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第42話
寝室に幻以が運ばれ、人々が去った後。
九曜は寝台に横たわる幻以の隣に寄り添い、改めて幻以の秀麗な横顔を見た。
幻以は彼が不安になるほど静かで、一見死んでいるように見える。だが目を凝らしてよく観察すると、微かに胸が上下していた。
幻以の呼吸を確認すると、次に彼は幻以の胸に耳を寄せて鼓動を確かめた。
安定した一定の拍動が彼の耳や皮膚に伝わる。
心底安心した彼は眠りに身を浸し、まどろみの中で幻以とのやりとりを反芻した。
ここは来世ではなく、二人は生きている。
幻以の才覚の成せる業だ。
道侶の腕の中に戻って来た彼は、眠りが深まるごとに幸福を噛み締めた。
幻以が目を開けたら、再び幸福な人生の続きが幕を開けるのだ。
九曜はそう信じて疑わなかった。
数刻経ち、触れ合う身体が身じろぎする気配がして、九曜は目を覚ました。
見ると、幻以の瞼が震えていた。
ついに目を開けるのだ。
九曜は親愛の情を宿した灰色の瞳が自分に眼差しを注ぐことを想像して、その時を待った。
枕辺に置かれた燭台の明かりが照らす寝室で、幻以の瞼が厳かに開いていく。
ところが現れた灰色の瞳は、彼の予想を裏切った。
冷たい視線を受けて、彼は戸惑った。
仙として生まれ変わったから、記憶を喪失してしまったのか。
灰色の瞳の持ち主は、彼のことをまるで知らない者のようだった。
「幻以……?」
おそるおそる、九曜は問うてみる。
「お前さんは……」
幻以の乾いた唇が開いた。
「お前さんは、誰だ?」
「え?」
「なぜ、ここにいる。俺と一緒に寝ている?」
幻以は九曜から身を引いて身を起こすと、鋭い目で問う。彼のことを明らかに警戒している。
九曜の顔は見る間に青ざめていった。
「忘れてしまったのか? 私を」
「誰だと聞いている」
「九曜だ。お前の……」
言いかけて、九曜は口を噤んだ。
仙となって高みに昇り、過去を忘れてしまったのだ。道侶だと告げるのは厚かましいかもしれない。
「何でもない」
首を振った九曜の目から涙が溢れた。
(幻以はもう昔とは違う、自分とは格が違う存在になったのだ)
「仙となった貴方の……世話をしている者です」
説明を聞いた幻以は徐々に警戒を解いていった。
「確かに修法を行っていた時に雷に打たれるような感覚があったのは憶えている。そうか、俺は仙になったのか」
高揚した声で言うと、幻以は九曜をまじまじと見つめた。
「何だ、お前さんは。不気味なほど美しいが」
「不気味だけ余計です」
「いや、どう表現したらいいのか、例えて言うなら何千年もの時間をかけて人工的に交配しまくって作った贈答用の人間みたいな……」
「果物じゃありません」
「お前さんのこと、まるで憶えていないが、添い寝をしていたくらいだから懇意だったんだろうな?」
「お察しの通り……貴方と夜を共にする者でした」
「そうか、しかし俺も目が高いな……九曜、これからもよろしく頼む」
九曜は寂しそうな微笑で応えた。
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