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第28話
私室に戻った九曜はお茶を飲んでいた。
庭の景色もやはりつつじが満開だ。
部屋の片隅で、六花は繕い物をしていた。
「部屋に戻らないのは、私を監視するのも役目なんだろう?」
玉止めが終わり、糸を口で切った六花は片頬で笑みを作る。
「おっしゃる通りですわ、私は九曜様を見張るのが仕事です」
「大国の官吏のように融通が利くようだが」
九曜は先刻のことを思い出して薄く笑いを浮かべた。
散歩から帰ってから、九曜の心は幻以一色に染まっていた。
幻以に六花とのことを問い質したい一心だった。
六花を買収しようにも、九曜は現在、手元に何もない。
うまく六花を手懐ける方法はないものか。或いは、六花が幻以が目をかけているようなので、関係がこれ以上深まらぬように阻止する方法はないものか。
九曜は溜息を吐いた。考えても事態の進展が望めない時もある。
「六花、お前の里はどこだ?」
「金剛国の愛羅県です。時には貴人が物見遊山に訪れることもありますが、住んでいる者は寒いだけで、死ぬような思いで春を待つしかありません。楽しみといえば他人の噂話くらい」
「口減らしのために自ら死を望んだのだったな」
「ええ、凌雲山の方から召し上げていただいて、一命を取り留め、幸運に身を浴しているのですが……私一人が減ったところで、里はどうにもならないでしょうね」
「どうだろうな。私が下界の様子を見せてやろう。洗顔に使う水盤を持ってきてくれ」
六花は半信半疑で衣類をテーブルに置くと、九曜に言われた通り水盤を持ってきた。
九曜は仙人のもとで修業していた高位の弟子だ。仙力で千里眼を駆使するくらい容易だ。九曜はこの私室から凌雲山の全容を知ることも可能なのだが、翼弦がすぐに気配に勘付くであろうから力を駆使しないでいる。
九曜はテーブルの上に置かれた水が満たされた器の上に手をかざし、呪文を唱える。
水面に木々に囲まれた緑豊かな村里の様子が映し出された。
水面をのぞき込んだ六花は目を見開く。
「私の……私の故郷ですわ。信じられないけれど……」
それは春先ののどかな光に満ちた村の光景だった。
木々の上では鳥たちが舞い踊り、小川の近くの木造の小さな廟の周りでは子供たちが遊んでいる。
廟の中には石で造られた神像が祀られていた。
神像は有翼の人の姿をした美しい神だった。
「洞主様……恩恵が……私の村に洞主様から恩恵がもたらされたのだわ……」
六花は声を震わせて言った。
翼弦は神に等しい存在だ。下界の村一つの運命を好転させることなど造作もないだろう。
眷属の鳥たちを手配して様々な実を運ばせ、飢えた者が出る寒村を瞬く間に実り豊かな村にしたのだ。
「このご恩は忘れません……一生懸命お仕えします」
ついに六花は泣き崩れた。
九曜はわずかに眉を寄せて眉間に後悔を滲ませた。しまった。暇つぶしに六花を慰めようとしただけなのだが、結果として翼弦への忠誠心を募らせることになってしまった。自分の監視が厳しくならなければいいのだが。
九曜は水盤に手をかざすのをやめて映像を消去すると、後ろに手を組んでふらりと再び庭の景色を眺めようと窓辺の方へ歩み寄った。しかし優雅な時を過ごそうにも、彼は喉から出かかっている切迫した要望を押さえることができなかった。
「……六花、私は伴侶がいる身でここへ連れてこられた。下男の木龍とはここへきて戯れの相手をさせられたのだ」
「ええ、それは存じておりますわ。木龍さんとご懇意なのも。あの方にはお世話になっていますから、少しくらいならと思って便宜を図りましたが……やはり洞主様のご下命には逆らえません」
テーブルの縁にすがりつくようにして泣いていた六花の声は、決意を新たにしたような響きがあった。
背後で六花が立ち上がる気配がして、九曜は自分の首を絞めてしまったのだと悟った。
「木龍さんにもわかってもらわないと」
さんざめく庭先の自然を映す九曜の琥珀の瞳は、対照的に徐々に凍て付いていく。
六花の翼弦に対する忠誠心は強固になった。味方に引き入れるのは無理となると。
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