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第38話

   ゼンマイ仕掛けのオモチャみたいだ。微苦笑を誘われた直後、 「()でよ、来たれよエロ神さま。エロイムエッサエモ、エロイムエッサエモオ!」  黒魔術の呪文が町の一角をいきなり、おどろおどろしさ満載の異界へと変えるようだ。ぎょっとしてハンドルに添えた手が浮いた。ペダルが空回りして、むこうずねを直撃した。  世良は、しゃがみ込んだ。かたや若草は、それも彼流の召喚術なのだろうか。全身をくねらせながら肩を上げ下げしたり、膝を曲げ伸ばししたり、一体なんの真似だ。  さしずめタコが盆踊りの練習をしている図──だ。むこうずねがズキズキするのも忘れて、ぽかんと眺める。やがて噴き出した。  大胆なアレンジがほどこされているものの、あれは日本人のDNAに組み込まれているようなラジオ体操だ。  運動不足を解消するとともに脳の活性化を図る。若草は恐らく一石二鳥を狙っているのだろう。ラジオ体操第一につづいて第二──ただし謎のくねくね踊りを披露したあとで、舞台の下手(しもて)に捌けるかのごとくカーテンの向こうに消えた。  世良は自転車にしがみついた。でないと笑いこけたあげく自動販売機に激突し、はずみでピンボールのように吹っ飛んでいきそうだ。 「やっぱ相当な変人だわ。おちんちんも極端な左曲がりとかだったりして」  ふだんは包皮にくるまっている恥ずかしがり屋さんだろうが、エラが張った獰猛系だろうが、男印の竿である点に価値がある。贅沢を言えばキリがないとはいえ、色も形も硬度も優良であるに越したことはないが。  恋わずらいがどうのこうのと、かまびすしい外野は放っておけ、だ。主眼はあくまでイチモツであって極端な話、若草本人は新品の腕時計に対するテスト用電池のような付属品。 〝チンコでハンコ・初志貫徹〟をスローガンに掲げて邁進するからには、惚れた腫れたが入り込む余地はないのだ。  さて、翌々日の昼下がり。世良は段ボール箱を積み重ねた台車を押して、レジデンス・デイジーホールのエントランスをくぐった。ミネラルウォーターのフルボトルが三ケースとあって、手首に伝わる重量はなかなかのものだ。  昨今は置き配を希望する客も増えたとはいえ、笑顔を添えて荷物を渡してこその宅配便。お届け先が若草宅ならばなおさら張り切り、5ドア冷蔵庫でも、象でも、喜んで配達しますとも。  四階でエレベータを降りた。梅雨の晴れ間に特有の、黒みを帯びた青空を開放廊下から仰ぎ見る。制服のポロシャツは汗じみて、それ以上に掌がじっとり湿って、ちょっぴり……いや、かなり緊張している。 「らしくないぞ、おれ」  と、自分をたしなめるはしから台車が蛇行するありさま。こんなに間隔があくのは滅多にないことで、何日かぶりに若草さんチを訪ねるのはドキドキものだ。  何しろ「恋しているかもしれない相手の家」まで残り数メートルの距離まで来ているのだから──カギカッコで囲んだ部分を頭の中で削除したうえで、四〇六号室のチャイムを押した。

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