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第43話

 朝になり、洞内の弟子が着る簡素な木綿の上下の衣服を身に着けた九曜は、食膳を持って幻以がいる寝室に入った。  幻以は寝間着姿で寝台の上で読書をしていた。  仙になった幻以は記憶を失い、道侶の九曜のことをただの懇意にしている自分の弟子だと思っている。  身体が衝撃を受けたせいなのか、この状態がいつまで続くのか、孔雀にもわからないということだった。  九曜が部屋に入って来たのに気付いた幻以は、書物から視線を九曜に移す。  食事を寝台の上で食事を摂れるように九曜が幻以の前に膳を設置している間、幻以は彼の表情をずっと眺めていた。  もちろん九曜は不躾な視線に気付いている。  見慣れない人間を見るような灰色の目が、九曜には少々寂しかった。   支度が終わると、九曜は琥珀色の目を灰色の目にぶつけた。 「私の顔に何か?」  九曜が怒りを込めて言ったが、幻以は視線を逸らさず慌てる様子も見せない。  九曜は眉を寄せた。なぜこのような態度なのか、彼には手に取るようにわかった。幻以という男はもともと横柄が服を着たような男だ。きっと、自分を下位の者だと認識しているのだ。 「いや、えらく澄ましてやがるなと思って」 「この顔は生まれつきです。へらへら笑って接している方がお好みですか? お望みならそうしますが……仙人とは大層お偉いのですね」   九曜の言葉には少々やっかみもあった。  どれほど修行をしても、人間が仙人になるまでの道のりは遠い。  彼にもそんな日が来るのか、見当が付かない。  九曜が去ろうとすると、幻以は彼の袖を掴んで引き留めた。 「待て、もっと話がしたい。それと、お前さんみたいなのがへらへら笑うと気持ちが悪い。顔の造りに反している、素のままでいい」   「そうですか」   九曜は寝台の端に腰を下ろし、食膳の料理に箸を付ける幻以を眺めた。それらの料理は九曜が厨房で自ら作った、胃に負担がかからずに精が付く幻以のための献立だ。  しかし幻以はすぐに箸を置き、虚ろな目で宙を見た。 「あまり食う気がしない……」 「まだ本調子ではないのですか?」 「ああ……」 「無理をして食べるっ必要はないですよ。それでは下げますね」  膳を持って行こうとする腕を掴まれて、九曜は顔を上げた。  琥珀色の目が幻以の目とぶつかる。  獲物を捕らえる時の目だ、と九曜は思った。九曜は慣れているが、他の者が見たら竦んでしまいそうな怖ろしい目だ。 「お前さんがいい」 「えっ?」 「食うのはお前さんがいい。俺とお前さんは仲が良かったんだろう?」 「そうですけど」 「どんな風に仲が良かったのか、教えてくれよ」  「ご無理はなさらない方がいいですよ」 「構わねぇよ」  九曜は寝台の上に押し倒された。  食膳が飛び散り、食器が床に落ちて大きな音を立てる。 「どうかされました?」  廊下の外で声がした。沙羅の声だ。 「来るな」  九曜は咄嗟に沙羅が入ってくるのを制止した。  沙羅が去るのを確認してから、九曜は口を開く。  「そんな弱った身体で私が抱けるとでも? 幻以『様』」  九曜が声を低めて言うと、幻以は彼の言葉を皮切りに、陰惨な顔で九曜の服をむしり始めた。

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