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第32話

 大の男ふたりが指切りするさまなど、傍目には微笑ましいどころかキモいと映るのが関の山だろう。  世良自身、背中がむず痒くなり、それでいて、きゅんきゅんきゅーんが止まらない。小学校の運動会のプログラムにフォークダンスがあった。好きな子とペアを組む順番が回ってくるまであと何人と、やきもきドキドキした昔に戻ったかのごとく、甘酸っぱいものが胸に満ち満ちる。  ついでにチンコケースがひくつき、当初の目的を思い出した。原点に還って、がっちりと小指を絡ませなおす。さりげなく、ただし性感のツボに狙いを定めてしごく動きを追加しながら念を送る。  勃て、勃て、ぐんぐん勃って天を突け……もとい、玉門においでませ。 「指相撲かい、負けないよ」 「イデ、イデデデ、折れる、折れます……!」  並外れた指力の前に、あっさり屈した。おやすみなさい、と告げてエントランスへ向かう後ろ姿には哀愁が漂っていた。  世良はヘルメットをかぶって自転車に跨り、未練たらたら四〇六号室のベランダを振り仰いだ。  つい最近まで、あの部屋の内部は未発掘の墳墓のさながら謎に包まれていた。ところが現在(いま)は歯ブラシの色が若草に関するデータに加わった(しっかりチェックしたのだ)。  今夜にしても不完全燃焼に終わったのは、さておいて。単なる配達員とその顧客以上、友人未満の関係に出世したのだ。大いに進展があったと断言しても差しつかえないだろう。 「チ、チ、チ✕✕でハンコは夢とロマンだ、ベイベー。夫婦円満、世界平和、一家団欒、エイエイオー」  社歌を口ずさみながら公園の傍らに差しかかったとき、漆黒の塊が植え込みの陰からいきなり飛び出してきた。急ブレーキをかけたはずみに後輪が横すべりして、すっ転びかけたのを辛くも持ちこたえる。 「うおー、びっくりしたあ!」  街灯に照らされて雨の筋が銀色にきらめく。スポットライトを浴びているように、光の輪の中に浮かびあがったのは一匹の黒猫だ。 「道路を渡るときは、ちゃんと左右を確認してから。車に()かれたら痛い、痛いだぞ」  自転車から降り、目線の高さを合わせて教え諭すのを無視して、黒猫は優雅に車道を突っ切る。  女子高生に扮してまでがんばったのが骨折り損のとはご愁傷さまケケケ、と嗤うように尻尾を揺らしながら。

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