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第6話
その後、九曜は高いびきをかいて眠る幻以を部屋に置いて、一人で再び湯殿におもむき、汗を流した。
帰り道、風呂あがりの浴衣姿の九曜が仙洞の廊下を歩いていると、廊下が交差する場所で翼弦と遭遇した。
帰途に就くところらしく、見送りに沙羅を連れている。
翼弦と目が合った九曜は、翼弦となにを話したらいいのかわからず、押し黙ってしまった。
「ここからは私一人でよい」
翼弦は沙羅に視線を転じ、沙羅を去らせた。
廊下には九曜と翼弦だけになった。
「浴衣姿で失礼いたします。私がお見送りいたします」
九曜が言うと、翼弦はうなずいた。
九曜が先導を務め、しばらくの間、二人は無言で歩いた。
「お主」
背中に声がかかり、九曜は足を止めた。
「ますます美しくなったな」
声が近づいてきたので、九曜は警戒しつつ振り返る。
九曜が振り返ると、九曜の目の前に翼弦の顔があった。
九曜は現在服用している秘薬が翼弦を惹きつけているのかもしれない、と不安になった。
「本来ならば私のかたわらで咲いているはずだった花が……さえずるはずだった鳥が……どうした運命のいたずらかと嘆いておる」
翼弦は九曜のあごを捕らえ、傷口がまだ生々しい九曜の唇を凝視した。
意外と眼光の鋭い翼弦の黒い瞳に、九曜は恐怖を感じた。唇が傷ついたわけを翼弦から見抜かれそうで、九曜は目を閉じた。
「お、お許しください……」
「とんだ番狂わせもあったものだ。のう、九曜よ」
「お許しを……」
孔雀から稚児の任を解かれ、九曜は路頭に迷う暇もなく、孔雀から翼弦を紹介された。
九曜は孔雀が老齢の自分をうとましくなったのだと理解し、翼弦の弟子になることを承諾した。
本来ならば、九曜は翼弦のもとへおもむくはずだった。それが、同門の弟子、幻以を選んでしまった。翼弦が怒るのも無理はない。
壁に追い詰められた九曜がおののいていると、張り詰めていた空気がふいに和んだ。
九曜はおそるおそる目を開けた。
そこには和やかな笑みを履いた翼弦がいた。
「久しぶりにお主の顔を見ることができて、私は嬉しい。さあ、私を見送るがよい」
翼弦は許してくれたのだ。そう感じた九曜は安堵の吐息を漏らした。
九曜は再び歩き始め、翼弦の先導を務めた。
洞窟から出ると、外は夜で、満月が浮かんでいた。
「翼弦様、ご覧ください、今宵は月がきれいに輝いています」
「九曜よ、月の宮に訪れたことはあるか?」
「いいえ、私はまだ人間の身です」
「月の宮はまるでお主のように冷ややかで美しい場所だ。お主を連れて行きたいのは山々だが、よしておこう。お主を月帝に取られてしまうかもしれぬからな」
冗談めかして言いながら、翼弦は自身の背に生えた鷲の翼を広げた。
「翼弦様、お気をつけて」
九曜が言うと、翼弦は無言で九曜に歩み寄り、そっと九曜を抱き締めた。
「翼弦様?」
「この私を相手に、いともあっさりと別れを告げるとは、いかにもお主らしい。なんと心憎いことよ。お主も凌雲山へ行くのだ」
戸惑う九曜を抱いた翼弦は当然のように言うと、翼をはためかせて、空高く舞い上がった。
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