ。 「キクアナ運輸は愛と笑顔の真心便。日ごろのご愛顧に感謝を込めて、うどんなりと茹でて進ぜましょう。台所をお借りしまあす」 「宅配ドライバーは時間との闘い、なんだろう……僕など捨て置いて、配達に戻って」 「おれはカーナビ並みに近道に詳しいんで、遅れは挽回できます。はい、肩に摑まって」 「自分で、歩け、るから……」  立ちあがるそばから、へたり込む状態なのを強引に支えて、二人三脚のような恰好で廊下を奥へと進む。配達時に自然と目に入る範囲に関しては、壁紙の色も模様も見慣れた感がある。だがガラス戸の向こうは、アマゾンの奥地並みに未知の領域。  流し台を背景にした『あっは~ん』は、所帯じみている点が味わい深い。かたや窓辺で『うっふ~ん』は、向かいのビルの屋上から見られちゃうかも、というスリリングさも相まってこれまた素敵。 〝チンコでハンコ〟記念日の舞台として甲乙つけがたく、どちどち、どちらにしましょうか、ムフ。  世良は努めてポーカーフェイスを保ち、ところがガラス戸を引き開けた瞬間、あんぐりと口をあけた。書店へテレポーテーションしてのけたんだっけ? そう自分に確認せずにはいられないほど、想像の斜め上を行く光景が目の前に広がったのだ。  本がたくさんあるというより、と言ったほうが正しい。九割がたの壁を書架が占領し、棚に収まりきらない本が床に山脈を形成しつつある。ドア口から袖机、同じくキッチンカウンターへというぐあいに、じか置きの本の山を縫って獣道が延びているありさまだ。  ソファの周囲は若干、本の地層が薄い。それが反対に絶海の孤島めいた雰囲気を醸し出す。  ちなみに書名の一例を挙げると、こうだ。『覆面絵師春画大全』『逆夜這いは限界集落を救う起爆剤となりうるか!?』『ツユだく奥さまがハッスルしたおかげで触手は異世界の絶滅危惧種です』──???

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