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第21話

 翼弦が湯治から帰ったのは翌日だった。  彫像にされていた九曜は許されて呪術を解かれ、翼弦の部屋に呼ばれた。  仙人としての力は一切封じられているとはいえ、道袍を着せてもらい、昼日中に外の廊下を歩くのは久しぶりで、陽射しを浴びた九曜はふいに眩暈を覚えて立ち止まった。  沸き立つ雲を背景に人工の小川が流れる見事な庭先で、九曜はうずくまる。  まただ。また、胸に例の不快感が押し寄せてくる。 「九曜様、どうなさいました?」 「な、なんでもない……」  口元を押さえて不快感が通り過ぎるのを待ち、九曜は立ち上がった。  半月ほど受けた拷問のストレスなのだろうか。  ここ凌雲山から脱出する手立てのない閉鎖的な状況の中で、とうとう体調を崩してしまったのか。  九曜は歩き出した。  こうして呪術が解かれたのは、負傷した翼弦が回復して機嫌が戻ったと思ってよいのだろうが、安心してよい状況ではない。  翼弦の回復は、再び九曜に身の危険が迫っているということになる。  翼弦は自身を傷つけた九曜を、下男の木龍を代理に使い、犯すことで報復した。  表向きは翼弦が九曜にダメージを与えることに成功している。  だが実際は木龍の正体は九曜の夫の幻以が変化したもので、今のところ完全に上位の神仙である翼弦を欺きとおせている。  九曜の本質は傷ついていない。  それなのに、再び時が流れ始めたのだ。  九曜はこめかみに汗が滲ませて敷居をまたいだ。  扇子を手に碁盤に目を落としていた翼弦は、九曜が入ってくる気配を感じて顔を上げた。  翼弦の顔は怒りが解けたのびやかな顔をしていた。 「お主の顔を久しぶりに見る」  九曜は返事をせずに碁盤が置かれたテーブルを挟んだ向かいに座った。 「どうだ? 久しぶりに服を着た気分は」  九曜の顔はさっと青ざめる。  それこそが九曜の最大の痛手だった。  女官たちの前で毎度のごとく裸身をさらさなければならない日々を思い出すと、九曜は気が狂いそうだった。  しかしここで喚いたりする九曜ではない。相手の思う壺だ。 「温かく……風邪を引く心配がございません。立派な道袍をご用意していただき、ありがとうございます」 「お主のために取り寄せた絹で仕立てさせたのだ」  翼弦はそこで唐突に微笑を浮かべる。 「……怒ってはおらぬのか?」 「神仙を害した報いは覚悟の上でございましたから」 「可愛げのない。だが、それでこそお主だ」  翼弦が笑みを深くした時、九曜はふいに張り詰めていたものが解けて目の前が白くなり、椅子から転げ落ちてしまった。   翼弦が驚いて椅子から立ち上がる音が聞こえ、九曜は気を使わないように何か言おうとするが、力が出ない。 「九曜?」  翼弦は碁盤の置かれたテーブルを回り込んで蒼白になった九曜の身体を起こした。 「九曜よ、しっかりせよ。誰か、太医を」  九曜の鼓膜から翼弦の声が遠ざかっていく。  意識を失う手前で、九曜は自身の身体が変容していくのを感じた。    

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