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第15話

 だが、遅きに失した。若草はエロティシズムという燃料を満タンにした暴走列車と化したあとだ。モニターを指さして曰く。 「この作品のテーマは無垢な魂が✕✕で〇〇によって△△の□□に隷従するに至っても高潔さを失わず、◇◇へと昇華されることにある!」  と、チョメチョメでエンガチョな単語を真顔でまくしたてながら獣道を行ったり来たりする。眼鏡がずり落ちようが本の山が雪崩を起こそうが、おかまいなしで。  演説の巧みさでは定評があった、独裁者ヒトラー総統の霊が乗り移ったのかもしれない。世良はあたふたと袖机の、椅子を収める空間にもぐり込んだ。そして体育座りに縮こまる。  さしずめ七匹の仔ヤギのうちの末っ子が、振り子時計の中に隠れてオオカミの襲撃を切り抜けたように。 「##で@@だから♨♨ときて%%なんだ、わかるかい? わかるよね」  わかりません、理解不能です。口パクでそう答えて、指で耳に栓をした。いかがわしい妄想がだだ洩れの状態に「ひょえー」で「うひゃー」と心の中で叫ぶ以外に何ができる?  爽やかで知的で物腰のやわらかい若草が、まさか天下御免のエロリストだったなんて、誰か嘘だと言ってほしい(泣)。  独演会はますます熱を帯び、それでもエアポケットに入ったように一瞬、沈黙が訪れた。世良はその機を逃さず、なおかつ意を決して声を絞り出した。 「あのお、若草さん? たいへん興味深い話なんですけど、そろそろ、おいとまを……」 「**と&&を触媒に♪♪が結びついて核融合が起こる……これこそ官能小説界における世紀の発見、エウレカ(わかったぞ)!」  ぬか床の手入れをする要領で脳みそをかき混ぜたあとに、新しい価値観を植えつけるような迫力でたたみかけてこられる。配送車の積載量を超過して荷物を積むのは道路交通法に違反するばかりか、バランスを崩して横転する危険性が高まる。言葉攻めに等しい嵐が吹き荒れるさまに、キャパシティーを越えた折も折、 「降りてきた、降りてきた。エロ神さまが降臨あそばしたあ!」  レンズの奥の双眸が極限まで見開かれた。若草はエロ神さまとやらを生け捕りにするかのごとく、がばっと袖机に覆いかぶさった。  世良は、からくも机の下から這い出した。全身が冷や汗と脂汗が入り混じったもので、ぬらつく。世にも恐ろしい人格交代劇を目の当たりにした気がして、床が傾いているように足下がおぼつかない。  てっきりキッズコースターだと思って乗ったのが絶叫マシーンで、急降下と連続回転に翻弄された──若草の突拍子もない一面に接した感想を簡単にまとめると、そうなる。  幻滅したほどではないにしても、おとなしく退散……もとい戦略的な撤退を選んだほうが賢明だ。  そそくさと四〇六号室を後にする。〝チンコでハンコ〟は結局、不戦敗に終わった形でも収穫はあっただけよしとしよう。職業が判明したうえ、エロに対して一家言をお持ちのご様子だ。  だが負け惜しみの感は否めない。お駄賃にもらったチュッパチャップスはコーラ味。なのに、ほろ苦い。

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