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第37話

 世良はフライドポテトを頬張ったまま、嚙むのも忘れて固まった。〝チンコでハンコ〟は、たとえば成績不振に陥っている営業マンが自信を取り戻すきっかけを作ってあげた、という実績をあげているとおり社会的意義があるサービスだ。  個人的にも特別手当がつくおかげで、コンスタントに実家に仕送りができる。  百歩……いや、一万歩譲って若草にめろめろだと仮定しても、それはそれ、いわば特殊技能は特殊技能、と分けて考えるべきではないだろうか。 「まっ、仲間のよしみで純愛(ここで爆笑が起きる)の行方を生ぬるぅく見守ってやるから進捗状況を随時報告、よろしくな」  そう宮内が話を締めくくったのをしおに、面白イチモツ・ベストスリーの発表会が始まった。ちなみに酎ハイを一杯ずつ追加で注文したのだが、それについての支払いは、 「アドバイス料で世良のおごりな」  と、まあ四人ともちゃっかりしている。  小一時間後、居酒屋を出たところで解散した。はにかんだように紫陽花が咲き()める、通り沿いに自転車を押して歩いて帰る途中、世良の足はいつの間にかレジデンス・デイジーホールへと向かっていた。しかも、遠回りになるのもかまわず。  ガードレールに尻を引っかけた。好物を最後に取っておくように、わざと一〇一号室の掃き出し窓から順番に見ていく。  寄り道してまで何をやっているんだか。そう思うと夜風がじっとりと肌にまといつく。ロミオがジュリエット恋しさのあまり闇にまぎれて彼女の部屋を(おとな)うぶんにはロマンティックでも、おれの場合はストーカー予備軍っぽい。  もしもパトロール中の警官が通りかかれば、いちおう職務質問しておくか、という流れになる可能性、大だ。面倒なことになる前に、さっさと立ち去るほうが賢明だ。 「酔いざましに休んでるだけだって……」  屁理屈をこねる時点で、我ながら非常にキモい。くよくよ、うじうじとは無縁で元気印が売りのキャラが迷走状態に陥ること自体、天変地異の前触れではなかろうか?   だが、四〇六号室の掃き出し窓がほの明るいさまが、たったそれだけのことが無性にうれしく感じられるのも、また確かで……。  ヘルメットの顎のベルトをねじる。地球上にはおよそ八十億の人間がひしめいていて、男女比が一対一だと、四十億本あまりのイチモツがぶら下がっている計算になる。  市場(いちば)さながらよりどりみどりで、にもかかわらず誂えたようにハメ心地がしっくりくる一本はこれ、とばかりに若草のそれを追い求める。冗談抜きにストーカーの素質十分の執着心が強い性格だったなんて、驚きだ。 「……帰ろ、帰って歯をみがいて寝よ」  自転車のスタンドを跳ねあげた折も折、窓ガラスがレールをすべる音が上方でこだました。胸が高鳴り、振り仰ぐと、いっそう鼓動が速まった。  粘り勝ちか、はたまた心が通い合うものがあったのか。四〇六号室のベランダに人影が差したのだ。逆光に沈んだシルエットはベランダの端から端まで行ったり来たり、行ったり来たり、行ったり来たり、する。

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