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第47話

 実際、レンズの奥の双眸をぎらつかせて迫り来るさまは、セクハラ体育教師が再び憑依する気配濃厚、だ。桃色遊戯の第二章がはじまったが最後、船の墓場と呼ばれるサルガッソー海に迷い込んだかのごとく、脱出不可能な世界へつれ去られるのは必至。  いや、むしろ手に手を取って旅立ちかねない。  世良は本の山を蹴散らして洗面所へ走った。大急ぎで着替えて、大急ぎでスニーカーを履いた。 「じゃ、どうもでした。衣装のほうは洗って返します……セーラー服とまとめて」 「帰るのか、帰っちゃうのか。置いてきぼりの悲哀を味わえと言うんだね、薄情者」  (いん)にこもった声が蜘蛛の糸のように粘っこく、まとわりついてくるようだ。廊下とリビングルームを隔てるガラス戸をぎいぎいと開け閉めしながら、おいでおいでをするのは狡い、と思う。 「ゆっくりしていくだろう?」  世良は、つい縦に振りそうになった首をぶんぶんと横に振った。そしてクマと遭遇したさいの教えに従って、そろそろと後ずさりをする。  玄関を出ると開放廊下を駆け抜け、階段を駆け下りた。チェーンを外すのももどかしく自転車に跨ると、立ちこぎでレジデンス・デイジーホールから遠ざかる。 「はは、なんだかなあ……」  乾いた笑い声が、じめついた夜風と絡み合って次第に湿り気を帯びていく。創作意欲をかき立ててくれるという点で、若草にとって世良は利用価値が高い。こちらの狙いは彼のイチモツのみ……のはず。  もともとがギブ・アンド・テイクの関係なのだから、を期待するほうがおかしい。なのに物足りないと感じる。新作の構想がどうした、乙女像がこうしたを抜きにして、おれとちゃんと向き合ってほしいと、だんだん欲張りになっていくなんて嗤える。  恋情が順調に熟成中の証し、みたいで。 「おれは恋なんかしていなーいっ!」  雑念を払うべくガムシャラにペダルを漕ぐ。月はおぼろに霞み、汗が噴き出すぶん、もやもやが膨らんでいく。

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